Nicotto Town


神社・狛犬のサークル「お社のかがみ」

違反行為を見つけたら?
  • サークルTOP
  • サークルカフェ
  • 掲示板
  • 伝言板
  • メンバー一覧

鳥居

鳥居についての書き込みは、こちらにお願いします。

アバター
2017/06/14 23:29
近頃、東大の神社研の同人誌を見たが、「大隅鳥居」を知らなんだ。
少々、ガッカリ。
皆の衆、大隅鳥居はご存じだろうか?
アバター
2016/01/24 22:06
神明鳥居が明神鳥居に建て替えられると、がっくりします。

神明系でも、靖国鳥居だと、ガックリきます。
アバター
2015/10/04 00:16
古い「神社百景」を見た。(日吉大社)
雪化粧をした朱塗りの山王鳥居。
雪の白、柱の朱、笠木の黒のコントラスト!
くー、ベストオブ鳥居の1、2位を争うと見た。

構造の妙技としては、山王鳥居を押す!
アバター
2011/10/28 23:33
滝尾神社の鳥居はBS「美の壺」鳥居の回に出ておった。
写真家がぞくっとするほどの、素晴らしい写真を撮った鳥居がそれじゃった。ワシもあんな写真が撮りたい。
しかし、この前見た旅番組では、額束にある丸穴に、投げた石が通り入れば幸運になれるというものじゃった。芸能人が石を投げとったぞ。
うーん、鳥居に石を投げるのは、鳥居ファンとして、複雑な心境である。
しかし、丸穴が開いた額束というのは珍しいと思う。
アバター
2011/10/26 20:19
日光、滝尾神社に面白き鳥居あり
覚えとして、ここに記す
ご存知の方は一報、投稿くだされ
アバター
2010/12/19 21:01
福島に中山鳥居?

白河駅近くに、柱から抜きが出ていない、中山鳥居?を発見!
もう暗いので詳細はわかりませんが、明日、早起きして調査

とんでもない掘り出し物だー
アバター
2010/11/07 14:22
幻の鳥居
斎様お書き込みの吉田神社大元宮に幻の鳥居があります。
外宮宗鳥居と内宮源鳥居。
通常の参拝では見ることが出来ません。
貴重な画像ですね。
皆様、見ましょう
http://www.geocities.jp/miniuzi0502/jinjadistant/kyoto/daigenkyu.html
アバター
2010/10/21 22:34
穴守稲荷神社の鳥居

10/21放送 「空から日本を見てみよう」 ~東京モノレール~(テレビ東京系)
で天空橋駅舎とともに、穴守稲荷神社の鳥居が紹介されました。
タイムリーじゃったな
しかし、「祟るんです」とは、くもじいは言ってなかったぞ。
テレビじゃまずいでしょうね。そんな事言うと。
アバター
2010/10/16 11:07
祟るんです…この鳥居(続き)

穴守稲荷神社鳥居
 この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。
 その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。
 しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を物語る唯一の建造物となりました。米軍から、施設が日本に返還された昭和二十七年七月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制撤去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴となりました。
 昭和五十九年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の障害となる事から、撤去を余儀なくされることとなりました。
 しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成十一年二月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。
 ここに関係各位に謝意を表するとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。 (鳥居前の石碑より)

鳥居の写真を自ブログで公開しています。宜しければ、見てみてください。
http://plaza.rakuten.co.jp/yamikagi/diary/201010160000/
アバター
2010/10/16 11:05
祟るんです…この鳥居

