「神社に行ってきました」
- 2009/03/22 00:51:36
投稿者:陰陽師★瀬織津
貴方の神社参拝記録をお書きください。
畏まったものではなく、参拝の感想とか、メモ書きと思って、気楽に書き込んで頂ければ、と思います。
他の方の参拝に対する感想や意見もバンバン書き込んじゃってください。
貴方の神社参拝記録をお書きください。
畏まったものではなく、参拝の感想とか、メモ書きと思って、気楽に書き込んで頂ければ、と思います。
他の方の参拝に対する感想や意見もバンバン書き込んじゃってください。
家庭用サイズ茅の輪って、手のひらサイズってことですか?
自分で編むなんて、はじめて聴きました。出来ると楽しいかも。
牛頭天王(スサノヲノミコト)が伝えたとされる茅の輪。
本当はずっと身に着けておかないといけないんですよね。
腰に下げて歩くのが、おしゃれかも(笑)
タイミングを少しずらして夕方とはいえ早めに行ったためか、参拝客は少なめ(去年は行けなかったので一昨年との比較ですが)
縁側?で、茅の輪(家庭用サイズ)を編んでいる人もチラホラと。
…一般的に、茅の輪って自分で編むものなんでしょうか…?(私は編み方知らないので自作は諦め購入しました)
昔は神宮っていう名称は伊勢神宮だけに使われていたので。
だから、東京の神宮外苑って、違和感あるのよねえ、わたしには。
御祭神:
天照皇大神(あまてらしますすめおほみかみ)を伊勢神宮の内宮
豊受大神 (とようけのおほかみ)を外宮より
明治六年七月奉迎
相殿神:
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冊尊(いざなみのみこと)
八柱大神=神皇産霊神(かみむすびのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、
魂留産霊(たまつめむすび)、生産霊(いくむすび)、
足産霊(たるむすび)、大宮売神(おほみやのめのかみ)、
御膳神(みけつかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)
大地主神(おほとこぬしのかみ)
倭比売命(やまとひめのみこと)
崇敬者の祖霊
…こじんまりしてる神社だったのに、御祭神が豪華すぎて調べて驚きました…(^^;
瀬織津めは、旧暦正月に参詣しようと思っています。(毎年の事ですが)
っていうか、例年通りなんだけどねぇ(=^.^=)
3日は諏訪大社四社に参拝したよぉ♪
靖国は車で参拝しようとは思ったけど、
緊急事態宣言が出そうだし、会社にばれたら怒られそうなんで、
梅雨時まで延期することにしたんだ(´・ω・`)
四条寺町を下って(藤井大丸の角を曲がる、と言った方が地元の人にはわかるかも)、京都大神宮という神社にお参りしてきました。
御朱印帳にアニメ絵の巫女さんがプリントされていたり、その巫女さんのキャラクターのお守り?があったり、絵馬にもアニメ絵プリントがされていたりして、何だか不思議な感じでした…
ご祭神
綿津見三神(表津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神)
相殿 神功皇后、応神天皇、比売大神
鎮座地
福岡市東区志賀島(しかのしま)
鹿角(ろっかく)堂
祭事で使う鹿の角がびっしり入っている。ぱっと見、不気味。
しかのしまだから、鹿なのかしら?
ご存知、神功皇后三韓征伐に端を発する神社とお見受けする。
パワースポットらしい(笑)
祭神不明なんて、ぞくぞくしますね。
大神宮って言うからには、伊勢系か、稲荷系か、人神系か?はたまた、流行神か。
教派系神道とお見受けいたしまする。
マニアックなところを参拝なさりますなあ。
祭神は不明
岡山県高梁市成羽町吹屋
ベンガラ漆喰壁の赤い街なみの吹屋ふるさと村(国の重要伝統的建造物群保存地区)の直ぐ側に大鳥居があるお社がありました。
検索すると教会と出てきたので神道系宗教のようでした。
建物全てが比較的新しいものでした。
イノシシを食べてないんだ( ´ー`)
木曽神社近くの大滝食堂のイノブタ丼は食べてるんだけどねぇ(^-^;
晴明神社の近くなんでどうしてもお参りしたくなっちゃうんだ☆
おかげで足腰は丈夫で御嶽への登山参拝もできて嬉しいんだ(o^-^o)
鹿島は朝市で参拝したらレクサスの黒で来ていた厳つい集団が御祈祷を受けていたよぉ(=^.^=)
こちらでは地震のお守りをお受けしてきて神棚に供えてるんだ♪
鹿島神宮
祭神 武甕槌神
常陸国一ノ宮 茨城県鹿嶋市
旧官幣大社
入り口の大鳥居(一の鳥居)には年末年始のため、露店が立ち、いい写真が取れませんでした。あー、せっかくの鹿島鳥居なのに~。
参道を進み、楼門をくぐり、右側本殿前の拝殿で参拝。拝殿前には普通の明神鳥居が建っていました。(なーんだ、つまんない)
さらに奥の奥宮に参拝するため参道を進むと空気が一変。さすがは神霊が増します、これぞ聖域。一ノ宮の威厳をピリピリと感じます。
奥宮の社殿は一般的な流造り。参拝者が並んでいたので、少し待って参拝しました。
奥宮から右奥の要石へ。要石は鯰の頭を押さえて地震を防いでいるというもの。他の方は皆参拝してました。え、要石って拝むもの?私は拝みませんでしたが。ここで、小さな鹿島鳥居の写真が撮れました。よかった。
一旦奥宮に戻って、今度は左側にある御手洗池へ下っていきます。「ハーハー」言って坂を登ってくる帰り客がいるので、帰りはつらそう。御手洗池もきれい。写真を撮りました。
傍の茶屋で売っていた御手洗団子は高~い。食べませんでした。
帰りは御朱印を頂きました。ここは本宮と奥宮の2種があります。「常陸一ノ宮」と書かれる本宮の御朱印をいただきました。2種の御朱印を頂く人が多いようです。
天気にも恵まれ、清々しい参拝となりました。
こじんまりしている神社の為か人が少なくて焦らず参拝できて落ち着いた雰囲気でしたね。
…ちなみに天神さんの近所にある護王神社は猪に因んでいる為か神社の外に長蛇の列が出来て参拝できませんでした…;;
正式には元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)だった?
駐車場が有料に(普通車300円)昔は無料で数台置けるくらいだったのに。今は立派な駐車場。
拝殿に列。列。列。あー、列に並んでまでお参りできない。居並ぶ人々は何を願うのか?
月曜日なのに、この人の多さはどうだ!土日だとどうなってしまうのやら。
流行り神の勢いを目の当たりにした。
何でも稲荷を取ったそうだ。元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)。
稲荷神じゃなくなったってこと?
大体、そもそもの祭神はどちらさまで?
太皷谷稲成神社(島根県津和野町)から分霊だそうで。稲荷神ジャン。
両部鳥居亜種。
そもそも両部鳥居は柱頭に台輪があるのが本式だが、ここの鳥居にはない。
どこでこんな鳥居を見てきたのか?設計者の神経を疑う。(鳥居ファンはうるさいよー)
長い社名が外国人にわかりにくいから、社名を元乃隅神社に改名。
なにやってんだか。
これもグローバル化か?
