Nicotto Town



なんとなく思ったこと・・・なのにちょい長いですw

僕は自分の地元を味気ない貧相な街だと思ってた。
塀に囲まれた大規模な工場が町中にあるから。
公園がほとんどないから。
灰色のビルだらけだから。

確かに見た目は味気ないかもしれない。
景色としては貧相かもしれない。
けど本当に味気なく貧相なのは街じゃない・・・

それを見る人の目なのではないか?

電車で隣り駅まで行き、駅と学校を往復する毎日。
その道の途中にある建物や、普段通らない道にある空間には何があるのか
誰がどんな日常を送っているのか、僕は知らない。
あの塀の向こうでどんな集団が何を行っているのか、僕は知らない。
1つ1つのビルの中で、誰がどんな仕事をし、どんな集団を作って、どんな友情や愛情が存在するのか知らない。

そう、街の至るところに存在する集団を僕は知らないのだ。

視覚的には、都市を作っているのは建物や構造物や道である。
だけど本当に都市をつくっているのは、無数の人の集団である。
集団の集団が都市である。
どの集団にも動きがあり、その中にいる一人一人にはそれぞれの想いがある。
自分が普段所属している集団に愛着や想いがあるように、町中の集団の全てには想いが宿っている。
もしもそんな各「集団の想い」を知る事ができたなら、1つでも多くの集団の存在を感じることができたなら、その集団のいる建物は決して「謎の建物」ではない、「知らない建物」ではない、「味気ない建物」ではない。きっと中の人々の顔が、風景が映るだろう。
それが広がれば都市は決して味気ないものではなくなるのではないだろうか。

そう思っているけど、僕にはそれに合った建築を提案する力はまだ無いようである。一生の課題かな。

アバター
2009/12/21 23:55
えっちゃんさん>

生活環境や歴史自体が人の作り上げたものですもんね。
廃墟や空家、不必要な建築や空間は、少しずつ人の介入しない自然に返すべきではないかと思う今日この頃です。
アバター
2009/12/20 23:20
街は生きてるから。
そこで生活してる人の息吹が感じられる。
無機質に見えるコンビナート群も実は人々の営みの表れなのだ。



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