ミニ母の一生(結婚生活)
- カテゴリ: タウン
- 2024/10/26 11:22:42
母の結婚生活は苦労から始まった。あまりなじまない家族の中で唯一同じ村の出と言うことで気があった姑ですがこの姑、病身で湯治療養生活をしていた。そんなある日、いっこうに快癒しない義母を見て母、「それってただものの腫物でないと違うけ? 医者に診てもらった方がいいのではないけ?」と言うが、無視されて&hel...
母の結婚生活は苦労から始まった。あまりなじまない家族の中で唯一同じ村の出と言うことで気があった姑ですがこの姑、病身で湯治療養生活をしていた。そんなある日、いっこうに快癒しない義母を見て母、「それってただものの腫物でないと違うけ? 医者に診てもらった方がいいのではないけ?」と言うが、無視されて&hel...
新潟に戻った母は、戦時中は当市の今で言えば西港の近く紡績工場に挺身隊として働いていたようです。戦争が終わって…その後当市の下(しも)の方、少し曖昧で覚えてないのですが税務署の役人とか、聞いたような記憶があるのですが…そこの大きなお屋敷に女中奉公として働いていたようです。し...
その後まだ小さい頃母はおばさんの手伝いをして薬売りをしてました。母の口から聞く富山の薬売り…梓川、上諏訪、下諏訪、松本…ともかくこういうところを回っていたらしい。
少し大きくなって独り立ちできるようになると一人東京へ出て商いをしていた。戦前の話です。母はよく知っているもの...
短編ですが今日からちょっと私の母について書かせてください。
私の母は、大正8年の生まれで貧しい農家の長女として生まれました。小さい時から家の手伝いに強いられてきたようで…或る時学校に行こうとした母を、「今日は学校に行かなくていい、先生様に言ってきたから」と言われたとか。そんな母は、自分...
ここへ初めてやって来たころ母がいろんな花、農家の出だから野菜を…野菜は不収穫で土が悪いとやがてやめてしまったが…花をいっぱい咲かせていた、その中で家の前コスモスがこの時節になると咲いていた… それがいつしかなくなり、種をまいても…母言うことの「...
|