北の趙は、敬侯の下で都を軍事の要衝・晋陽から経済の中心地・邯鄲に移す
敬侯の曾孫・武霊王は北方の遊牧民族の騎馬戦術を取り入れた
『胡服騎射』と呼ばれ以後の趙の騎兵隊は諸国に恐れられた
魏に滅ぼされ後に再興した中山国を滅ぼした
北の趙は、敬侯の下で都を軍事の要衝・晋陽から経済の中心地・邯鄲に移す
敬侯の曾孫・武霊王は北方の遊牧民族の騎馬戦術を取り入れた
『胡服騎射』と呼ばれ以後の趙の騎兵隊は諸国に恐れられた
魏に滅ぼされ後に再興した中山国を滅ぼした
南の楚は、魏から亡命してきた呉起を迎え入れて政治改革を行い領土を広げる
悼王の死後、呉起が反対派に殺され改革も頓挫
覇権を握ったのは晋から分離した魏
魏公・文侯は李克・呉起などを登用、中山国の都を陥落させるなど魏を最強国とした
武侯の時代も覇権は続く
恵王の時代には、諸侯の間で初めて王の称号を使うなど強勢を誇った
しかし、斉に大敗し凋落の道をたどる
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