 羽田の大鳥居

 穴守神社は、文化年間(一八〇四~一七)の創建といわれ「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」として豊受姫命を祀る。古くは現在の羽田空港地内にあったが、戦後に進駐軍に強制撤去させられて神社は遷座した。しかしその一ノ鳥居(大鳥居)だけが空港内に残り、駐車場内に建つ鳥居として、羽田空港の異彩放つ景観となっていた。
 この鳥居を撤去すると不祥事が起きると信じられ、随分長い間、そのままに残っていた。つまり、祟る鳥居とされていたのだ。
 それが平成十一年に現在地に移設されていたとは、私自身、実は尋ねるまで知らなかった。祟りを畏れて今だ空港駐車場の片隅に建っているものと思っていた。「祟りを畏れず、よく移設したものだ」と正直、感心した。
 ところで、京浜急行電鉄の空港線(羽田-蒲田間)に大鳥居という名の駅がある。かつて駅に隣接するような近くに穴守稲荷神社が鎮座しており、駅名はこの鳥居に由来すると伝えられている。今、この駅で下車してもこの大鳥居にはお目見え出来ない。
 現在の鎮座地は、東京モノレールの天空橋駅下車。駅を出ると左手に鳥居が見えるが、右に大回りして車道を迂回して行かねばならない。鳥居前の交番で警察官が目を光らせており、容易に車道を横断出来ないからである。鳥居の近くに弁天橋が架かる。
アバター
2010/04/10 18:53
松原神社(佐賀県)の白磁鳥居
白磁の鳥居
鍋島直茂公(日峰公 佐嘉藩祖)
文禄慶長の役の際 朝鮮に出兵、慶長二年(一五九七)帰朝に伴い、「日本の宝として、焼物上手頭六、七人連れられ候」と古書にありますが李三平氏を一団とする陶工たちが元和二年(一六一六)有田泉山に陶石を発見、李朝と同じような磁器を焼成した。これが今日の有田焼の基礎をなすもので、「御神祖様の日峰公」とあがめ、左記の方々の手により御神前に奉納されたものである。最近地盤の変化により損傷がひどく、平成十七年五月(二〇〇五)有田、岩尾磁器会社の手により修理、保護のため補強工作を施したものである。
 明治二十三年庚寅十月吉日 有田町・新村・大山村・二里村
 製造 岩尾久吉・角物細工人 金ヶ江長作・丸物細工人 峰熊一
(案内板より)
アバター
2010/03/01 10:07
粟嶋神社
ミニ鳥居くぐり「腰延べ鳥居」(続き)

「腰のべ鳥居というんですよ」
宮司の本田浩二さんが、小さな鳥居の理由を話してくれた。
「農耕が現代のように機械化される以前は、腰をかがめて農作業をしていましたから、老齢になると腰が曲がってしまう人は多かったですよね。腰を痛めてしまう人も少なくはなかったでしょう」
昔は腰が曲がるのは、疫霊がつくからだと、恐れられたものだった。
「そうした“悪いモノ”を祓い落とそうという気持ちから神社に禊ぎ祓えに訪れる人もいたのですよ」
やがてそうした信仰が、鳥居をくぐることで“腰の厄を取り落とす”と意味づけられるようにもなったらしい。小さな鳥居をくぐり抜けるのは、体感を伴った禊ぎ祓えだったのだ。
「でもね、腰のべ鳥居は科学的な理由も込められているんですよ」
何故なら、この鳥居は先ほど僕が体験した通り、全身をぐうっと伸展させないと、くぐり抜けられない。狭い空間を抜けるために、両手から順繰りにつま先までをピンと伸ばす姿勢をさせられる。
「あえて言えば、そう、ぶら下がり健康器みたいなもんですね」
なるほど腰のべ鳥居は、江戸時代に考案されたストレッチ器具だというわけだ。
〒869-0403 熊本県宇土市新開町557  TEL 0964-22-1197
神社HP http://www.awashima.or.jp/top.htm

行き方
松橋インターから国道3号線に入り北上し宇土市松原交差点を直進。
国道57号線を天草方面に約2km行きコンビニエンスストア、ポプラより右折し国道501号線を北へ約1.5km行く。
セブンイレブンのある交差点で左折、西へ約1km行き川を渡るとすぐに神社の看板があり、すぐ左手に駐車場が見える。

なお、このようなミニ鳥居くぐりとは各社にあり、九州でも7社ほどもある。
 伊美別宮社のミニ鳥居(国東市)
 弓削神宮のミニ鳥居(熊本市)
 粟嶋神社のミニ鳥居(宇土市)
 疋野神社のミニ鳥居(玉名市)
 粟島神社のミニ鳥居(筑後市)
 淡嶋神社のミニ鳥居(小国町)
 粟嶋神社のミニ鳥居(山鹿市)
アバター
2010/03/01 10:06
粟嶋神社
ミニ鳥居くぐり「腰延べ鳥居」

200年の歴史ある日本一のミニ鳥居。
日本一小さい鳥居の由来
粟嶋神社の境内には、縦・横30センチの石造りの鳥居が三基あります。
この鳥居は、文化11年(1814年)当時、重い病に苦しまれた方が、医薬の祖神として霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳にすがり当神社で御祈祷を受け、熱心に信仰されたところ、奇跡的に病が完治しました。
そこで病気平癒のお礼に感謝をこめて他に比類なく永久に残るものをと奉納されたものです。
現在のように機械化の時代とは違い、農耕が人力に頼っていた時代の農作業は、体調を崩す方、特に足腰の痛みに悩まれる方が多かったようです、そうした方々が、この鳥居をくぐると腰が伸び足腰の痛みも和らぐ等の神徳の効用が見られ、腰を伸ばす鳥居と言う ことで『腰延べ鳥居』とも言われています。
なお、この鳥居に願い事をこめてくぐることにより、心身を癒しなんともいえない開放感に満たされ気分も爽快になり、心身の病気 平癒・子授け・安産・良縁・厄除け・災難除け・諸業繁栄・などに霊験あらたかとの言い伝えがあります。