本物の日本通が知ったらさぞ悲しむのでは
二十歳の記念にと母に連れて行って貰ったのですが、
古いお宮と新しいお宮が並ぶ姿が見られて感激(>ω<、)
流石に遷宮真っ最中でしたので人で溢れかえっていましたが、
古いお宮は来年の三月頃?まで見られるようなのでその頃には少しすいているのでしょうか。
次は旅行資金を貯めて行きたいなと思います(*´艸`*)
遠州三山と方広寺行って来ました^^
萬松山可睡斎ではランチに精進料理もいただいて来ました^^
神社は小國神社、事任八幡宮、秋葉山本宮秋葉神社上社、下社行って来ました^^
日枝神社は山王社ですよ^^
私個人は、神田明神しか参拝したことないです。
あ、日枝神社って、山王社?そこはむかーし、行ったかも。
その眼まぐるしき変革の中に、明治天皇は、東京の鎮護と万民の平安を祈願され、明治元年11月8日、准勅祭神社(じゅんちょくさいじんじゃ)として東京十社を定め勅使(ちょくし)をして御幣帛(ごへいはく)を捧げ、ご祈願しました。
昭和50年、昭和天皇のご即位50年を奉祝して、元准勅祭神社である東京十社を巡拝する十社巡りが企画され、「東京十社巡り」が始まりました。
東京十社は以下の10の神社が指定されています。
「王子神社」 「氷川神社」
「白山神社」 「亀戸天神社」
「根津神社」 「富岡八幡宮」
「神田神社」 「芝大神宮」
「日枝神社」 「品川神社」
地図で観ると江戸城の周りに結界が張り巡らされてるんです^^
神社は小國神社、事任八幡宮などめぐろうかと思っております^^
萬松山可睡斎ではランチに精進料理も予約しております^^
遠州めぐりとは何ですか?
一宮めぐり
ちなみに大分豊後の一宮は2社あります。
最近は一の宮めぐりや^^西国。坂東。秩父100観音めぐりもしております^^
11月は静岡の遠州めぐりに行きます^^
奥の院にある、鳥居の墓場をみるために、会社をサボって、行ってきた。
京急穴守稲荷駅前にいる、狐のコンちゃんが可愛かったぞ!
春日鳥居、住吉鳥居は見たかいの?
現八坂を祇園社と呼ぶは通よのう。
八坂神社、南側の鳥居も有名。
最近寺の魅力にもひかれつつあります^^
京都^^祗園社に行ってきました^^
「宗像大社 中津宮」
宗像三女神を祀る宗像大社の中津宮は、本殿の屋根に載る鰹木が
右は円柱3本組、左は角柱3本組という、大変珍しいものになっています。
大島にあるのでフェリーで行かなくてはならないですが、一見の価値あり。
おそらくこんな鰹木は他にはないでしょう。
境内に桔梗が咲いており、神威が昂揚していたように思います。
陰陽道の陰陽五行を表すという、五芒星は、晴明神社の神紋で、神社では晴明桔梗印と呼んでいます。
レア物の桔梗お守りを買って帰りました。
最近の晴明神社をアレコレと悪く言う人も居ますが、私にとっては心落ち着く聖地です。
昨年12月30日に東京大神宮に参拝しました。
東京に行く前、地元のタウン誌で紹介が載っていたので、行ってみました。
年末にお伊勢さん(天照大御神・豊受大神)に参るのも良かろうと思いまして。
中央線・飯田橋駅下車。歩くこと数分。
手水舎に女性が数人。
拝殿前に女性が数人。
境内に女性が…
は、このお宮、女性だらけ。
今流行のパワースポットでもあるのかい?
え、縁結びにご利益あり!
うーん、良縁のパワースポットほど、最強のものはない!
個人的な感想としては、お宮が小さかった。地元の山口大神宮は内宮・外宮の二殿があり、遷宮の敷地まで完備という徹底振りで、伊勢以外の神明系としてはかなりの規模を誇ると思われます。
山口にお越しの際は、是非参拝を。
八神社由緒
京都市左京区銀閣寺町二十七番地一、
御本殿当社、延喜年間若しくは大同年間の創立と伝えられる。
然し所傳焼亡し明らかでない。往古は八所大明神十禅師(じゅうぜんし)大明神と称す。
八所大明神は高皇産靈尊(たかみむずびのみこと)外七神を祀る。
十禅師大明神は、樹下社(じゅげしゃ)と称し豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)を祀る。
本社の大神様は万物を生み育て繁栄させると共に人の心を清め、正しく導き、お守り下さる神様で旧浄土寺村の總氏神(そううじがみ)として崇敬されている。
一、境内社
稲荷社、創立年代不詳、五穀豊穣を司る稲倉魂命(うがのみたまのみこと)を祀る。
雨之社、創立年代不詳、山林水を司る。高お神(たかおかみ)を祀る。
一、恒例祭
月次祭 毎月一日、十五日 元旦祭 一月一日 祈年祭 二月二十四日
春 祭 四月二十四日 夏越祓 六月三十日 雨之社祭 七月二十日
例 祭 十月二十四日 七五三詣 十一月十五日 新嘗祭 十一月二十三日
稲荷社御火焚祭 十一月二十三日 大 祓 十二月三十一日 除夜祭 十二月三十一日
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
参考にデータがあったHPのアドレスを載せておきます。
http://www.kamimoude.org/jinjya/kyoto-city/sakyou/sa-hachi-g/index.html
http://www.kyoto-yashiro.jp/shuin/syuin/hachi.html
京都市左京区銀閣寺町
先般、京都の慈照寺(銀閣寺)を訪ねた時に、手持ちのガイドマップに「八神社」の字を見つけた。
「ん?八神社?八?八方位?大将軍八神社と関係でもあるの?」とたちまち疑問がわきあがり、銀閣寺参拝のあとに立ち寄ることにした。
銀閣寺前を左に折れると、一の鳥居が見える。一の鳥居から銀閣寺参道を振り返ると、行き交う人の列が見えるのに、その喧騒がまったく届かない。
そぼ降る雨で、周りは無音状態。「あ、ここは俗世との結界になってる」と思いました。
手を伸ばせば、賑わう人の群れがあるのに、ここには静寂しか存在していない。
八神社参道の階段脇、右奥に摂末社が見えました。
何の神が祀られているのだろうと、鳥居の掲額を見ると「雨社」。
その字を認めた刹那、背筋がゾクッとしました。
(あ、ここ、神霊が居らっしゃる)と直感しました。
わたくし、神霊の存在は冷気とかで感じ取るみたいです。
そう、冷気は霊気に通じる。
導かれたその日が雨降りだったので、興奮は相乗効果。
ま、まずは本社、参ってくるから、と一旦は階段を上がりました。
本社の前には舞台があり、中々の古社であるようです。
境内の案内板にある由緒より、八神は方位神ではなく、宮中八神を祭っているので八神社と称になっているようたけど、末社の雨社は大発見です。
その雨社の御祭神は、タカオカミの神。
貴船に祭られている、水を司る神様ですね。
銀閣寺のそばに、かような聖域の古社が存在するとは、やはり、都は侮れない。
末社 雨社
二の鳥居の横の手水舎の後方に鎮座する 祭神:高お神(たかおかみ)
本日、連れが黄幡(おうばん)神を祀った神社に連れて行ってくれるというので、黄幡(おうばん)神について少し解説します。
黄幡(おうばん)神
羅睺(らごう)星、陰陽道で言う八将神のひとつ。羅睺星は想像上の星で、暗黒星と考えられた。
月日の光を覆って食を起こすといわれる羅睺星の精で、大歳神(木星の精)の墓であるという。土を司る凶神である。
摩利支天ともいう。従って黄幡神の位置する方向に向かっての建築、移転、門造り、井戸掘りは凶であるが、武芸始め(弓始め)には、この方角に向かって射れば吉とされている。
暦本には「むかひて弓はしめよし(向かいて弓始め良し)」とある。また金銭の授受を凶とするものもあるが、これは黄幡と黄金が結びついたものか?
さらに万物の墓の方位ともいわれる。所在する方位は四つで、四年ごとに回ってくる。
子年―辰、丑年―丑、寅年―戌、卯年―未
辰年―辰、巳年―丑、午年―戌、未年―未
申年―辰、酉年―丑、戌年―戌、亥年―未
どんな神社か、楽しみだな。
おそらく江戸時代からある、なかなか大きな神社であった。
がしかし、道案内がまったく無く、相当道に迷った。
一般向けではないってこと?(でもカーナビや地図には載っているんだが)
奥の院があり、滝の修行場があった。(まあ、修験系だわね。大師さんも祀ってあるし。)
霊場特有の冷気でピリッとした。
霊気か?
