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盗月Blog——島村抱月TextData——


島村抱月・著『近代文藝之研究』のテキスト・データ化ブログ。2014年02月に全文のデータ化終了。只今入力ミス等の校正進行中。

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(23)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第五(3)

九年は仇と過ぎて、二たびベアトリチェに巡り會ひしは、十八の春、フヰレンチェの町に人の往き來も繁き頃なりし、此の婦人、われには尋常の人蓄とも思はれず。天人などにやあらん。此の日は純白の粧ひして、二人の年長けたる婦人を左右に伴へり。我れは、はたと彼等...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(22)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第五(2)

ベアトリチェの父が春の宴には、我が父も列なれり。我れは父の跡につゞきて、奧なる客室に導かれしが、此の時客は既に半ばをも越えたりと覺ぼしく、歡聲笑語湧き立ちて、窓の前に相對するもの、隅なる安樂椅子に身を横たふるもの、卓を圍みて座するもの、立つて室内...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(21)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第五(1)

      第五

「されども我れは單に概般の理を語れり、更にかの赤き雲の道行く我が姿を見られよ。窶れたらずや。我が煩悶は闇黒不快の世より出でゝ早く光明自在の天地に到らんと願ふにあれども、斯かる願の本となりて、打つとも踏むとも變るまじき、大地の如...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(20)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第四(5)

史家の所謂近世是れなり。而して、智識の流れと相沿ふべき感情の領土は智識の流勢のすさまじさに壓倒せられて動々もすれば其の氾濫に任せんとす。文藝の森、宗教の園、是等は凡て道徳といひ、科學といふが如き智識の流れと對映して感情の領土を代表する者なるにも拘...

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■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝(19)

■近代文藝之研究|研究|囚はれたる文藝 第四(4)

コンスタンチノープルの落滅、印刷機械の發明と、史家が數ふる文藝復興の外縁は多けれど、一味の温光は、早くほの/″\の夜明けより、人の心の底に通ひたり、畢竟は是れ自然なる命數の循環のみ、節奏のみ。世は智識と感情との一大競爭場にして、二者の...

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