ミニ母の一生{母の最期)
- カテゴリ: タウン
- 2024/10/31 17:17:53
母は、50,60の頃からか耳の聞こえが悪くなっていた。老いると共にそれがだんだん悪くなり、亡くなる1年前か…突然何にも聞こえなくなった、と突然家に閉じこもるようになった。「大変だ」とすぐ下の弟が介護施設に相談、デーサービスを受けるようになった。その母、一日なんだけれど昼寝するところがト...
母は、50,60の頃からか耳の聞こえが悪くなっていた。老いると共にそれがだんだん悪くなり、亡くなる1年前か…突然何にも聞こえなくなった、と突然家に閉じこもるようになった。「大変だ」とすぐ下の弟が介護施設に相談、デーサービスを受けるようになった。その母、一日なんだけれど昼寝するところがト...
生涯を通して母は、どんな境遇にも耐え、強肩で誰とでも付き合っていく心の広い人だった。その晩年薬の副作用で健康を害し、あちこちの医者に行き、最後は市民病院で入院するはめになった。回復し、退院したがその後はずっと病院通い。
もう高齢になっていたがバスで乗り換え、病院通いを続けていた。その母、いつもバスか...
結婚しても絶えず苦労の連続だ母はいつも気丈に耐え、誰とも寛大に接し生きた。ここへ来て、私の結婚のすぐ後、そして離婚した年父を見送り、…絶えずいじめと言ったらおかしいが冷たかったおばちゃんの最後もみとった。献身的におばちゃんを介抱し、 こんな話は何だけれど入院しているおばちゃんを見舞った...
周囲の反対を押し切ってパートに出た母のおかげで少し家計がよくなった。それまで木切れで炊飯、炊事していたのからガスが入り、東京オリンピックを見ようとテレビが…冷蔵庫、洗濯機周りの近所から遅れて我が家にも入ってきた。のちに電話機も入った。
子供がみな学校を出て働くようになり、父が定年を迎え...
私の知っている限りではデパートに勤務する父の収入がほぼ中心だった。
母が結婚した時はどうだったのか、…ともかくその頃は生涯独身ですごした父の姉、私たちがおばちゃんと呼んでいたーーが家計を握っていた。このおばちゃん母には意地悪と言うか冷たかった。そのおばちゃんが家計がにっちもさっちもいか...