なぜ、霊場は冷い?結界が張ってあるから?(私は霊気で神聖地を判断)
私の後に来た参拝の女子は、相当熱心で、拍手が山に響くくらい叩いておった。すごいな。
石鎚教の信者さん?
一見さんのワシは、お邪魔じゃったな。
田主丸の河童巡りの仕上げとして、河童になった?二位の尼を祀る久留米の水天宮に行った。
もう、夕方ギリギリだったので、お参りしか出来なかったけど。
覚えとしてHPより情報写し
御祭神 天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) 安徳天皇 (あんとくてんのう) 高倉平中宮 (たかくらたいらのちゅうぐう) 二位の尼 (にいのあま)
明治4年現在の中央区日本橋に御遷座された現在の東京水天宮のほか、国内・ハワイ等各地に鎮座する水天宮はすべて当社を本宮とする御分霊社である。
四条通りからなら、201系統とか203系統で行けますよ~。
四条通を突きあたりまで行って、祇園から北に折れれば(途中に知恩院がありますが)…路線状況によっては5~10分位、だったかな…?
過日、大分県中津市の中津城付近をドライヴ中に発見。
「くらなしはま」と読む。
瀨織津姫神も祀る社ぞ!
看板の由緒を読むと
第十代祟神天皇の御代だの、十二代景行天皇の御代だの出てくる、超古社?
とかく、歴史は古そう。祭神も八柱書かれている。
可愛い狛犬を三対も侍らす末社などあり、にくいにくい。
詳細については調査中。
鎮座地:大分県中津市大字竜王四四七番地
これは、今まで通った事の無い路線だなあ。
市バスの地図で探さなくては!1日乗車券付録の地図で。
地下鉄東西線東山駅からでも近いですが、市バス東山仁王門バス停からだと目の前になります。
東山駅って地下鉄ですか?
今度、行ってみたいな。
何でも豊臣秀吉の天下統一を叶えたという由緒あるこの神社は、開運・商売繁盛のご利益があるとされるんだとか。
…そんな風に見えないのがまた楽し(見た目は普通のちっさい神社です)
お盆に東京、雑司ヶ谷鬼子母神に行ってきました。(まあ、お寺なんだけど)
雰囲気のある参道が○。
ナント、お堂裏に妙見菩薩が祀ってあった。
何か、妖しいところが◉
入谷鬼子母神は、建物が今風で、ちょっとねえ。
でも、芳年や国芳の錦絵が飾ってあったので良かったです。
入谷のホオズキ市を題材にした、ね
芳年のまともなご婦人の絵は初めて見た(笑)
神殿内に木造の河童像を置く。
佐嘉神社には以前、陶磁器で出来た鳥居を見に行ったことがあるが、そのような末社があったかいな。
工事のためにつくられた人形がその後、河童になったとか。
河童の起源譚として知られる話しだが、
一説に京都一条堀川の戻橋下に置かれていた安倍晴明の式神が実は木人形で、それが流れていって各地で河童になったという話があるのはご存知か?
また機会があったら、佐嘉神社(松原神社)に再拝したい。
防府天満宮略記
防府天満宮社務所
山口県防府市松崎町十四番一号
電話 〇八三五-二三-七七〇〇(代)
ホームページアドレス http://www.hofutenmangu.or.jp
社号
「天満宮」「松崎天満宮」と称していたが、明治六年臣下を祀る神社の宮号禁止により、地名にちなんで松崎神社とした。昭和二十八年全国神社に魁けて宮号を復活することを許され再び防府天満宮と改称した。
(以下略)
御祭神および由緒
当社は菅原道真公を始め公の御祖先である天穂日命・武夷鳥命・野見宿禰の四柱が奉祀してあります。
道真公は御父を是善公と申され御母は大伴氏で仁明天皇の承和十二年(八四五)乙丑六月二十五日京都の菅原院で御生誕。幼名を「阿呼」または「吉祥丸」と申され、後の人はその徳を敬慕して「菅公」と称え、古くから文教の祖神として広く敬仰されて参りました。
菅公は幼少より文学に秀でられ、御年僅か五才の時庭前の梅花を見て
美しや紅の色なる梅の花
あこが顔にもつけたくぞある
と詠まれました。
また十一才の時最初の詩 月夜見(二)梅花(一)を作られ、十八才で文章生となり、二十三才で文章得業生に選ばれ、更に二十六才で対策?に及第せられ、三十三才で文章博士等、学識愈々高まり誠直な政見によって、時の帝の親任篤く次第に高位高官に昇り、遂に五十五才の時右大臣兼右近衛大将に任じられ当代随一の学徳をもって政務を担当されてきましたが、晶泰四年正月二十五日(菅公五十七才の時)藤原氏の讒言により俄に太宰権帥に左遷せられ九州に下向されることになり、同年二月紅梅殿の邸を発たれる時、
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
主なしとて 春な忘れそ
と庭前の梅花に別れを告げられたことは余りに有名であります。
西下の途中、時の周防の国司土師信貞は公と同族であったので船を当地勝間の浦におつけになり、暫く国司の館に御滞在になりました。公は酒垂山にお登りになり、山秀水麗の勝景を深く愛でられ、
・身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ず此の地に帰り来らん・とお誓いになり、家宝の金の鮎を十二尾国司に託して淋しく旅立たれました。
延喜三年(九〇三)二月二十五日、勝馬の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引き人々を驚かせました。国司は公の異変を感じ、直ちに使を九州に遣わして公の安否を伺わしめたところ、丁度その日が公の薨去の日とわかりました。そこで国司は早速館に公の御霊をお祀りし、翌延喜四年八月今の松崎の地に宝殿を建立して松崎の社と号しました。
菅公をお祀りしたお社は日本全国津々浦々に至るまで約一万二千社もありますが、当社の創建をもって日本最古(扶桑菅廟最初)とし、北野天満宮(京都市)太宰府天満宮(太宰府市)と共に日本三天神と称せられております。
日本三天神の一つとされる防府天満宮である。御祭神は御存じ、菅原道真。
地元山口では防府天満宮は名の知られたお社だが、太宰府天満宮・北野天満宮と共に全国的にネームバリューがあるのかどうか、私には判らない(だって地元だから;みなさん御存じ?)。
従って、地元ゆえ今日が何度目の参拝になるのか検討もつかないくらい来ているのだが、改めてやって来たのはつい先日、地元ローカルの旅番組で春風楼という建物が紹介されたため。はて?そんな建物、在ったかえ?と、何度も参拝しているはずなのに記憶になく(地元民の意識とはこんなもの)、斯くして再拝の運びとあいなった。
春風楼(通称通夜堂)は昔、防長藩主・毛利斎煕が文政年間に社頭に五重塔建立を思い立って着工するも、天保年間不慮の支障に中止の止むなきに至った(おそらくは天保の飢饉等で藩財政が逼迫したためか?)。塔の一層目軒下になる組み物(斗拱:升組)をそのまま床下に組み込んで建てた、本瓦葺き入母屋造り重層の楼閣である。
もっともこの楼閣が出来上がったのは明治初年の事であるが。社寺建築に興味あるわたくしとしては、斗拱を使った、斯様な珍しき建物があるならばと、見学にいそいそと出掛けた次第。
社寺参拝をなさる方々には、斯様な斗拱の、建築の妙技も見て楽しんで頂くことをお薦めしたい。斗拱は神仏のお住まいとなる建物にしか造らない決まりになっているので、是非とも知っておきたい知識である。社寺建築を取り扱った建築関係の書物に紹介されているので、図書館等で調べることをお薦めする。
この楼閣から俯瞰する防府市の全景は、実に風光明媚なものであった。
うとう神社です。
昔、青森市が善知鳥村(うとう村)と言われた頃
奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として第十九代允恭天皇の御世に
祀られたそうです。
良いお宮さんでした。
初聞きです。
何とお読みするのですか?
ぜんちどり?
