あれから15年か・・・
- カテゴリ:ニュース
- 2010/01/17 16:57:03
忘れもしない阪神大震災。
もうあれから15年もたつのですね~
月日がたつのは早いものです。
亡くなられた方々のご冥福を、お祈り申し上げます。
あのころの話を書こうと思ったけど、あまりにも暗い内容の上、生々しい話になるので
省略(/-\;;;
まあ、古いアパートに住んでたので、家は全壊しちゃいましたけど、
家族全員無傷で避難することが出来たのは、不幸中の幸いでしたね。
家族が無事でさえいれば、物質的被害があっても、何とでもなると思いました(/-\)
ありがとうです^^
家族無事なら幸せですよね(/-\)
お子さんは、あの年に生まれたんですね~
関西って、あの地震までは、地震らしい地震なんてなかったですよね。
震度2ぐらいまでだったような・・・
その分、ひずみがたまっていってたんでしょうね。
うちの部屋は、幸い家具がほとんどなかったので、大丈夫でした(/-\)
>meiさん
後から、あのころの映像とか見ましたけど、本物とは思えないような映像でしたよね・・・
最初の速報では、そんなにたいした被害には見えなかったみたいですけどね^^;
あのころは、みんな一生懸命に生きてましたね~
みんな助け合って生活してましたしね(/-\)
朝、テレビをつけたらものすごい映像が映っててビックリしたのを覚えてる
弟と『これ日本??』って二人で驚いた
でも、みんな一生懸命復興できることを信じてがんばっている姿に心が打たれたよ
学生だったので、コンビニとかにおいてある募金箱に募金することしか出来なかったんだよねぇ・・・
亡くなられた方へご冥福をお祈りいたします。
その時私のお腹には子供がいたんよ
実は私も関西出身~けど私が居た頃までは地震なんてなかったんだよ
なかったら逆に大きな地震が来たのね~同級生も向こうにいたから聞いた
そしたらもう少しでタンスの下敷きになりそうだったらしいよ
一人暮らしで、あの地震は、怖そうですね。。。
頼れるものがないですからね><
大阪でも壁に亀裂が入ったりしたんですね~
あれだけの規模の地震でしたからね。
しかし、親戚の家は、どうやって直したんでしょうね。。。
そういう工事があるんですかね^^;
あのときは、電話は全然通じなかったので、連絡も出来ず心配でしたよね~
うちは、友達同士は、直接家まで会いにいったりして確認しました。
自転車で走り回ったものです。
今生きてる喜びを感じながら、しっかりと、甘いものを食べたいと思います(/-\)
当時、高校3年生でした。センターリサーチの日でした。TT
既に一人暮らしだったので、超ビビりました。(汗
我が家は大阪だったので、本や食器が落ちただけで済みました
(といっても壁には亀裂が走ってました)が、
尼崎の親戚の家は傾いて(長方形が平行四辺形になったみたいに)
すべての戸が閉まりませんでしたよ。。
伯父伯母は未だにその家に住んでるので、何とかして直したんでしょうけど。
高校の礼拝堂や講堂、校舎も天井や壁が一部崩れたりして大変でした。
それに卒業礼拝で行くはずだった、川口教会が全壊して悲しかったなぁ。。。
神戸方面から通っている友達もたくさんいたので、しばらく連絡が取れなくて心配しました。
幸い、近しいところでは犠牲者が出なかったので良かったです。
旦那のところはライフラインが全滅して大変だったそうです。
阪急の駅がぺしゃんこになったのを見たときはショックだったと。
今、こうして生きていることに感謝です。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
ぴとみんさんの知り合いの方が亡くなられたんですね。。。
ご冥福をお祈り申し上げます。
わたしも、地震はすっかりだめになりましたねぇ
小さな地震でも、これから大きくなるんじゃないかとびくびくしてしまいます><
知り合いや同級生にも亡くなった方もいたし・・・
うちは、大阪だったので、マコトさんのところほど
直撃はしませんでしたが、それでも、あの地震の後からは
小さい地震でもびくびくする様になりました。
あらら、あずーさん、泣かないで><
みんなが付いてますよ!
いつも笑顔でね(/-\)
>霧さん
霧さんも、関西にいたんですね~
あのときの恐怖ってのは忘れられないですよね。
わたしは地震の後、1年ぐらいは夢に出てきましたから。。。
霧さんの家族は無事でしたか?