この鳥居をくぐると無病息災、健康開運、諸業繁栄、その他多くのご利益があるという、ふしぎな鳥居。
石造りで、本殿に向かって、3基が並んでいるのだが、どれもミニチュア鳥居とでもいったような小ささなのだ。
そのうちの1基の大きさを計ってみると、高さがおよそ30センチ、横幅もおよそ30センチ。
それぞれの鳥居も大きさにさほど違いはない。
この小さな鳥居をくぐり抜けるのが、宇土の粟島神社に伝えられる祈願の方法なのである。
石鳥居の下には、ござが敷いてある。直接、身体が地面と擦れないように神社が配慮してくれている。
石のミニチュア鳥居が建てられたのは、文化11(1814)年のことだという。
現在3基ある鳥居は、昭和25年からひとつ、ふたつと増やされていったものだ。
文化11年のものは老朽したので、現役を引退して、今は本殿の脇に移築されている。
アバター
2010/01/08 16:06
唐破風鳥居(下の続き)
 鳥居傍の立看板には「破風形鳥居」としている。柱太さ四十糎(センチ)弱、高さ三・六米余りで、両柱間の笠木島木が唐破風形をしており、見た目にどっしりとした安定感がある。歴史上の権力者達が愛玩したというのも納得の意匠と言ったところか。
 由緒では平清盛建立というが、建築に唐破風形状が用いられ始めたのは鎌倉時代といわれ、清盛のいた平安後期では時代が合わない。これは安土・桃山時代以降の製作か、がんばっても室町時代との見方がある。また、表面が粗く、柱の銘文を故意に削り落としたのでは、との疑問も。
 額束は質感が異なり、明らかに後補と思われ、また島木下端の中央には、元々額が掛かっていたような形跡がある。掲額があったと見て間違い無いだろう。その額には何と刻まれていたのだろうか?
所在
 ①京都・厳島神社
 ②鹿児島・熊襲ノ穴入口

厳島神社
御祭神
 市杵島姫神、田心姫命、湍津姫命
 祇園女御(清盛公母儀)併祀
由緒
 祭神嚴島三姫命は往昔平相國清盛公が安藝國の佐伯郡に坐す嚴島大神を崇敬の余り摂津國菟原郡なる兵庫築島に一社を設け大神を勧請し給ひし処の神霊にして後故ありて此の拾翠池の嶋中移轉遷座し奉るところとなり濫觴年代等天明八年京都大火の砌當社の舊地悉く焼亡して詳ならず此の地旧公爵九條家の邸内に属せしより自から同家の鎮守となる
(由緒書き看板より)
京都市上京区京都御苑六
アバター
2010/01/08 16:04
唐破風鳥居 からはふとりい
確認ポイント <笠木島木が唐破風形状>
 笠木島木の中央部が唐破風のように曲線に反り曲がっているのが特徴である。唐破風は古い建造物の玄関や門、神社社殿の向拝(ごはい)などの屋根や軒に多く造られているので、名前は知らなくても形は見られたことがあると思う。
 別名、三上鳥居・御上鳥居。滋賀県・旧官幣大社の御上神社にこの形式の鳥居があったということで、その別名があるのだろう。
 現在は、京都御所内の厳島神社に石造の唐破風鳥居がある。御所の南、丸太町通りに接する堺町御門を入って西に向かうと、旧九条家別邸の拾翠亭(しゅうすいてい)があり、その庭園内に厳島神社がある。

破風形の鳥居
 社前の鳥居は平清盛公兵庫築島の同神社に建てられたもので 第百四代後柏原天皇の御代永正の頃足利家の管領細川武蔵守高國 有名なる京都の彫刻師後藤氏の邸を掠奪して住居として居たが 大永元年三月(西暦一五二一年)足利十二代将軍義晴公、播磨國より上洛して暫くこの邸に在留の際 取寄せて庭前に建て置かれたところ 足利氏滅亡の後徳川家康公 後藤氏に所領を下賜の沙汰あり望に任せて後藤氏を右邸に復住せしめたるが 慶長九年徳川家康公此邸に立寄らせ給ひし折御覧あり 該鳥居の古雅なる形を深く愛玩し給ひし事ありしより 以来 京都所司代の交代毎に必ず巡見すべき物件なり 明和八年三月(西暦一七七一年)後藤法橋玄乗の代に内大臣九條道前公(号盛光院殿)鎮守の嚴島神社由緒有るにより當時所司代阿部飛騨守正元(武蔵國舊忍城主)を以て幕府に懇望し給い當神社に復帰す 之は最も世に類例なき姿にして則ち破風形の鳥居と称し昭和十三年六月文部省より重要美術品に指定される (由緒書き看板より)
アバター
2009/12/26 18:25
ニコッと神社の鳥居

