僕の思想
- カテゴリ:日記
- 2009/12/23 05:55:10
僕は建築家を目指している大学生です。
■僕のもつ建築に対する思想、それは
「建物はいらない」(絶対数として)
■最近の僕の口癖は、
「人は地球に自分たちの居場所を作りすぎた、不必要な空間は地球に返すべき」
地方の過疎化やコンパクトシティの流れ、環境問題の影響を感じる僕の短絡的な思想ですね。
おそらく建築に関わる人の中で同じように考えている人は少なくないでしょう。
けれどそれを言ってしまっては仕事が激減する、だから作る、という矛盾を抱えながら仕事をしていう建築家もおられるのではないかと未熟者なりに考えてます。
上記の2つが一般的になったとき、建築、建築家の役割は
「シェルターを手直しする建築家」と「心へ訴えかける芸術系建築家」
なのではないでしょうか。
んー、何とも浅い、純粋すぎる考え。
きっと建築家たちはもっと高尚で素敵な未来を描けているのでしょう。見られたら笑われるかも。絶対に見られたくないですね。
じゃあなぜニコタのブログに書いたのか・・・
これから社会で建築をつくっていこうと考えている僕のこの考えに対して、実際に社会というものがどういう反応を返してくるのかを知りたいのかも。
建築家という肩書きをもってしまったら容易には口にできない浅く純粋な思考を、今のうちに社会に吐き出したかったのかもしれませんね。
それにしても車中泊が流行っているとは・・・面白い。
建築の原点ですね。人を自然から守るための最低限のシェルターという機能。プリミティブな建築が流行るかも?
学問としては勉強していませんが、語学以外のあらゆる学問が強く関わってくるので、みんな個人的に幅広く知識を得ようと努力していると思います。日本においては建築は工業製品ですから、学問として学ぶのはもろ工学系だけですね。日本は特化するのは得意だけど分野を横断・統合する力が弱いとどこかで聞いたような・・・そういう意味でも他分野を学ぶ姿勢は大切なのかもしれませんね。
確かにシンプルな定義からのスタートがいいのかもしれませんね。複雑を一気に許容しようなどというのは無理な話、シンプルな定義の積み重ねで可変的に全体として許容できる日が来るといいなと思います。おそらくそんな日は来ませんが、そこに向かおうとするのは大切だし、小さくてもその足がかりをもって始めるべきですよね。賛同していただけて嬉しいです。たとえ異端でも・・・なんてw
なるほど・・・収束というより逆に横断や統合へと向かうということでしょうか。
建築は徐々に工業製品という型から情報や芸術、歴史といった分野に染み出していて、機能の器ではなく機能との融合が進んでいるような気がします。それがさらに進んだとき、建築家という職業も(建築家だけではないはずですが)他の職業と融合し新たな姿で「ものをつくる人」「科学を利用する人」となるのかなという気もしてきました。
いきなり話がそれますが,建築系の方々は社会学も勉強されるんでしょうか.
なんとなくそれっぽいキーワードが目についたもので.
僕自身はかじったどころか表面をなでた程度の分野なので勘違いかもしれませんが.
いずれにせよ,エンジニアはもっと社会学や哲学を学ぶべきだとは考えています.
建築家のアイデンティティに関してですが,
シンプルな定義からのスタートに賛同します.
指摘されているとおりですが,現実社会は複雑に膨張しすぎです.
僕らのような物理屋さんであれば,
キレイな理論が成り立つような環境(超高真空・極低温など)を作り出して,
俗世からかけはなれたところに逃げ込むこともできるのですが,
建築屋さんはそれができないのが大変そうですね.
保守管理と芸術創生に収束させるのも言い得て妙かなと.
広く全般に理科系が果たすべき使命なのかもしれないですね.