三輪の山里(三寺尾の合戦その5)
- カテゴリ: 自作小説
- 2017/11/15 00:14:55
5.決戦のゆくえ備中守は、八幡神社の裏山に陣取る晴信の所へ使者を立て援軍を要請した。
それと共に真田弾正を付けて、三郎左衛門とその子源吾丸を人質として送り出した。
仔細をうけた晴信は、真庭城の原加賀守へ倉賀野方面への援軍を要請した。すると真田弾正は、
「これなるが、範虎よりの人質でございます」「しか...
自分の思った事、感じたままを人に伝える事って実は難しい。「なにそんなんで感動するわけ?」って事が往々にして起こりうるからだ。
5.決戦のゆくえ備中守は、八幡神社の裏山に陣取る晴信の所へ使者を立て援軍を要請した。
それと共に真田弾正を付けて、三郎左衛門とその子源吾丸を人質として送り出した。
仔細をうけた晴信は、真庭城の原加賀守へ倉賀野方面への援軍を要請した。すると真田弾正は、
「これなるが、範虎よりの人質でございます」「しか...
4.三寺尾の合戦「ご注進、ご注進ぃ~ん」ここは木部城、舟橋を渡り武田の使者が到着すると、書状を受け取った番兵が中庭へやって来た。「いかがした」範次の問いに番兵は「武田の使いが、お目通りを願っております」「これへ通せ」やって来た使いは「家の子を小串城へ、背かぬ証しとして差し出せ」と伝えてきた。
その上...
3.国衆の生きる道先発の原加賀守、同隼人助父子は、市河氏と協力して南牧と西牧の街道沿いへ新たに駐屯・補給のための急ごしらえに城を築いた。
原加賀守は西牧にて待機し、子を国峯城下に陣城作るため向かわせると、主晴信へ出陣するよう連絡の使者を立てた。
すると、信濃佐久郡から上信国境の峠を越えて侵入する武田...
2.再会天文18年(1549年)夏、武田晴信は軍勢を従えて甲府を立ち、再び佐久郡を制圧した。
そして、前山城へ入り陣を張ると信濃及び上野の平定について、今後の策略を練るための評定を行った。「西上野の小幡が助けを求めてきた、そうであったな?弾正」弾正こと真田弾正幸隆(幸綱)は、父祖の地小県を追われて上...
しばらくすると三郎左衛門の来訪に、奥から現れた木部家付家老の増尾新兵衛尉は答えた。「如何いたした、三郎」「それがな新兵衛、小幡の話なのだが……」 三郎左衛門と新兵衛尉は、それぞれ譜代の家臣の家に生まれ、幼いころより共に育ってきた。お互い木部十騎に数えられて主範次に仕えて...