開高健と生きる その31 日本人もまた
- カテゴリ: お笑い
- 2020/02/27 09:37:57
日本人もまたたいした精力と規模で自然の破壊にいそしんでいる。日本の田には小川の小ブナも夕焼けの赤トンボもいず、草むらの恋人たちは耳もとに蜜バチの唸りを聞けないでいる。日本の田は稲こそ生えているが、もう自然ではなくて、化学粉末ですみずみまで殺菌された屋根のない工場となってしまった。
By 開高健
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釣り師ジュンチャンのお気楽なブログ
お暇な折に遊んでください。
日本人もまたたいした精力と規模で自然の破壊にいそしんでいる。日本の田には小川の小ブナも夕焼けの赤トンボもいず、草むらの恋人たちは耳もとに蜜バチの唸りを聞けないでいる。日本の田は稲こそ生えているが、もう自然ではなくて、化学粉末ですみずみまで殺菌された屋根のない工場となってしまった。
By 開高健
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顔のヘンな魚ほどうまいものだよ。人間もおなじさ。醜男、醜女ほどおいしいのだよ。
By 開高健
人は誰もが天才です。しかし、木登りする能力で魚を判断したら、魚は一生、自分は愚かであると信じて生きることになるでしょう。
By アルベルト・アインシュタイン
汚い土地には多くの作物ができ、澄みすぎる...
2月24日のアルバムです。
釣りはままならないものである。むろん、だからこそ、男は今日もまた竿を肩に、家を出て河へ、海へと向かうのだけれど、男にとって人生そのまま、遊びもまた……。
By 開高健
釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。
By サミュエル・ジョンソン
常...
思いぞ屈してこころ滅びる夜は、油砥石をとりだしてきて、鈎をせっせと研ぐ。
By 開高健
自我作古(じがさっこ)の業にのみ心を委ね、日夜研精し、寝食を忘るるに至れり。
By 福沢諭吉
釣り針を投げて、釣りの始まりである。少なくとも、川の中に魚はいるのである。
By ジュンチャン
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