お正月イベントのニコッと神社
そこに建つ鳥居は、朱塗りの宗忠鳥居です。
京都吉田山の宗忠神社に発する鳥居、といわれていますが…。


宗忠神社は黒住教 教祖 黒住宗忠を祭る神社。
アバター
2009/12/19 11:02
奴禰鳥居 ぬねとりい
確認ポイント <額束が合掌形状>
 ベースは明神鳥居で、島木と貫の間にある額束に左右から扠首(さす)棹(ざお)をかけて合掌形となったもの。なお柱上に台輪が有る。別名、稲荷奴禰鳥居。
 この風変わりな鳥居が京都の繁華街のど真ん中にある。それは新京極通にある錦天満宮境内左に建ち並ぶ社の一つ、日ノ出稲荷社の鳥居がこの形状で、昭和二年建立になる。京風に笠木、台輪、扠首上部の雨覆い(裏甲うらこう)が黒塗りで他が朱塗りだが石造である。現在は塗料の剥落が激しく、見た目が痛々しい。錦天満宮は錦市場の東の突き当たり、新京極通りとの交差点に位置する。
 稲荷奴禰鳥居の別名があるのは、旧官幣大社・伏見稲荷大社のお山にある境内社・間ノ峰荷田社に同形のものがある為と思われる。こちらは大正六年の建立で、彩色は無い。
 ちなみに笠木の上部に合掌状の扠首を突き上げた形のものを日吉鳥居という。日吉鳥居は合掌鳥居、山王鳥居、綜合鳥居などとも呼ばれ、その実例は滋賀県大津市の日吉大社(御祭神 大山咋命・大己貴命)などに見られる。日吉鳥居の詳細は記さないが、奴禰鳥居とペアで覚えるのが良いだろう。
所在
 ①京都・錦天満宮 日ノ出稲荷社
 ②京都・伏見稲荷大社 間ノ峰荷田社

錦天満宮 (錦天神・錦天満神社)
御祭神 菅原道真公
京都市中京区新京極通四条上ル中之町五三七
神紋 梅鉢

錦天満宮 (錦天神・錦天満神社)
御祭神 菅原道真公
例祭 五月二十五日・十一月二十五日
神紋 梅鉢 末社 十社
 錦天満宮は、菅公を祭神とし、もと京六条河原院に祭祀されていたが、豊臣秀吉の都市計画により天正十五年、都城鎮護の名のもとに洛中の社寺が東の京極へ移された時、現在地へ移り、その後四百年間、崇敬者によって祀られてきた。明治五年新京極ができ昔日の狐狸の棲家も一変したが、地元の守護神として知恵の神・文学の神・商売繁昌の神として周囲の信仰を集めている。繁華街の中央新京極通、錦通の交叉点にある神社。 (『全國神社名鑑』下巻)
アバター
2009/12/03 18:53
名古屋 豊国神社に大鳥居あり
豊国神社は社格なし?
アバター
2009/10/10 00:00
明日は鳥衾鳥居を見学に行きます。
アバター
2009/09/27 12:56
唐破風鳥居 3例目発見

熊襲の穴

鹿児島県の妙見温泉、妙見石原荘の西側200mの崖山(石原荘敷地内)に熊襲の穴という洞穴があり、次のような案内板が立ててあります。

『熊襲の穴は、この地点からおよそ5mのところにあり、昔熊襲族が居住していた穴で、熊襲の首領・クマソタケルが女装したヤマトタケルノミコトに誅殺(ちゅうさつ)されたところで、一名嬢着(じょうちゃく)の穴ともいわれます。』
すなわち、ヤマトタケルノミコト(第12代景行天皇の皇子)の熊襲征伐の舞台になった場所。

この穴の入り口に何と、珍しい唐破風鳥居が立っています。

今度機会があれば、行って見よう
http://yoshiko2.web.fc2.com/kohun17.html

アバター
2009/09/20 08:53
朝からTV観て、絶叫

福井県坂井郡三国町

雄島の大湊神社の鳥居が、「中山鳥居」しかも台座のある亜種!!!

まあ、普通の台座鳥居が貫の柱外が左右とも脱落せしモノであろうと思うたが、
ネット上で画像検索する限り、柱の外側に貫の為のホゾ穴が見えないような。

本当に台座のある「中山鳥居」亜種なのか?