青森でも宗像三女神が祀られているのですね。すごい。
宗像参女神をお祀りされてます。
ねぶた祭で活気にあふれる通りから少し入って、とても静かなお社でした。
心がす~っと癒されました。
本殿後ろに、御池が有って、蓮?かな咲いてて、ちょっと幻想的でした。
善知鳥、不思議な響きだな。
長崎諏訪神社さんの色んな狛犬、ものすごく素敵で。
山王神社さんは、被爆クスノキのご縁で、宮司さんと
お話して、たくさん貴重な原爆投下後の記録写真を
見せて頂きました。
どちらも思い出深いです。
良いお参りになります様に。
明日、愛し比売氏と長崎諏訪神社および山王神社に。
諏訪神社は狛犬見学。山王神社は片足鳥居見学。
どちらも楽しみ。
祭神はどなたなのか?
ご存知の方は教えてください。
この前の土曜、せいる殿と参拝に行ったなり。
神社遠征、すごいですね。いつも感心して読んでいます。
籠神社は狛犬も有名です。体が大きく、頭がすごく小っちゃい「籠神社型」と言われるもので、各地に同形のものがいくつかあり、そのルーツとされてます。狛犬ファンなら、知っていて当然って所です。
福岡では、筥崎宮に籠神社型狛犬が居りますね。
豊受さんは食べ物の神様で、稲荷でも祀られていたりして、ちょっと不思議な神格だと思います。
2つめのパラグラフから察するに、このお宮さんには磐座(いわくら)があるのですね。
磐座は、まさに、古代祭祀場ですね。
眞奈井神社、天の真名井ってことですよね。神気がすごいのかあ、行ってみたいなあ。
奥宮の眞奈井神社さんは、磐座がご神体で、豊受大神さまが主祭神です。
とっても、古いお宮さんです。
徳島の山奥のお宮さんでも、この様な感じの磐を組んだお社にお参りしたことが有ります。
古代祭祀の形態みたいです。
眞奈井神社さんは、三度目のお参りで、やっぱりすご~いご神気でした。
天橋立にお越しの際は、是非、お参りして下さい。
御祭神 豊受大神、大國主命、稲生武太夫公霊神
御由緒 浅野公が広島入府の際、勧請し、当稲生(いなり)神社は豊受大神・大國主命・稲生武太夫公霊神をお祀りしています。五穀豊穣・商売繁盛・厄除けの神様として四〇〇年の歴史をもち広島のお稲荷さんとして親しまれ崇敬されてきました。特に享保十八年六月十八日広島大火災の時、稲生神社と大工・忠七(信仰厚く稲生社の世話人)の家が類焼をまぬかれたことから火災除けの神様としても篤く信仰されています。また、稲生武太夫公は、強く勇敢な妖怪退治と知られ、人々を守ったことから魔除け・強運を招く神様ともいわれています。
鎮座地 広島市南区稲荷町
稲生物怪物語で有名な、稲生武太夫公(稲生平太郎)を御祭神としている神社。
「いのう」ではなく、これで「いなり」と呼びます。
広島をドライブ中、偶然見つけた神社です。
稲生?いのう?稲生物怪録か!とピンと来ました。
広島の町のど真ん中にあります。広島駅南口から歩いて14、5分か。確か、荒俣宏の『日本妖怪巡礼団』でも紹介されていた神社のはず。
残念ながら稲生物怪録の魔王山本(さんもと)五郎左衛門から渡された木槌を収めている所ではありませんが、拝殿内に木槌のレプリカ?がありました。
幟とか提灯に奉納者として水木しげる荒俣宏京極夏彦の名前があったよ。うーん、何か複雑な気分。商魂逞しい(この御三方が)というか、食い物にしているというか。
この他、被爆したお狐像という売り?もあります
御神職不在で授与品および御朱印は手に入りませんでした。残念。
水天宮の祭神は天御中主大神 (あめのみなかぬしのおおかみ)ですか。なるほどー
香椎宮 勅祭社(福岡県福岡市東区)
住吉神社 筑前一ノ宮(福岡県福岡市博多区)
香椎宮は古宮にある古宮鳥居を見学に行ったのですが、すでに廃絶でがっかり。
その分、香椎造の本殿を見てきました。ここは仲哀天皇をメインで祀る、珍しいところです。
(八幡社では祭神にすらなってないとこ、あるもんね。仲哀天皇可愛そう)
住吉神社は楼門前の狛犬さん見学。左右とニョキと立派な角のある、狛犬さんです。
厳密に言うと獅子は角がないので、ここは狛犬狛犬のペアで睨みをきかせているということになりますね。
摂津(大阪)住吉大社、長門(山口)住吉神社、壱岐(長崎)住吉神社をあわせての、住吉4社を参拝したことなります。個人的に満足。
出雲は、いったことないんですよねー(泣っ
いきたいです^^
ちなみに、水天宮って神社です、実家が。
家が神社、何か本物の方が来たー、って感じですね。
出雲は四拍手だそうです。
そこの、参拝方法は、普通に二拝二拍手一拝です。。。
普通ですよねwww
だけど、出雲は、なにか違うようですねw
あ、斎様がお詳しいかも。何か書いていただけると有難いんだけど。
若手の気鋭、カズカット様が鋭い意見をくれるかも。
ご両人に依頼してみよう。
実は秀郷の百足退治の話から始まる。
百足と龍の戦いをテーマにしていて、武田信玄の埋蔵金の話にまで発展する。
百足をシンボルと考えていた、銅や金を採掘する集団に対し、
水辺で砂鉄を集めた人々が龍をシンボルとしていた。
百足と龍の戦いは、この2つの集団の衝突・抗争としている。
天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)は、一つ目で鍛冶や金属精錬を司る。
鍛冶の神というと金山彦・金山姫神かな、と思うけど。刀鍛冶は金山彦・金山姫神を祀ってるんだよね。
天目一箇神って、目が一つっていうから、最初は台風の目を想像して、台風を神格化したものだと思ってたよ。
天目一箇神は天照大御神が天岩屋戸に隠れた時、雑刀・斧など、大御神を慰める器を作った、という神。
後世、金工・鍛冶の祖神とする。
天津麻羅(あまつまら)とも。(広辞苑より)
忌火神、二火一水の霊神ってのが不明だけど、何か色々と想像してしまう神名だよね。
忌火ってことは聖なる火ってことだよね(穢れのない火か)。すごいなあ。
二火一水?うーん、なんのことやら。
天津彦根神は、天照とスサノオノミコトとの誓約で生まれた五柱の神々(男神)のうちの一柱。
だから、天照の孫ってわけね。
以上のことは、自分の知識として持っていたわけではなく、色々と調べた結果です。
いい勉強になりました。
いろいろ詳しく書いてくれて、有難う。
三上山の神が金工鍛冶の神、か。
マンガ『宗像教授異考録』(星野之宣・小学館)第1集 第2話「百足と龍」によると、
銅や金を採掘していた集団は、古代から百足を自分たちのシンボルと考えていたらしい。
するってぇーと、三上山の大百足は、山の採掘者や鍛冶を表したものか?
その百足と、琵琶湖の龍神が対立したとは、如何なる意か?
龍をシンボルとする者たちは誰か?龍・蛇=河川…河川沿いの住民?とか
頭が悪いので、単純発想で行くと
三上山百足退治説話は、
山で鉱物を採掘していて、川や琵琶湖を汚されたり、或いは川の水を堰き止められたりして、困った周辺住民が武士を雇って、採掘者を退けたって、話かなー?!
私、今、民俗学してるねー。忌部神奈(いみべかな)になった気分だ。
民俗学の神が降りて来てるみたいだ。これは柳田國男か?。南方熊楠か?