>オリちゃさん
奈良でも結構揺れたんですね~
地震のときの怖さって、いつまでも忘れないですよね。。
今でも地震があると、震度1でも、心臓がドキドキします。
それでも、無事だっただけでも幸せだと思いますね><
あの後に、神戸に出勤だったんですね。。。
行くのも大変だったでしょ^^;
うちはまだ学生だったので、学校は休みになりましたけど、仕事はそうは行かないですからね。。。
電車が止まったので、神戸から大阪まで自転車で行ったという話も効きました。
ドラマは。。。
見てないんですよねぇ。
見てるだけでもつらいので><
これからも、後の世代に伝えていかないといけないことなんでしょうね~
さすがにブログではかけませんが^^;
恐くて 寝れ無かったよ・・・ちょうど 成人式が終ってすぐの日だったしね 覚えてるよ
たくさんの人が亡くなったね・・・ご冥福をお祈りします・・・
小さいながら恐かったことだけはよく覚えています。もう15年も経ったなんて信じられないです
マコトさんのご家族は全員無事だったんですね。良かったです^^
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
このせいかなぁ
すごく悲しいのは・・・
自分も地震発生から2時間後に出勤しました。
幸い住んでいた独身寮は一部損傷で済みましたが
旧居留地にある職場は半壊(全壊だけどとある理由で
半壊の判断w)でした。
昨夜、神戸新聞の記者をテーマにしたドラマがありまし
たが、神戸のどこの職場でも同じことが起こっていたと
おもいます。
自分も体験したことはあまりにも生々しくて辛いことばか
りでしたから書きませんが、被災者として自分自身体験
したこと、また被災者を救援する立場として携わった経験
は一生忘れられないですし、忘れてはいけないことと
思っています。
そして昨日ドラマでの台詞、ずっと伝えて行かなくては
いけない。 そう思います。
月日がたつのは早いものですね~
人の力のすごさってのは確かに感じましたね~
あの地震で良くも悪くも人生が変わった人は多いと思いました。
うちは、家族全員無事だったので、立ち直るのも早かったです。
大変なのは大変でしたけどね><
ハイチでの地震は、ひどいことになってますね。。
少しでも早く復旧できるように祈りばかりです。
早いですね。
あの時、人の底力というか『いきていること』の意味を
被害に遭われても助け合い、復興を目指す方々の映像を見て思い知らされました。
今、15年経って…ハイチでの地震被害。
偶然にしては出来すぎていると思います。
これは自然から人類に対しての警告なのではないか、と。
マコトさん、そしてご家族の皆様が無事であったこと、何よりです。
きっと私より『いきること』や『家族』という意味の重みを感じているのだろうな、と思いました。
('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*) ウンウン
生きてさえいれば、いくらでもやり直しは効きますからね(/-\)
堂島ロールは、残念ながら、一人占めして食べますけどね^^
物質もなにも大事な方達あってのことなので不幸中の幸いだったと
思います。
これからもご家族で堂島ロールとかあまいものたべまくって幸せを
謳歌してくださいね☆
うんうん、早いですよね。。。
テレビで見ていたら、日本で起こってる現実のこととは思えなかったでしょうね^^;
家族全員、無事でほんとに良かったです。
それだけが、救いです><
あの朝、私はインフルエンザで休んでいたんですよね・・・。
テレビをずっと見ながら、現実の出来事と思えなかったのをよく覚えています。
本当に家族のみなさんそろって無事で良かったですね><
早いものですよねぇ
まだ、後遺症に悩まされてる人もいるみたいで、いかにすさまじい災害だったかが分かりますね><
こうやって、よっちーさんと出会えたことにも感謝ですね!
>gardeniaさん
わたしも学生でした。
神戸の大学だったので、下宿してる友達とかもいましたが、
幸い小さな怪我までで済んだようでほっとしましたね。
復旧は・・・
区画整備の地域になっちゃったので、いまだに住んでたところは復旧してないんですけどね;;
あの頃はまだ学生で、ニュースで地震のことを知りました。
亡くなった方たちのことを思うとかなしいけれど
復旧の早さにも驚きでした。
日本人てすごいなって思いました。
亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、今も当時の後遺症に悩まされている方が一日も早くもとの生活を取り戻せるように心からお祈りいたします。
マコトさんが無事でいてくれたおかげでこうして出会えたわけですから、感謝しないとね。
うんうん、早いものですよね。。。
家族が無事であれば、いくらでもやり直すことが出来ますからね~
あれだけの災害で、怪我がなかったのは、まだ、幸せだったんだと思いました。
>のんたんさん
うんうん。もう15年もたつんですよね~
神戸に住んでいても、今の子供は地震を知らないんですよね
そこを伝えていくのは、わたしたち大人の仕事ですからね(/-\)
こうやって、ニコットで遊べるだけ、わたしは幸せですね(*ノノ)
謹んで御冥福をお祈りいたします、、震災を知らずに育った子供たちも多い。。
命は取り戻せないもん 無事で何よりです^^
そのおかげで、まこっちゃんとこうして話せる♪
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
マコトさんの仰るとおり、家族の無事が一番ですね。