地獄で生きていた過去と安らぎに死に続ける今
- カテゴリ:日記
- 2026/09/17 23:48:30
最近メンタルがよろしくない自覚があったので、久しぶりにお散歩してきました。
昔から、特に意味のない無駄なことをするか、積み上げたものを破壊するのが最大のストレスの解消法で、前者に当たるものの一つが散歩でした。
健康目的でも、あらかじめ目的地があるわけでもなく、別に歩きたいわけでもありません。
健康目的でも、あらかじめ目的地があるわけでもなく、別に歩きたいわけでもありません。
ただ疲れるだけで、何も得るものがない、無意味なことをするのが好きなのです。
高校生の頃、気が狂いそうになったときは大きな国道をただひたすら真っすぐ歩くということをやっていたんですよね。
他県まであと33㎞という表示を見て、「フルマラソン以下なら歩けるのでは?」と疑問を持って無駄に歩き続けて、足が血まみれになったりしていましたね。そりゃ、制服の革靴で普通に学校の荷物持ったままやったらそうなるだろって話なんですが。
そんなことを思い出した私はふと「高校に行ってみるか」という気になり、片道1時間半以上の道のりを歩き続けて母校の前まで行ってきました。
この橋を登り切ったら校舎が見えるというところまで来たときに、足の感覚が無くなったので、私にとってここは嫌な場所ではあったのだなと実感しました。
私の代は「高校生が歩いてたら補導されるだろ」というような時間まで学校に残って勉強させられていたので、点いている教室の電気の数を見て、普通になったんだなぁとしみじみ。
私は高校生時代が一番地獄でした。
興味の無いどころか、むしろ捨てたいと思っていた「高学歴」というステータスのために毎日早朝から深夜まで勉強漬け。移動時間すら勉強しないと間に合わない小テストの山は、不合格になったら家に帰る権利すら失い、再テスト地獄。
そして得られるものは私が一番捨てたかったもの。
そして得られるものは私が一番捨てたかったもの。
そんな嫌な記憶を振り返りつつ、私は思いました。
あの頃の私は生きていたなぁと。
疎遠になりつつあるとはいえ、ここ数年はある程度甘えられる人が居て、1人で苦しんでいたあの頃よりも恵まれているはずなのに、どうしてこんなに精神が死んでいるのだろう。
苦しみながら生きていた子どもの頃と違って、今の私は限りなく虚無に近い安らぎの側で死んでいる。
一回甘えることを覚えてしまったが故に、『孤独』という唯一のプライドが無くなった私は抜け殻になったのかもしれませんね。
その空っぽな容器の中に詰めるものがない今の私は、再び精神的な『孤独』を突っ込めば、簡単に立てるのだろうなぁ。
別の何かが見つかればいいんだけどね
