情報ある人は、一報を願います。
アバター
2009/08/28 18:20
鳥居改め猫居


本日、下関で最上位経王大菩薩という神社?を見つけまして、
参道途中にある稲荷の鳥居の笠木右上に

猫が~

「あんた、また器用にそんなところで寝て~」と声を掛けたら、起き上がって警戒モード。

この鳥居くぐらば、その喉笛喰い切ってやるわ~

位の、気合入った睨みを食らいました。


鳥居とは、鳥が居る(留まる)から鳥居という、という説がありますが、
今日からは猫が上るので、猫居と改めたいと思います。

いやあ、神社にはあちこち随分参りましたが、鳥居に猫が上っているのは、
初めて見ました。

一旦は鳥居から降りちゃたんだけど、帰りに見ると、また上っていたから、
お気に入りの場所の様子。

今度、カメラを携えて、撮影を試みたいと思います。
アバター
2009/08/26 22:13
三柱鳥居を見に行ったら、三輪鳥居も見つけちゃったよ。

墨田区は怪しい!

三柱鳥居→三囲(みめぐり)神社

三輪鳥居→牛嶋神社
アバター
2009/07/18 19:17
久々に鳥居ネタ。

夏のコミックマーケットのカタログ。
この夏の表紙に鳥居が描かれています。

これは朱塗りの台輪鳥居。
柱の根元が見えませんので、根巻き鳥居かどうかは、判断いたしかねます。

稲荷鳥居では?とのご指摘があるかもしれませんが、笠木が黒ではありませんので。

描かれている黒いのは屋根ですから。
アバター
2009/06/05 12:54
『鳥居の研究』(根岸栄隆)によれば、

京都の三鳥居

安井金比羅の角柱鳥居
御所厳島神社の唐破風鳥居
北野天満宮伴氏鳥居

と、京の三珍鳥居とは、異なっております。

天照御魂神社の三柱鳥居と安井金比羅の角柱鳥居が入れ替わってますね。
アバター
2009/05/29 19:05
下関に日本一の鳥居?

下関の生活情報紙を読んでいた所、驚くべき事が書かれていた。
私の住む下関に日本一の鳥居がある?!

それは下関市唐戸にある亀山八幡宮。国道九号に面した石段参道下にある一ノ鳥居(明神鳥居)。
高さ十二・七米(メートル)、幅十五・一五米、柱直径一・二米、総重量五十屯。

何が日本一なのか?

それは「御影石(花崗岩)製」として日本一の高さなのである。

ほんとかよ、今まで知らなかった。
『鳥居考』を紐解いて見ると「鳥居の背くらべ」で花崗岩製の鳥居では、神戸・別格官幣大社湊川神社の明神鳥居が高さ、十二・四二米とある。なるほど、これを抜いて日本最大だ。

湊川神社の物の後に造られたのか、と言うとそうではない。湊川は昭和十二年製、亀山は昭和八年製だ。
情報収集に引っ掛からなかったのかも知れない。残念な事だ。

亀山の鳥居は、山口県周南市、徳山沖の黒髪島産の白御影石製で、柱は継ぎ目無しの一本もの。

亀山宮と書かれた掛額は、縦三米、横一・五米で、約三畳分の大きさという。
陰刻された「山」の字の左下角に野球のボール(軟球)が挟まっており、「野球の神降臨」と言われて市内の高校野球児がお参りにくるとして、新聞にも乗り、TVでも放映され、見られた方も居られるかもしれない。

以前頂いた由緒書きを見ると、確かに日本一の大鳥居と説明が書いてあった。私の目は節穴だ。

亀山八幡宮 関の氏神
別表神社
祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇
山口県下関市中之町一-一
アバター
2009/05/24 17:35
鳥居の背くらべ (四)

平成二十一年度版 鳥居の背くらべ

(一)熊野本宮大社 大斎原大鳥居
   旧官幣大社 鋼鈑製明神鳥居
   高さ三四米 昭和五十九年

(二)大神神社大鳥居
   旧官幣大社 鋼鈑製明神鳥居
   高さ三二・二米 昭和五十九年

(三)平安神宮大鳥居
   旧官幣大社 鉄骨鉄筋コンクリート製明神鳥居
   高さ二四・四二米 昭和四年

ってことでしょうか?!