よし、この説で宗像教授に挑戦だー
由緒書きには、天之御影神は、天津彦根神の御子にして、
天照大御神の御孫と有ります。
遥か遠く神代にあって国土開拓経営に当たられ、殊に
近江平野を開かれて、農耕の道を教え農具を授けられたそうです。
天目一箇神と御同神にして、忌火神、二火一水の霊神と称し
古来金工鍛冶の祖神と崇められておられるそうです。
神体山の三上山に御降臨されたそうですよ。
体力に自信が有ったらなぁ、登山して拝みたいです…。
天御中主(あめのみなかぬし)は聞いたことあるけど。
竹の音様の個人ブログに「三上山のムカデ退治」のことがあったので、とても気になっていました。
俵藤太秀郷。平将門を討ったことで有名な武将ですね。
三上山の百足退治は、大津市瀬田にある、瀬田の唐橋での出来事。
橋に横たわる大蛇を恐れて誰も渡る事が出来ない。
そこへ剛の者、俵藤太(たわらのとうた)藤原秀郷(ひでさと)が豪胆に蛇を踏み越えていく。
その度胸を見込んで、琵琶湖の龍神の姫様が、百足退治を秀郷に依頼します。
最後は唾をつけた矢で百足を射たとか。
歴史系伝奇を取り扱う本ではおなじみの話です。(そう思っているのは、私だけ?)
うちは夏に百足が家に出るので、秀郷の百足退治にあやかって、関係のものを入手して百足封じをしたいと考えておりました。
三上山には、確か唐破風鳥居があるとかないとか。
一度は訪ねてみたい、いや、鳥居ファンなら訪ねなければならない場所です。
唐破風鳥居は、京都御所の厳島神社にあるものが有名です。
「鳥居」掲示板に解説を書いてますので、興味がお有りの方はお読みください。
私は「滋賀の民話の読み語り」の演奏活動をしてまして
今年は「三上山のムカデ退治」をしたので、お参りさせて頂きたくて。
シックないいお宮さんでした。
御祭神は天之御影神です。
三上山を神体山として崇めておられるそうです。
藤原鎌足の子孫の俵藤太が、三上山に七巻半まいてるオオムカデを
龍神に頼まれて退治するのに、天孫降臨三十二神の内の武神で有る
御神神社に祈願して弓の秘訣を授かってオオムカデを射止めることが
出来たそうです。
なんか、済んだ空気をたくさん吸って、とても静かな境内にいると…。
時間の流れがゆるやかで、昔話の世界に心は飛んでく様でした。
なかなか公共機関の交通で行くのは大変かもです。
野洲駅で、一時間に一本出る循環バスに奇蹟的に乗れて
今回到着出来ました。
ヒは日なのだが、その後の字が「靈」の下の「巫」が「女」になった字です。
東本宮は社殿(本殿)があるが、西本宮は拝殿しかなく、天岩戸といわれる場所を御神体として直接拝むことになる。これは御山を御神体として拝殿しかない大神神社とよく似てますね。
もちろん、天岩戸と言われる場所は禁足地で、立ち入ることは出来ない。社務所に申し込むと拝殿の奥に入って、天岩戸を遥拝(見学)することは出来る。
社務所に天岩戸見学を申し込むと「20分は掛かりますよ!」と威圧的に言われた。
暗に参拝するな、ということらしい。
パワースポットブームとかで参拝者が多く、神社側も困っているのだろう。
じゃ、いいです。と遠慮した。
さて、天岩戸がある側を西本宮というのは、太陽が沈む方角を指して西と言っているのではないかいな?!
皇室の崇敬も厚く秩父宮殿下、秩父宮妃殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下、朝香宮殿下、常陸宮(義宮)殿下を始め皇族、侍従の代参等、度々の御参拝がありました。
◎天安河原 あまのやすかわら
天照皇大神天岩戸へ御籠り遊ばされた時に、八百萬神(やおよろずのかみ)は天安河原へ神集(かむつどい)神議(かむはか)りになった事を古事記等に記してありますが、天岩戸神社より五百米(メートル)川上の此の天安河原は其の御相談の場所であると伝ヘます。此の河原の一角に「仰慕窟(ぎょうぼがいわや)」と称し間口四十米、奥行三十米の大洞窟があり、本州からも、願事がかなう、中風にかからないとの信仰があり、石を積み重ねて祈願する慣習があります。
◎天香具山 あまのかぐやま
天岩戸神社の西方二粁(キロメートル)の所にあり大玉命(ふとたまのみこと)が此の山の真榊(まさかき)を根こぎになして天岩戸の前に御植になり八咫(やた)の鏡や八坂瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)等を御かけになったと伝ヘます。
◎神楽尾 かぐらお
天照皇大神、天岩戸へ籠らせ給ふ時、天鈿女命(あめのうずめのみこと)舞を奏せられた所と伝ヘます。(神楽尾の地名は慶長年間の庄屋の土地台帳にも記してあり、又高山彦九郎の日記にも此の地にて神楽を奏した所だと記してあります)
◎小戸の檍ガ原 おどのあはきがはら
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の禊(みそぎ)の蹟であると伝ヘます。
◎郷土の出土品
村内各所より古代土器(縄文式、弥生式)石器及び勾玉・管玉・刃剣類が発見され、当社に二千点余保存されています。
(天岩戸神社略記より)
MACからWinにデータ移植してますので、文字化けがあるやも。ご了承ください。
天岩戸神社略記
〒882-1621宮崎県西臼杵郡高千穂町天岩戸1073-1
御祭神 天岩戸神社西本宮 大ヒルメ尊
天岩戸神社東本宮 天照皇大神
大ヒルメ尊、天照皇大神は同一の神
例祭日 春季大祭(西本宮祭) 五月二日~三日
秋季大祭(東本宮祭) 九月二十二日~二十三日天岩戸
夜神楽三十三番大公開まつり 十一月三日(文化の日)
御由緒
古事記、日本書紀等に皇祖天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)は御弟素盞鳴尊(すさのおのみこと)を御避け遊ばして暫く天岩戸(あまのいわと)へ御籠り遊ばされた事を記して居ますが、当神社は其の霊蹟天岩戸を斎ひ奉る神社で、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)御降臨あり、初めて天が下知食し給ひし時に斎ひ創め給はれたと伝へます。境内社殿の背後断崖の中腹に御窟あり天照皇大神籠らせ給ひし所と伝ヘ、古より其の御神域を御神体としてお祭り致して居ります。社殿は東本宮(ひがしほんぐう)と天岩戸直拝の西本宮(にしほんぐう)と岩戸川の渓谷を挟み相対して御鎮座ましますが東本宮関係の昌泰(しょうたい)年間の記録に天照皇大神、天岩戸より御出ましの節、思兼神(おもいかねのかみ)其の御手を取りて東本宮の土地に御造営の御社殿へ御鎮りを願ったと記してあります。弘仁壬辰三歳中秋には三田井(みたい)侯の遠祖、大神大太惟基(おおかみたゆうこれもと)公霊夢に恐惶して頽廃せる社殿を再興し深く其神明を崇敬したと申します。又神社に由縁の舞楽として岩戸神楽三十三番の古雅なる手振を伝ヘ氏子達習ひ伝ヘて祭典に奉奏する外、毎年十一月下旬より二月初旬にかけ、各集落において、民家に〆かざりして終夜舞続け黎明に及びて岩戸開きと称するを舞納むる慣習があります。往時名士の此の地を訪ふ者も多く寛政の奇士高山彦九郎の参詣紀行あり薩摩の歌人八田知紀(はったとものり)礼参し、水戸の烈士井上主水義秀(いのうえもんどよしひで)等八名参籠して俳句「落つるには 手もなきものよ 蝸牛(かたつむり)」を残して居ます。又大宝の昔京都神祇官卜部朝臣(うらべあそん)参拝の記録あり相当古くより中央に認られて居た事が考へられます。
聖獣の麒麟を祀っているのか? 稲荷を祀っているのか? 悩みどころ
正解は、キリンビール工場の敷地に祀ってある稲荷。
麒麟稲荷って格好いいなあ。
ちなみに自分の行ってる会社の稲荷は何かいなと思ったら、
「正一位稲荷大明神」
当たり前すぎるネーミングで、イマイチ。
でも、これが「ロボット稲荷」とかだったら、引くかな
瀬織津はロボットを作る会社に勤めているのじゃ。
いや、部署は違って、ロボットは実際に作ってないけど。
神社か?と言われると苦しい。
長門湯本温泉の近く。
大寧寺境内奥にまつられているこの稲荷は、愛知県妙巖寺の豊川稲荷のご神霊を勧請して創建されたもの。
豊川稲荷はご存知、豊川閣妙厳寺というお寺。稲荷といえど、仏教系なのです。
いわゆる京都伏見の神道系とは別。
伏見稲荷との違い、それは千本鳥居が無いことかな。よく見ますよね。朱塗りの鳥居のトンネル。
ああいうのはありません。その代わり、参道の両側には奉納者による幟がずらりと並びます。
それが、仏教系の特徴かな?違ったらごめん。
御神体は「叱枳尼眞天(だきにしんてん)」
ダーキニーですよ。
インドの信仰(ヒンズー)では、六ヶ月前に人の死を知り、臨終に際し、人の肝を食うと言われる、ちょっと怖い神様。
いえいえ、豊川稲荷では仏法の興隆護持、国土の災禍を除き、民衆の福徳成就させる大誓願をもつ御神体で、白いキツネに乗って空を走り仏法を守るといわれ、福禄を司る有難い神様として信仰されています。
本ちゃんの豊川稲荷には行った事無いので、いつか行って見たいです。
ちなみに大寧寺には大内義隆公の墓所や毛利家重臣墓群があります。
毛利家重臣墓群は古い石塔が並んでいるので、お墓っぽい暗さは無いです。
向かい巴
「二つが向かい合う向かい巴」という記述があり、、愛宕神社の神紋がそれに当たるものと思われます。
『神社のことがよくわかる本』外山晴彦 東京書籍
悩んでいたことがわかってスッキリ
日向一の宮 都農神社
「つのじんじゃ」と読みます。
宮崎県北部、国道10号線沿いにあって、行きやすいので、参拝に行ってきました。
昔読んだ本で、確か、黒木鳥居があるとあったので、見れたら良いなと思ったのですが、やっぱり、無かったですね。
それより、天孫系の国宮崎において、祭神が大國主とは…。盛り下がりました。
余りのショックに御朱印も貰わずに帰ってきました。
出雲系ファンの方には申し訳ない。
でも宮崎日向に来て、何も出雲の神を拝まんでもいいでしょ。
それとも、國譲りの1件で祟ったか?!
