物理的世界とは別に、もう一つの、世界が在る。それは
、時間空間では、分からない世界。別の何処か、ではなくて、裏腹に存在。その世界でも、私は生きている。そこに生きているのは、私の自我である。自我にも目(心眼)が在り、心(魂)が在る。私は自我に、生かされている。
物理的世界とは別に、もう一つの、世界が在る。それは
、時間空間では、分からない世界。別の何処か、ではなくて、裏腹に存在。その世界でも、私は生きている。そこに生きているのは、私の自我である。自我にも目(心眼)が在り、心(魂)が在る。私は自我に、生かされている。
私(自我)が住んでいるのは、意味の世界。刹那に、瞬間瞬間に、言葉に変える。私は、言葉に変換された物理的世界(家庭、社会、………………)の中で生きている。この世界は、言葉で出来ている。言葉がなければ、生きてはいけない。肉体の終り(死)後は、意味の世界に帰るのだ。
肉体の終わりは、死を意味する。しかし、私(自我)は、生き続ける。肉体の死は、終わりではない。その時、頂いた心を、お返しする。誰に?。私(自我)に!。私は生かされている。だから、この人生を、無駄なく真剣に、生きねばならぬ。それは、奥の意味を、見い出す事である。
人間(生物)は、空気がないと生きられない。魚は、水がないと生きられない。私(自我)は、言葉がないと生きられない。コトバとは、意味である。まなぶとは、言葉を学ぶ事である。言葉を窓口にして、生み出される(意味)の世界に帰る。そこには、真善美(愛)の世界が在り輝いている。
私は、肉体と言う衣に包まれ、この世に生まれた。
そのときに、物欲の世を生き抜くために、心と言う杖を贈られた。心は、物欲の世とは、裏腹に存在する、もう一つの世界を、見抜く力だ。言い換えると、それは(愛)である。さらに言うと、所有欲の愛ではなく、(博愛)。
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