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生きるとは{3}

私は、二年間の暖かく深い愛に、感謝の気持を述べた。勿論、ユージンが通訳してくれた。しかし、彼がいかに私の気持ちを汲み取って表現してくれたにしても、心底の気持ちは伝わっていないのではないか、という無念さが残る。それは、ユージンに対してもある。何故なら、自分自身に、感謝の気持を全てし尽くしたかと問えば、内心忸怩たる思いが、残留していたからだ。


太陽が西の水平線に沈み、満天の星たちと満月が、大海原を照らし始める。まるで、私の船出を、祝福してくれているようだ。このような夜に船出すると、安全な船旅が保証されると言われている。私は、沖合に停泊している商船に乗り込むため、はしけに乗り、岸辺を離れた。ユージンと彼の仲間たちは、砂浜で篝火を焚いて、船旅の安全を祈ってくれている。私は、{ありがとう}とつぶやきながら、手を合わせた。

船は、満月の光と、それが海面に反射する光とで、真昼のような明るい穏やかな大海原を、一路サイゴンに向けて走り出す。私は、砂浜に向かって、[さらばユージン]と、叫んでいた。そして、別れる間際まで、彼に聞き出せなかったある思いが、胸の奥に湧き上がってくるのを、感慨深く見つめていた。それは、ユージンが見ず知らずの私に、どうしてこれほどまでに親切にしてくれたのか、ということである。そのことについて問いただすことは、彼の真意を疑っているようで、また、友情が壊れてしまいそうで、とうとう聞かずじまいであった。

しかし、降るような満天の星空の下で、月光に照らされた大海原は、私を確かな境地へと、導いていった。

それは、私とユージンの間の深い部分にある、二人の命と命の絆であった。言い換えると、何者でもない、二人の自我と自我との絆であった。

無事に、サイゴンについた私は、それから約4年半ほどの月日を費やして、インドシナ半島を、放浪して歩いた。最初は、サイゴンから、北西の方角を目指した。まず、カンボジアを訪れ、次いで、シャムに行った。そこから、また、サイゴンに戻り、安南を北上して、トンキンに至った。

この日本から、南陽諸国へ移住する人も、少しづつ増えている。プノンペン、アンチャ、フェフオー、ツーランなどの都市には日本人街が形成されるほど、サイゴン、ユエ、ハノイには、数は少なかったが、日本人が居住していた。

だが、私はできうる限り現地の日本人との接触を避け、その国の人達の中に入っていつた。何故なら、先入観無しに異国のありのままの生活文化習慣に触れることが、この旅の目的であり、今の自分には必要なことだと、肝に銘じていたからである。

私は、ハノイから国境を超えて、中国に入った。それから約3年半かけて、武漢、西安を始めとする様々な場所を訪ね歩き、上海に到着したのである。そこで、日本の貿易船に乗る機会を得て、堺の港に戻ってきた。ユージンと別れてから、約9年の歳月が流れていた。

九年間に及ぶ、ある意味で天から与えられた試練とも言うべき困難な経験の中から様々な事柄を学び身に着けたけれども、その真髄とは、と問われたら、次のように答えるであろう。

それは、国家、民族、宗教を超越して、時代が移ろえどもその意味が変わらず輝き続ける、真善美である。人は、常に、心の深い所で求めている。だが、本当の自分は、既にそれを知っている。だから、思い出せばよいのである。しかし、それはなかなか難しいことである。それは、過去、或いは、未来には、存在しない。今この瞬間瞬間を、生きていなければ、見つけることはできないのだ。

本当の自分とはーーーーー、私はそれを、{自我}と呼ぶことにしょう。我々は、毎日常に、その時の思い感じを、言葉に変えながら生きている。そして、その言葉を使い、他人と話をしている。そう、自分とも話をしている。その、自問自答するときの相手が、自我なのである。自我とは、何もしていない自分であり実感することができない。産声を上げてから、この年齢に達するまで、いつも常に片時も離れずに傍で見守っていてくれているというのに。日々、真に生きているのは、私の自我なのではないか。自我が、感じ考えて、いるのではないか。ひよっとしたら、自我とは、言葉なのではないか。ーーーーー、私は、日々、自我という言葉に、生かされているのではないか。

例えば、我々がこうして生きている日本という国家の今という時代においても、統治者が流布する様々な法律、或いは、あなた達が心のなかで信じているかもしれない宗教上の作法は、国境を超え、他国、他民族の中に入れば、全てとは言わないまでも、黒を白、赤を緑というような、全く反対の意味に解釈されることもある。

私は、この九年間、そういう事例を嫌という程見せつけられた。しかし、{自我」の考える真善美に照らしてみると、底が浅いと言うことだろう。

だからといって、世間のやり方或いは常識が、おかしいと思いその流れに竿をさし異議を唱えるべきだと言っているのではない。それは少し、性急すぎる行為だと思う。何故なら、極端な言い方になるかもしれないが、世間からはじき出され、罪を着せられ、断罪されることにもなりかねないからだ。

我々のような俗人には、そのような生き方は重たすぎる。ここで大切なのは、何らの疑問も持たず時の流れに身を任せるのではなく、それは少しおかしいのではと、疑いの心を持って、生きることである。もっと言えば、{自我}の考える真善美に基づく態度であれば、さらに良い。

だが、世間には、そのような生き方で、勇敢にも世の中に意義を申し立て、社会の流れに反逆するものとして罪を着せられる偉人が少なからずいるのも事実である。
いわゆる殉教者である。

有史以来、罪人という刻印を押され、周囲の民衆からつばを吐きかけられて、死刑場へ送られた末に断罪された殉教者は、何人いたことであろう。ーーーーーーー」

長い話であった。常二郎は、この最後の言葉を言い終えると、深くひと呼吸して目を閉じた。固唾を呑み、その話に聞きいっていた常和も、同様に深い溜息をついているように見えた。

「深く含蓄に富んだお話を、本当にありがとうございました」と、常和は、深々と頭を下げた。そして、「そろそろ戻りましょうか」と、腰を上げた。二人は、寄せては返す波の音、潮の香りに別れを告げて、海岸に沿って繁茂する草地の中を、ゆっくりと歩いてゆく。あたりには、砂地を好む色とりどりの花々が、今の季節を楽しむかのように、競い合うように咲いていて、まるで花畑の中の遊歩道のようだ。

程なくして、ここ佐是郷の名主である、平蔵の屋敷に到着する。諸国を行脚している常次郎は、三浦半島に至ると、ここに寄宿するのを常としている。二人は、母屋と廊下でつながっている、別棟の座敷に入った。二人は、縁側越しの、庭の景色を眺めている。所々に、大小の石を配した石庭である。昨夜の雨で洗われた庭木の緑が、陽光を反射して、わずかに湯気を放ちながら、キラキラと輝いている。座敷の正面に、梅の木が植えられており、満開に花を咲かせている。小枝に止まった小鳥が、枝から枝へせわしげに動き回り、何かをついばんでいる様子だ。

常二郎は、庭の陽気に誘われるように、縁側から庭に出ていく。常和はといえば、外には出ずに、縁側伝いに渡り廊下を通って平蔵の母屋を訪れる。妻のみつが、夕餉の支度をしている最中である。囲炉裏の上に吊り下げた土鍋の中に、野菜、魚、などの具を入れているところだ。平蔵は、真向かいに座り、茶を一服しながら、何やら考えているようだ。多分、近日中に始まる田植えの段取りについてであろう。


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