この他に大鳥居があることを御存じの方は、御一報下さい。
アバター
2009/05/24 17:34
鳥居の背くらべ (三)

熊野本宮大社 大斎原(おおゆのはら)の大鳥居

旧官幣大社
鋼鈑製明神鳥居 高さ三四米 昭和五十九年

 熊野本宮大社は熊野川、音無川、岩田川の合流地点の中洲に鎮座していたが、明治二十二年の大洪水にて社殿が流出。現社殿は高台に再建されている。元の社殿が建っていた場所が大斎原である。

 その大斎原の入口に建つのが、大斎原大鳥居。額束と接する島木側に八咫烏が描かれた金紋飾りが取り付けてある。鳥居下の看板によれば、高さ三四米と、国内最大。これにより平安神宮大鳥居は順位三位に甘んじることになった。
 こちらの鳥居も大神神社の大鳥居同様、艶消しの薄墨(ガンメタル)な色合いで、重厚。掛額の無い、一般的な明神鳥居。

 大鳥居は田園が広がる平野部にあり、周りに比べる物が無く、パッと見ではその大きさが漠然とし過ぎて、巨大さの実感が薄れてしまう。

 三本足の烏、熊野信仰のイメージキャラクター(?)八咫烏の「がーちゃん」(某サークル命名のニックネーム)がくっついているのが、ニクい。

日本一大鳥居建立の意義
(前略)
熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は、平成十二年五月十一日です。
(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル
 日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や、素盞鳴尊を祭るここ本宮(熊野)、大国主尊を祭る大社(出雲)を始め、たくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること、つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。
(看板より)

熊野本宮大社
旧官幣大社
祭神 本宮 上四社(主祭神 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ))
    大斎原 中四社・下四社
和歌山県田辺市本宮町
神紋 八咫烏・三つ巴
アバター
2009/05/24 17:30
鳥居の背くらべ (二)

大神神社大鳥居

旧官幣大社
鋼鈑製明神鳥居 高さ三二・二米 昭和五十九年

 近鉄大阪線の車窓からも見える、巨大鳥居。看板によると耐候性鋼鈑は表面に錆層が形成され、それが塗装のような役割を果たして耐食を有するとしている。艶消しの薄墨(ガンメタル)な色合いが、一種重厚な風合を出している。悪くいえば、軍国主義的な印象が頭を掠めなくも無い。掛額の無い、特に飾りも無い、一般的な明神鳥居である。大鳥居を通して、神体山である三輪山をのぞむロケーションは申し分ない。

 大神神社大鳥居 概要
 当神社は、我国最古の神社にして、大和国一の宮である。
 去る昭和五十九年十月十三日の昭和天皇陛下の行幸・ご親拝を記念、また、ご在位六十年を奉祝し、この大鳥居を建立した。(略)
大鳥居の概要は左記の通りである。

一、高さ 三二・二メートル
(略)
一、本体総重量 一八〇トン
一、材質 耐候性鋼鈑(略)
一、耐久性 一、三〇〇年
(後略) 大神神社社務所
(看板より)

 さすが、大神神社だ。すごい。平安神宮大鳥居を八米も上回っていたのであった。平安神宮、早くも首位を譲ってしまい、残念。

大神神社
大和国一宮 旧官幣大社
祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
    配祀 大己貴神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)
奈良県桜井市三輪1422
神紋 五七の桐、三つ巴、三杉
アバター
2009/05/23 21:16
鳥居の背くらべ (一)

平安神宮(京都)

 先日、京都・平安神宮に行ったので、大鳥居について紹介しようと思う。
旧官幣大社 鉄骨鉄筋コンクリート製明神鳥居 高さ二四・四二米 昭和四年

 総身丹塗りで、笠木・島木・貫の鼻、および柱の上部に鍍金飾り金具(意匠金属)が取り付けられている。また、島木に柱との接点上部と、額束との接点上部に金紋飾りが取り付けてある。高さ重さともかなりの構造物であるから、見た目には柱の太さが目立つ。
 鳥居の下に行けば、鳥居のことについて書いた看板か何かあるかと思ったが、残念ながら無かった。そこで、文献からデータを拾ってみる。
 高さ二四・四二米、昭和四年製。鉄骨鉄筋コンクリート製明神鳥居 柱は鉄筋コンクリート、笠木等の横木及び額束は鉄骨構造で鉄網にコンクリート塗りとしている。昭和三年着工で昭和四年竣工。建設工事費は当時の金額で約二万八千五百円という。現在の貨幣価値に直すと幾らになるんだろうね?柱は円筒形構造で、内部に梯子が架設されているという。確かに柱の外側に扉があった。

 昭和十八年『鳥居考』によれば、平安神宮大鳥居が「これぞ日本一の大鳥居」としている。さらに「鳥居の背くらべ」として、当時の高い順を官社と官社以外で表に列記している。ここでは官社の別なく、高い順に並べて紹介すると