ちょっとオカルト風味なお話です。
下関市壇之浦町 例祭 六月一日 壇之浦町の守護神
源平合戦壇ノ浦古戦場跡の関門海峡に面するお社です。
社殿はなく、駐車場も無く、お参りする人とて少ないお社です。
私は下関に三十年以上住んでいますが、訪れたのは今年になって1度だけ。
境内はいわくありげな板碑が多くあります。
先週の日曜の夜、この社の前に若い男女数名が居り、写真などを撮っていました。
え、暗いのによくお参りするな、とギョッとして、一緒に居た連れと顔を見合わせたくらいです。
随分前ですが、下関の或る神社で、巫女が狐に憑かれて狂ったという話がオカルト商業誌にあって、おそらく、この立石稲荷の昔々の話ではないか、と連れと話したことがあって、怖くて、私はずっと行かなかったのです。(でも、何時か行こうとは思っていた)
神社の入り口は国道に面しており、朱塗りの鳥居がずらりと建ち、夜通ると鳥居の姿がボーっと浮かび上がり、夜は恐ろしげな印象を与えました。この国道を良く使うので(特に夜)、通る時は鳥居をいつも見るのです。
後日、下関の民間信仰を調べ上げた地誌のような『関の細道』(中西輝磨)をみると、
「平家の平知盛が京都より西下の際、守護神として捧持してきた由緒ある稲荷」
「知盛が伏見より奉祀した稲荷という」
とあり、得心しました。
昨今の歴史ゲームブームなどでその筋(歴史オタク)な集団が訪れたのかなーと思った次第です。
しかし、夜、神社に参るのは怖いですよ。稲荷なら、余計に。
また、怪しげなところを見つけてしまった。
高いところに石垣があって、「あ、怪しい、私を呼んでいる」と近寄ってみると、
鳥居があって額に「最上位経王大菩薩」
境内まで上っていると、二の鳥居があるんだけど、拝殿なくして、普通の民家。
お参りするところが無いのは、残念。
最上稲荷系みたいですね。新興?
写真付きで自ブログに同内容を公開中。
よろしければ、アクセスしてみてください。
http://plaza.rakuten.co.jp/yamikagi/diary/200906060000/
安神社
安藝國安佐郡祇園村 安神社
当社ハ清和天皇勅宣ニシテ貞観十一年諸國御勧請有之其一社ナリ元祇園社ト唱明治二年八月安神社ト改稱御祭神ハ素盞鳴命左殿稲田姫命右殿大己貴命合殿五柱ヲ祭ル元銀山麓松尾山ニ鎮座正安元年六月十三日兵火ニ罹リ今ノ社地ニ遷座 社領天文十年大内家ヨリ拾貫文之地寄附永禄九年毛利家ヨリ神田壹町五反半畝ノ寄附福島家地面没収米拾八石寄附セラル浅野家ヨリ維新ニ至ルマデ同様寄附アリ國主代々ノ祈願所ナリ維新後ハ追秩録有之タリ 祭日ハ毎年陰暦正月七日タタキ箸ノ神事及六月十三、十四日神事ナリ 此れ六月大祭ニハ浅野家ヨリ神馬二頭長柄鎗二十本年々寄附 就テハ御徒歩目付取締ノ為メ出張郡代官所ヨリモ参拝アリ嚴重ノ御神事ナリ信仰者多ク近隣稀ナル祭事ナリ
安佐郡祇園村 安神社
明治三四年ノ資料ニ依ル
付 境内之圖
(境内由緒書きより)
安神社
由緒
(旧称)祇園社 旧郷社
御神祭 須佐之男命 稲田姫命 大巳貴命
(相殿神) 伊邪那岐命 伊邪那美命 少彦名命 五男三女神 大山昨命
もと祇園社と称し明治二年、安神社と改称しました。縁起によると、貞観十一年(八六九年)国家鎮護を祈願して出雲の神々を勧諸したのが始まりといわれます。一説に元慶五年(八八一年)大和国長谷寺より別当寺感神院の祖僧有尊がこの地へ来たと伝えられ、この時の創祀ともいわれます。当初は銀山(武田山)麓南下安村松尾山にあったが、正安元年(一九二二)の例祭の日厳島社司佐伯郡桜尾城主、平員家の軍勢が銀山城を攻めた際兵火により焼失しましたが、ご神体は御旅所(現在の境内地)に御神幸中で無事でした。その後銀山城主武田家によって嘉元年間(一三〇三~六)現在地に社殿が再建され、武田家滅亡後永禄三年十一月(一五六〇)毛利元就が社殿を再建。文禄三年(一五九四)毛利輝元が葺替を行っており広島城築城の際には当社の社領だけを除き、用材を伐採してよいとの達しを出した事は有名です。又、福島氏、浅野氏にも篤く崇敬され文化十三年(一八一六)社殿の一切を建て替えられましたが、明治四十三年(一九一〇)不審火により社殿が焼失しました。現在の社殿は大正二年(一九一三)に再建されたものです。
(ウェブサイト紹介;出典不明)
さて、このお社に参拝したのは、TV番組『Perfume 20歳の挑戦 Dream Figher』('08年夏放送)にこの社が映ったからである。テクノポップユニットPerfumeのメンバーの一人、あ~ちゃんが幼少時、近所に住んでいて、この社の手水鉢で水浴をして遊んだという、広島での想い出の場所を訪ねるという一場面。
境内のジャングルジムで遊んだとして、その前の小社前で当時を回顧するインタビューで、実はその社が気になって気になって仕方がなかった。千木の形状・堅魚木の本数から神明社ではないか、と想像して、あまりインタビューを聴いてなかった。広島に行く事があったら、参詣したいと思っていたが、今回その機会が訪れた。
神社も調べられ、またPerfume所縁の地にも行けるということで一石二鳥である。そんな動機で参拝なんて、と狼狽される方が居られるかもしれないが、PerfumeファンでこのTV番組を見なければ、まず知ることの無かった社である。これが御縁、神の導きというもの、と私は思う。
さて、参拝時、社務所が締まっていた。平日なので、今日は祭祀で外に出られているのか。御朱印は貰えないか、と残念に思ったが、境内で写真を撮っていたら、社務所に人陰が見えた。TVに出ていた宮司さんだ。御朱印をお願いすると、「墨無いから、マジックで良い?」って。いや、頂けるだけで、有り難いです。お気持ちを納めようとすると、「いいよ」と断られたので、「じゃ、お守り下さい」と八方除けのお守りを買った。
また、二ノ鳥居前で構える狛犬の写真も撮った。文政元年(一八一八)の銘が有る。広島の狛犬は前玉乗り形という地域性が有り、俗に尾道型といわれるもの。その昔、広島県尾道市の石工達によって造られたもので、その名がある。その影響は隣県の山口県東部にも広がりを見せる。本場で前玉乗り形狛の写真が撮れたのは良かった。
二つの趣味を繋ぐ社
御祭神 素盞鳴命、稲田姫命、大己貴命、他五柱(合殿)
安佐南区祇園二-二十一-十二
神紋 (八菊花)
(参拝日平成二十一年四月十一日)
旧郷社
一ノ鳥居 台輪鳥居 二ノ鳥居 靖国鳥居
拝殿 神明造 千木外削ぎ・風穴二つ 堅魚木・三本
本殿 神明造 千木外削ぎ・風穴二つ 堅魚木・五本
境内社 神明社 祭神 天照大御神
社殿 神明造 千木内削ぎ・風穴二半 堅魚木・五本
鳥居 靖国鳥居 境外社 恵比須社
狛犬 一対 前玉乗り型 大型
右阿形(獅子)左吽形(獅子) 二ノ鳥居前
台座銘 文政元戊虎六月吉祥日
