生きる{5}
- カテゴリ:日記
- 2026/10/21 17:56:56
その縦笛の音色は、少年が奏でているとは思えぬほどに、繊細で奥行きのある響きであった。その旋律に合わせて、草も花も樹木も虹も人も、心を和ませ踊りだす。その調べは、あたりの空気に溶け込み、朗々と響き渡った。常和の縦笛には、万物の心を和ませ、生まれたままの姿を思い起こさせる、不思議な力があった。
その力が、そうさせたのだろうか。常和の心の奥に、京都大原で、赤子の多恵を託された情景が、まざまざと蘇ってきた。
時は、1467年「応仁元年}晩秋である。
場所は、京都の郊外、大原にある山寺だ。
ここに、当年12歳となる常和がいる。5歳になったとき、父東常縁の考えで、修行のため、旧知の一休宗純を介して、この山寺に預けられた。ただ正式に仏門に入ったわけではなく、仏教の他に、他の学問も学び、また、武術を習得するためである。総じて言えば、人間性を高めるためであるというのが、父常縁の意図する所であったかもしれない。いわば、常和にとっては、寄宿制の学校に入ったようなものであった。
常和は、今夜もいつものように、一日の勤めを終えて、床に就こうとしていた。目を閉じて寝ようとするれれど、頭が冴えてなかなか寝付かれそうにない。ある思いが、行きつ戻りつするのである。京都市中の屋敷にいる母のことである。この夏に風邪をこじらせて、体調を崩し、床に伏すことが多くなった。まだ年齢は30歳の若さだが、他の病をわづらっている可能性もある。
常和は、心のなかで、「1日でも早く、ここ大原に疎開させなければーーーーー、父常縁は、房総に進駐していて不在の状態だーーーーー」と、呟いている。彼の気持ちを、心配の極みに駆り立てているのは、ここ京都を取り巻く、不穏な情勢にあった。全国各地から、多数の兵士たちが、次々と上洛して西と東に陣を張り、いつ戦いが勃発してもおかしくない状況なのである。
外では、寺男が、拍子木を打ちながら、「火の用心、火の用心、ーーーーーーー」と、警戒を呼びかける大声を出しながら夜回りをしている。敷地内の建物の、戸締まりと火の始末を確認しているのだ。すべての建物と火元の点検を終え、寺院の庭を、北から南へ通じている、石畳を下ってきた。と、その時、南の空がやけに明るいことに気づく。目を凝らし、よく見直してみると、ここから7里ほどの距離にある、京都の町中が燃えているのだ。幾本もの火柱が、夜空に高く立ち上ってゆく。
寺男は、気を動転させ、一瞬我を忘れてたじろぐ。だが、すぐに冷静さを取り戻し、拍子木を連打しながら、「京都の町中が燃えているぞ、燃えているぞ、ーーーーー」と、大声を出してあたりに告げて歩く。その声に驚いた、住職はじめその他の面々が、外へと飛び出し、寺男の立っている場所に駆け寄っていく。そして、みんな一斉に、京都町中の方角を見ている。その中には、常和もいた。
彼は、直ぐ様宿坊に戻り、簡単に身支度を整えて出てくる。
そして、住職に願い出る。
「どうか、外出を、お許し下さい。町中にいる、母が心配なんです」
住職は、一瞬、あの火中に飛び込むとは気違い沙汰だ、と言わんばかりの表情を見せたが、即座に返事をした。
「気をつけていけよ。幸運を祈ろう」
常和は、厩舎から、愛馬の栗駒を引いてくるや、即座にそれに飛び乗り、京都市中を目指し走り出したのである。
全速力で馬を走らせる常和の胸中には、優しかった母との思い出が、次から次へと去来する。だが、その底の底にあるのは、無事であってほしい、という熱い願いだ。その願いが、成就されるよう、栗駒の背を、何度も何度も、打ち続けた。
京都の町中が、近づいてきた。誘発された強風に煽られた、ということもあるだろうが、街全体が一つの火だるまのように燃え広がり、その炎は果てしなく、夜空に吸い込まれていく。というよりは、天を焦がしているようだ。月も無数の星たちも、同時に燃えているようである。
ここまで来て、困ったことに、馬が一歩も前に進まなくなった。この世のものとも思えぬ光景を眼の前にして、怯えているのである。常和は、「お前には、ここからは無理だよな。良くもここまでが頑張ってくれた。ありがとう」と、呟きながら馬から降りた。そして、「無事に帰れよ」と、栗駒の背を優しくそっと撫でた。栗駒は、その気持を汲み取ったのだろうか、常和を一瞬見て、来た道を一目散に、駆け戻っていつた。
どのくらい、歩いただろうか。常和の頭からは、次第に時間の感覚が、失われていったようである。東の空が、白白と明けるころ、ようやく町中についた。先程まで燃えに燃えていた炎は、焼き尽くせる全てを一気に駆け巡った後で、一息ついているようである。そこかしこから、白い煙がくすぶっている。火災は、少しづつ、沈静化の方に向かっていた。
昨夜の悪夢を、追い払うかのように、太陽が少しづつ顔をのぞかせ、あたりの情景を照らして、浮かび上がらせ始める。道のあちこちに、体中に火傷を負いながら、炎から逃れようとした人たちが、力尽き行き倒れて、うずくまっている。先程までは、炎の燃え盛る音に遮られて聞こえなかったが、あたりから、痛み苦しむ声が、漏れてくる。
街の東側を流れる、加茂川にたどり着く。常和は、その水面を見て、思わず絶句した。ーーーー「これはまさに地獄だ」ーーーーー。何故なら、灼熱の炎を逃れて、水に入った人たちが、水面を走った熱風により、その生命を奪われたのである。
川は、僅かな隙間もなく、死体で埋め尽くされていた。
前方に横たわる死体を避けながら、少しづつ前に進む。やっとのおもいで、母のいる屋敷と思しき場所にたどり着く。そして、母が病に伏せていた場所にたどり着く。彼女が愛用し、常に身につけていた、かんざしが目に入る。その横に、既に白骨化した遺体が、横たわっていた。
「母上、お許し下さい。もう少し早く、大原に疎開していただいたならーーーーー」
常和の頬に、大粒の涙が流れた。そして、すすり泣いている。どのくらい時間が流れただろう。それから、亡骸に向かい頭を下げる。お教を唱えた。そして、遺骨を、持っていた袋に入れた。
常和は、白い煙がくすぶり続ける町中を、東へと戻り始めた。燃え残った蔵から、数人の男たちが、商品や財宝を運び出している。多分、この戦いに加わった兵士が、盗みを働いているのだろう。西軍か、それとも、東軍だろうか。焼けただれた死体で、あたりが埋め尽くされているというのに、なんという心無い行為であろう。
常和は、あまりの悲惨な光景に打ちのめそうになりなりながらも、考え続けていた。今回の闘いは、将軍足利義家とその妻日野富子の、次期将軍を巡っての確執に端を発した。有力守護である細川勝元が勝家、山名宗全が富子の後ろ盾となったことにより、関東以北、及び南九州を除く諸国の守護が、両派に分かれて従った。今年に入り、京都に乱入、町中の東と西に陣を張り睨み合っていたが、昨夜、決戦に及んだものである。
政治とは、いったい何なのだろう。民衆を苦しめた末に、このように死に至らしめるためにあるのか。今から約七年前、西国で大飢饉が発生した。その時、京都へ流れ込む群衆が相次いだが、結果的に餓死者が8万2千人に達したという。今回は、その比ではないであろう。

