(一)平安神宮(京都) 旧官幣大社
   鉄骨鉄筋コンクリート製明神鳥居 高さ二四・四二米 昭和四年
(二)豊国神社(愛知)
   コンクリート製明神鳥居 高さ二四・二四米 昭和四年
(三)出雲大社[杵築大社](島根) 旧官幣大社
   鉄筋コンクリート製明神鳥居 高さ二二・七二米 大正四年
(四)靖国神社(東京) 旧別格官幣社
   鉄青銅製靖国鳥居 高さ二一・二一米 大正十年
(五)厳島神社(広島) 旧官幣中社
   木造(樟)両部鳥居 高さ一六・一五米 明治八年

 恥ずかしながら、当時二位の豊国神社については見識が無かった。まだまだ神社については勉強不足の感が否めない。

 さて、現在、平成の世ではあちらこちらに大鳥居というものが建立されているので、この順位も随分替わってしまっていることだろう。新興勢力の大鳥居については、後々、紹介しよう。平安神宮大鳥居は首位を明け渡してしまったのかどうか。
アバター
2009/05/16 17:41
鳥居の知識を深めるブックガイド

『鳥居 百説百話』川口謙二・池田孝・池田政弘 東京美術(昭和六十二年1987)

『鳥居考』津村勇 内外出版(昭和十八年1943)

『鳥居の研究』根岸栄隆 厚生閣(昭和十八年1943)
アバター
2009/05/16 17:40
宗忠鳥居

 神明系の宗忠鳥居。
これは柱と笠木が丸太材で作られ、貫だけが角材になっている。貫の両端が柱の外に突き出ている、すなわち貫の出がある。笠木の鼻は斜めに切り落とされた襷墨、貫の木鼻は垂直に切られた堅水。笠木と貫の間には額束があり、全身は朱塗りの仕上げになっていることが多い。柱の転びは文献によって転びの有無を言及していないものもあり、あまり関係無いよう。

 この鳥居を神明系の派生過程で系統立てて説明するならば、本来丸太材だけの神明鳥居が角貫になって靖国鳥居となり、その貫が柱外に突き出して鹿島鳥居に。さらに額束が加わったのが宗忠鳥居である。但し、鹿島鳥居の笠木鼻は原則襷墨だが、宗忠鳥居の笠木鼻は文献によって堅水と襷墨の二種類がある。

 宗忠の称は、教派神道十三派の一つ、黒住教を開いた黒住宗忠の名による。その教祖宗忠大明神を祀る京都神楽岡の宗忠神社(主神天照大神、配祀宗忠大明神)に発祥するものであったが、現在ここに宗忠鳥居はなく、隣接する吉田神社境内の祖神社に石造の小さな宗忠鳥居があるという。しかしこの形状は全国の小祠、殊に稲荷の祠に白木のや朱塗りのが散在しており、宗忠神社のものが広まったというよりは、全国的にあったものが、比較的大きな鳥居を建てた宗忠神社の称が与えられたものではないかと考えられている。

 下関市彦島福浦の金刀比羅宮稲荷の鳥居は、笠木・貫の鼻および柱の根元に腐食防止のための銅板が巻かれて黒色に塗られており、宗忠鳥居の変形ということになるかもしれない。全身の朱塗りにこの黒がアクセントとなって、面白い表現だと思う。

 他にもこの手の鳥居が壱岐にあったはずと、写真を引っぱり出して見たら、芦辺町の左京鼻龍神と月読神社の石祠前の鳥居が両方とも、笠木鼻が襷に切られて台輪もついている亜種だった。全く、小祠の変形鳥居は侮れない。
アバター
2009/05/16 17:39
肥前鳥居と台輪鳥居

 肥前鳥居の特徴は、柱が極端に太く、その柱が二本ないし三本継ぎになっている点。台輪は鳥居によって有ったり無かったり。

 肥前鳥居の一属流だといわれる福岡県筥崎(はこざき)宮の筥崎鳥居(一ノ鳥居)はその笠木・島木の形状がなまこに似ているとして、なまこ鳥居の称も有る。ニュルっとした感じが当たらずとも遠からず、か。

 さて、台輪鳥居であるが、柱の頭部に台輪を挟み込んだもので、その台輪も円柱や薄いものは円盤、果ては方形、八角柱、楕円形などなど色んな形状を有しており、風変わりな形状の台輪を見つけるのも楽しみの一つとなるだろう。

 しかし注意しなければならないのは、台輪が有れば台輪鳥居と即断できない点である。

というのも、稲荷鳥居に藁座(根巻)鳥居、両部鳥居などにも台輪がついていても台輪鳥居と呼ばれず、各々の名称で呼ぶからである。台輪は鳥居の形式決定の要素としては弱く、他に形状を決める要素があれば、そちらが優先される訳である。即ち台輪鳥居は明神鳥居に台輪が有るもののみを指すことになる。