広島の町中に有るお社。社前の車道は抜け道なのか、一車線なのに車がバンバン通り、神社入口の写真を撮るのに苦労した。一ノ鳥居が台輪鳥居で、二ノ鳥居が靖国鳥居とチグハグ。天照を祀る神明社の鳥居も靖国鳥居で、まあ、地方社だから仕方ないかという感じ。
境内由緒板にある境内旧図は明治の頃を描いたものか、元の社殿は入母屋造りになっている。現在は伊勢神宮に代表される、神明造り。祭神が素盞鳴だけに、姉の天照が廂を貸して母家を取られた感じで、心情的にはちょっと複雑。また境内社の神明社はその旧図に描かれていない(境外社の恵比須社はある)。明治四十三年の社殿焼失から大正二年の再建時に神明造りに替えられたのだろう。その時に神明社も勧請されたものか。
神紋は中央に八菊花のある、大変珍しいもの。調べたけど、その名前はわからなかった。 思っていたよりも広い境内、立派な社殿で、正直びっくりした。
日本三大八幡 大社筥崎宮
福岡県福岡市東区箱崎一-二十二-一
御祭神 応神天皇(八幡大神)
神功皇后(応神天皇の母君)
玉依姫命(海の神・神武天皇の母君)
筥崎宮(はこざきぐう)の由緒
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。
創建の時期については諸説あり断定する事は困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜二十一年(西暦九二一)、醍醐天皇は神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(九二三)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座した事になっております。
創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古襲来(元冦)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。
後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。
明治以降は近代国家を目指す日本とともにあり、同十八年には官幣中社に、大正三年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭など福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。
御祭神 応神天皇、神功皇后、玉依姫命
福岡県福岡市東区箱崎一-二十二-一
神紋 (調査中)
筑前国一宮 官幣大社
楼門 檜皮葺(ひわだぶき)入母屋造
拝殿 檜皮葺切妻造
本殿 檜皮葺九間社(きゅうけんしゃ)流造(ながれづくり)
一般の参拝(拝礼)は、「敵国降伏」の扁額(へんがく)が掛かる楼門からになる。
楼門から回廊が巡らされており、その中に本殿、拝殿がある。
本殿、拝殿、楼門とも国指定重要文化財。
楼門は文禄三年(一五九四)、筑前領主小早川隆景が建立。「敵国降伏」の扁額から伏敵門とも呼ばれる。
神前に「敵国降伏」と掲げられているインパクトは凄まじいものがある。
扉の太閤桐の紋様彫刻は名匠左甚五郎作と伝わる。
ちなみに御朱印には「筥崎八幡宮」と書かれている。
実は参道沿い、元天神社があったという茶見世前に「元禄辛未歳(十四年)建立」(一七〇一)という中山鳥居があると『鳥居の研究』で読み、是非見たいと思って来たのだが、不明。
神職の人に訪ねると、参道は昔と大きく様変わりし、鳥居も四百年以上前の物は取り壊しました、との事でした。
ああ、残念。
そうは言っても、この筥崎宮、他にも見るべきものが沢山ある。
「敵国降伏」の扁額が掲げられた楼門は元より、一ノ鳥居に代表される筥崎鳥居、
その鳥居傍にある京都・籠(この)神社型狛犬など。
籠神社型狛とは体が大きく、反対に頭部が小さいずんぐりむっくりの厳つい奴である。
その他、境外社として、安倍晴明が井桁を組んだとされる鏡井を祀る翁分神社が南にある。
筥崎宮は本殿に近い方から一ノ鳥居と呼ばせ、離れる毎に二、三…としている。
境内に入る所の一ノ鳥居は筥崎鳥居(肥前鳥居、なまこ鳥居)で国指定重要文化財。
慶長十四年(一六〇九)、藩主黒田長政建立とその銘にあるという。
『鳥居の研究』によると、一説に石田三成建造で、長政が国主の威厳にかかわるとして柱の文字を削って彫り直したとも言う。
国道二号に向かって延びる参道に、この鳥居と同形の筥崎鳥居が建つ。
参詣記
社殿の配置は、向かって左から愛宕神社・日吉神社(社殿南向き)、本殿(西向き)、美田稲荷社(西向き)、大国社(西向き)。
左が愛宕神社で狛鳶、右が日吉神社で狛猿。それぞれ一体づつであり、対では無い。台座に昭和四十七年十月十九日の銘があり、石工の名は、その前に置かれた瓦で隠れて見えない。
参拝時は朝方で、境内は東山の影に入っており、暗く、フラッシュを使わざるを得なかった。
光でそれぞれの質感がかわってしまったのが残念である。
大国社の前に狛鼠は対で阿吽の形になっている。
巻物(右)と宝珠(左)を持っているのかと思ったが、縁起によると宝珠ではなく酒器だそうだ。
台座の銘は昭和四十四年五月五日、御屋根葺替記念。
かなり長く、くねくねと曲がっている尻尾がリアルである。
大豊神社はこれらの変り種狛の他、正規の狛犬もいる。
一ノ鳥居から境内まで四組。
本殿横に籠に納められた木彫狛犬がいるので、本殿からA→Eとなる。
その中で、手水屋のちょっと手前、参道にいる狛Cの吽形の角がニョッキリと立派であった。
今回で、大豊神社に関する記述はお終い。
医薬祖神 少彦名命
学問の神 菅原道真公
勝運の神 応神天皇
末社 日吉社 災難除の神 狛猿鎮座
愛宕社 火難除の神 狛鳶鎮座
美田稲荷社 商売繁昌の神 狛狐鎮座
大国社 七福神、縁結びの神 狛鼠鎮座
大国主命を祀る。
「古事記」の中に野火の危機からネズミが救ったという神話に基づいている。
右側は学問を表す巻物を持ち、左は豊穣や薬効を象徴する水玉(酒器)を抱え、
子宝を育んでいる形でもあります。
由緒
社伝に依ると東山三十六峰中、十五峰目である椿ヶ峰を御神体とした山霊崇拝の社でありましたが、
仁和三年(八八七年)宇多天皇の御悩平癒祈願のため、贈正一位尚侍藤原淑子が勅命を奉じて、
少彦名命を椿ヶ峰に奉祀して創建された勅願社であります。
又、宇多天皇の信任の厚かった菅原道真公が合祀されました。
創建当初は椿ヶ峰山天神と称せられ、皇家公家はじめ朝野の信仰厚く次いで大宝大明神と呼ばれ、
円成寺の鎮守神として霊験殊の外なるに合わせて、清遊に好適なる現在の地に、
後一条天皇の寛仁年間(一〇一七年)に遷座、大豊大明神の神号を賜わり、
当時は社運盛大にして神域は広大なものでありました。
なお平安時代の古地図には、はっきりと大豊神社の名が記されております。
