思いがけず狐火のような橙に出合う
- カテゴリ: 人生
- 2012/08/30 17:04:09
至福の時。
たとえば、思いがけなさに出合うとき。
今日、いつも行くスーパーの裏の、崖の森へ
久しぶりに脚を踏み入れた。
春以来、来ていなかった。
緑が濃くなっている。春のそれは、もっと柔らかい黄緑で、
芽生えをうれしがっているようだった。
夏のおわりのそれは、成長がみなぎっている。
崖上から湧水。
...
日々のはざまについて、
地上でみた夢の記憶、
地中で見られた眠りのすきま、
絵画や小説、想像世界、花たちなどについて
静かに渡りを記述しています。
至福の時。
たとえば、思いがけなさに出合うとき。
今日、いつも行くスーパーの裏の、崖の森へ
久しぶりに脚を踏み入れた。
春以来、来ていなかった。
緑が濃くなっている。春のそれは、もっと柔らかい黄緑で、
芽生えをうれしがっているようだった。
夏のおわりのそれは、成長がみなぎっている。
崖上から湧水。
...
朝5時前に毎朝、バイトで出かけています。
今までそんなに早い時間に空を見たことが
殆どなかったので、
朝の色の変化がとても新鮮です。
空の色。七月は完全に、朝でした。
それが、だんだん朝焼けの色になってきて、
空が薄暗くなってきました。
今日の空は、明け方の色が
大分地平線ぎりぎりで...
街を回る仕事。
この頃やけに子供の頃を思い出すのは、
こんなものたちに、街で出合うからだろう。
ビニールプール、
ザリガニ釣りをしている子供たち、
路地に並んだ 鉢植。
開け放した窓からのテレビの音。
こんな風に思い出を生き直すこと。
そういえば亡父にこの頃夢で会っていない。
街で...
父は、早くに亡くなってしまったので…。
あまり父の日についての思い出がありません。
けれども、私は父が大好きでした。
もっと生きていて欲しかったです。
私は父に顔が良く似ているそうです。
鏡をみて、なんとなく、今でも父の面影をさがしたり。
父の日といえば…。
母の日だった...
わたしは世田谷の○○で生まれました。小学校にあがるぐらいまで住んでいました。平屋のアパートですが、庭がひろかったことをおぼえています。
けれども父は亡くなっており、母に聞いても、場所をまったく覚えていないといいます。ですから何となく、それが具体的にどこにあったのか、知ることをずっとあきらめてい...
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