神仏混合
- 2012/08/20 18:30:19
投稿者:(o・ω・o)
明治以前までは神仏混合の為、
お寺の中に神社があり、
神社の中にお寺があって当たり前でしたが
明治初期の慶応4年(1868)3月28日、
維新政府は神仏混合を禁止し、
寺院と神社を分離するように命じる神仏判然令を出しました。
神社にあった寺院の多くは破壊され、
寺院の中の神社は移設された
明治維新後の弾圧運動1世紀半近く経ちますが、
現在でも神仏混合の名残が見受けられる
神社や寺 (神社に鐘がある。お寺に鳥居がある等) の場所が、
日本全国に僅かに残されています。
塔婆=ストゥーパ=卒塔婆!!
なぜか、卒塔婆小町。
私の田舎は卒塔婆を立てる風習はないのです。一度は卒塔婆、立ててみたい。
関東に行って、卒塔婆がいっぱい立っているのを見て、びっくりしました。
卒塔婆流しー平家物語、ああ。
お参りしてるよぉ【*゚ー゚】
お寺で毅然と蹲踞している狛犬さんとか。いや、メッチャ、可愛い。
一宮の別当寺だったり、それが今だに隣り合っている。
一宮にいた佛さんが、別当寺の本尊になってしまったり。
元々八十八ヶ所に含まれていた神社が抜けて、お寺が昇格されたり。面白いよね。
神仏習合、それは良き日本の名残と思っています。
神仏、それは同レベルで語って良いものだと思います。
本地垂迹とか、難しいことはさておき。どっちが上とか、下とか、いうこと自体、日本らしくない。
ちなみにJR豊川駅の立ち食いうどんは煮しめた揚げを入れ放題で、美味かった!
豊川も伏見も最上も、稲荷は皆好きです。
最上は、新宗教系の妖しさを持っているけれどね。
神社ではなく「妙厳寺」という曹洞宗のお寺です。
神仏判然令の際、豊川稲荷は通称であり、
白狐は仏法守護の善神である豊川ダキニ真天の眷属(従者の意味)と抗議し
稲荷堂をそのまま寺院鎮守として祀ることが認められ、
形式的にはあくまで寺院でありますが、仏式を廃した伏見稲荷に代わり、
ダキニシンテンを祀る稲荷系寺院の本山的存在となり現代に至っています。
豊川稲荷の総門扉は大きな欅の一枚板でできており、
この総門扉を過ぎ参道を歩くと、神社と見間違える感覚になり、
狛狐と鳥居が見えます。この鳥居の梁の両側に卍の紋が彫ってあり、
神仏混合した珍しいお寺の鳥居があります。
自分もお寺ではなく、神社だと思えるほどで、
本殿に参拝に来た方々を見ると、お賽銭を投じた後に柏手を
している方が見受けられ、
神仏混合の古い形を感じる事が出来ました。