歴史は巡り昌平の御世となりました。自然の相を観、自然の声を聞く幽玄閑静なる霊地として、
北は法然院・鹿ヶ谷、南は南禅寺までの産土(うぶすな)神大豊神社は、昭和二十九年、京都市より
いにしえの都の古刹として「名勝地」に指定され、又、哲学の道の「ねずみの社」として
全国より多くの参拝者を迎える今日となりました。
祭礼日 氏神祭 五月四日
(以上、由緒書きより抜粋)
平安神宮大鳥居の下からバスに乗って、東天王町で下車。
東に向かって、緩やかな坂を登って、大豊神社到着。
ここは、神域の霊獣、狛犬の他に
狛鳶(とび);愛宕神社
狛猿;日吉神社
狛狐;稲荷社
狛鼠;大国社
が居てます。
以前、連れから、色んな狛が居る神社がある,と聞いていたので,ネット検索して発見。
ちょうど傍に行くじゃん、と行ってみました。
狛鼠、しっぽが意外にリアルで、ちょっと気持ち悪かった。いや、しっぽだけね。
「猪野にゃ七度、香椎にゃ三度、愛宕さまには月参り」
と歌われ親しまれていたといいます。
あれ、よく聞く古歌と違いますね。
猪野は福岡久山にある猪野皇大神宮、香椎は香椎宮と地方色が取り入れられているのです。
正式には「伊勢には七度、熊野に三度、愛宕さまには月参り」ですよね。
猪野は皇大神を祀るので伊勢に準じますが、香椎は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神で熊野とは異なります。
二千本の桜があるとのことでしたが、裏参道から上がってしまい、その多くを見逃してしまいました。表参道にあるようです。時節柄満開だったのですが、残念。
さて、ここの売りは何と、狛ちゃん。鬣表現が鎧の様。石工の技が細かい。悪く言えば松笠か。しかし、今までに見たことのない表現形式です。残念ながら製作時期も石工名も台座には刻まれていませんでした。本殿前、幣殿脇に構える狛をオリジナルとして、神門前と、宇賀神社前にコピーされた新しい狛が鎮座します。先例に倣って造型されているのがうれしいですね。ここで狛ちゃんの画像を公開したいところですが、私のカメラはフィルムカメラで、現像の工程があるためすぐにアップできません。こちらのページに狛さんの画像がありました。阿形ちゃんです。見ると、かなり強そう。聖域を守る神獣です。
http://www.yado.co.jp/kankou/fukuoka/fukudai/atagoj/atagoj.htm
鬣すごいでしょ。
御神紋も変わっています。巴紋が二つとも玉を下に向けたような。調べるけど、何と言う紋か、まだわかりません。
さて、語朱印を頂いて帰ろうとしたら、「500円お納めください」た、高いじゃん、とおもったら、御神酒付きでした。いわゆるワンカップのお酒ですけど、こういうサプライズも嬉しいね。
連絡先/092-881-0103(愛宕神社)
所在地/福岡市西区愛宕2-7-1
TEL/092-881-0103 FAX/092-883-9200
料金/無料
駐車場/有50台
アクセス/西鉄バス「愛宕下」より徒歩10分/地下鉄 室見駅より徒歩10分
日本三大愛宕、福岡の守護神といわれる愛宕神社に行ってきました。
ヤフードーム・福岡タワー・シーホークホテル、マリノア・玄界灘など一望に見渡せる愛宕山に鎮座です。
テレビのズームインスーパー(福岡限定FBS)で度々中継もある、朝から「神社萌え~」になるスポットです。
さて三大愛宕とは?京都の愛宕神社はわかってももう一つは?由緒では東京の愛宕社だそうです。関東の神社事情には疎いので、どこのことかわかりません。
御祭神 イザナギ尊
イザナミ尊
火産霊(ほむすび)神
天忍穂耳(あめのおしほみみ)尊の四柱
御神徳 厄除開運、商売繁盛、家内安全、受験合格、学業成就、安産成就、交通安全、病気回復、無病息災、円満解決、鎮火成就等全ての願い事に名高く、古くは禁酒、禁煙などあらゆる禁断の神としても日本全国に知れ渡る。
御利益は全国一と言われ広く御崇敬を集め、月参りは愛宕様と親しまれ、早朝より賑わいを見せます。(由緒書きより)
境内社 宇賀神社(末社)
御祭神 日本武(やまとたける)尊
スサノオ尊、
宇賀魂神(うがのみたまのかみ)
御神徳 商売繁盛、家内安全、金運、世界平和、国家安泰、芸能上達、必勝
他、地蔵堂・七福神・正一位伏見宇之目稲荷神社
宇之目は釆女の変化したものでしょうか?
参拝、ではなく、片やお墓参り(本殿へのお参りは毎回必須)、片や気紛れな立ち寄りですが…
(ご朱印を貰うような正式な参拝はした事がない初心者)
寺社仏閣に立ち寄る事は大好きですが、人混みに負けて眺めるだけに留まる事が多いです。
随分前に来て、境内に頼光奉納鳥居があるのを偶然見つけ、もう一度来ようと思い、延び延びになってました。
頼光は源頼光。平安時代の人で、大江山の酒天童子退治や土蜘蛛退治で有名な人物です。
頼光奉納の鳥居が見たいというだけで、鳥居調査に行ったのですが、この鳥居が肥前鳥居でした。別名筥崎鳥居、なまこ鳥居といわれるもので、肥前(佐賀県)に多くあるので、この名称があります。
特徴は三段積みの極端にぶっとい柱と、これまた極端に薄い笠木島木。柱の天辺、島木との間に台輪表現があります。帰ってきて文献を調べてみると、古さにおいて筥崎宮(福岡県)よりも古い、この鳥居形式の発祥ではないか、とありました。
くわえて、この神社の一の鳥居も奇異な印象を与えるもので、どうも笠木島木、貫の柱外の部分が出過ぎな、言い換えれば、柱が内側に入りすぎている、ちょっと規格がおかしいものでした。
また拝殿正面、楼門前の階段下に、海からの参拝のための船着き場があって、そこにも大きな鳥居があり、体が大きく立派な狛が居ます。造詣素晴らしく、まさに獅子(ライオン)のよう。
また、拝殿の前の灯籠は、笠の部分に狛犬が乗っており、向かって右側(阿形)が立ち上がり(ちんちんのポーズね)、左側(吽形)が逆立ちをしている珍しいものでした。その後行った、呼子の町中の神社にも同様に狛が立ち上がり、逆立ちしていた灯籠があったので、この地方の流行なのかもしれません。
拝殿前の狛犬(正式な狛犬)は頭が大きく、体が小さい「体の毛を刈られちゃった」もので、これはこれで愛嬌のある奴でした。
田島神社には境内に松浦佐與姫伝説にまつわる佐與姫神社があり、御神徳は縁結び・夫婦円満。後から来たうら若き乙女の集団が縁結びの神社めぐり?でご参拝。社務所でも恋神籤を引いて、書いてある内容に一喜一憂、大はしゃぎでした。
田島神社は延喜式内社、旧国幣中社。今は別表神社と由緒正しい神社。神社由緒書きによれば肥前国最古の宮とか。祭神は宗像三女神に大山祇神。そして稚武王(わかたけおう)、仲哀天皇の弟だそうで、祭神としては珍しいですよね。宗像三女神についても、今の宗像大社の祭神は元々はここで祀られていたのでは?という説も有るといいます。(自ブログより転載、一部編集)