 余談だが、この台輪というもの、明神系だけでなく、神明系鳥居でも付いていることがあり、栃木県大谷に山神社の靖国鳥居には笠木と柱の間に円盤形の台輪表現があるそうなので、神明系鳥居であっても台輪の有無には注意を払わねばならない。
アバター
2009/05/16 17:37
明神鳥居

 仏教建築の影響による曲線表現が、流造や大社造の本殿に対応して、この鳥居に反映されて取り込まれ、曲線のフォルムになっている。日本的な、洗練された一つの完成形。ほとんど全国的に見られる標準的な鳥居と言えるだろう。

 しかしこの標準的というのが曲者であって、おぼろげに形を覚えて神社に行って見ると、大体みんな明神鳥居に見えてしまう。これは明神鳥居だ、と早合点して家に帰ってよくよく考えてみると、各部の形状を見落としてはいないだろうか、根巻があっただろうか、台輪があったのではないか…と色々気になって、果たして本当に明神鳥居だったのだろうか、と心配になってくる始末。

 基本型だからこそ、ここで各部の名称、形状をしっかり覚えてもらいたい。

http://plaza.rakuten.co.jp/yamikagi/diary/200905160000/

 まずは柱の上に二本の横木がある。最上部に横たわるのが笠木、下の方を島木という。笠木・島木から離れて、ちょっと下にある横木が貫。明神系は笠木・島木の両端が反り上がっていて曲線形になっている。この反り上がりを反り増しという。笠木や島木、貫が柱の外側に出ている部分を柱外(はしらそと)とか出(で)という。笠木の出、貫の出などという。さらに出の先端を木鼻、略して鼻という。鼻は垂直に切るのと、斜めに切る二形式があって、垂直は堅水(かたみず)または水切り、斜めは襷墨(たすきずみ)、単に襷(たすき)という。明神鳥居は笠木・島木とも鼻は襷、貫の出が有り、貫の鼻は堅水。島木と貫の中央部に垂直の支えがあって、これを額束(がくづか)という。この額束には神額を掲げたり、社名を刻んだりする。島木と柱の間には台輪が無い(有れば台輪鳥居になる)。二本の垂直の柱は少し足を広げたように傾斜していて、これを柱の転びという。

 この各部の名称、形状をしっかり頭に叩き込んで基本型としておけば、違っている箇所を手掛かりに鳥居の形式を判別すれば良いのである。
アバター
2009/05/16 17:35
(硬い物言いになっていますが、ご勘弁願います。)

鳥居について

 神社のシンボルともいえる鳥居の種類は、人にも依るが三十から四十もあり、『鳥居の研究』ではその数六十四を挙げている。中には現存しない絶滅種もあるので、全てを覚える必要もないだろうが、二、三十は知っておきたいもの。

 入門書としては『神社の見方』で各種の鳥居をイラストで紹介し、イエスノー式で一般的な鳥居の見分け表(十三種)があるので便利である。しかしこの見分け表を持って神社に行っても、すぐに見分けられるというわけではなく、鳥居各部のチェックポイントをしっかり見極めなければ、判断に時間が掛かってしまって、実にもどかしい。出来れば参道を歩いている間の時間で◯◯鳥居と判断したいものである。チェックポイントを押さえるには、絵または写真があって解説がしっかりなされている本が良い。

 平易な現代文の『鳥居 百説百話』が読み易いが二十二種プラスα。文語調、旧漢字で少々読みにくくさらに分厚いが『鳥居の研究』『鳥居考』(ともに昭和十八年)はやはり読んでおいた方が良い。各研究者の分類の違いや特徴の捉え方を見比べると、鳥居に断然強くなれる。  私はチェックポイント十一項目を表形式にしてマトリックスで違いが判る表を作って見た。こんな風にやらないと三十を認知するのは難しいかもしれない。
アバター
2009/05/16 17:31
鳥居の各部名称について、画像を載せました。
こちらには画像を貼られませんので、申し訳ありませんが、下記アドレスにアクセスしてください。

http://plaza.rakuten.co.jp/yamikagi/diary/200905160000/

各部名称がわかったところで、鳥居の解説と行きます。



管理人
陰陽師★瀬織津
副管理人
宇治の愛し比売
参加
受付中
(今すぐ参加可能)
公開
全公開
カフェの利用
朝10時~夜24時
カテゴリ
その他
メンバー数
31人/最大100人
設立日
2009年03月02日

Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.