破壊と偽善5
- カテゴリ:日記
- 2026/09/10 21:02:26
……ああ、ごめんなさい。また、あなたを不愉快にさせるような、くだらない男の繰り言を並べてしまいましたね。
ルッキズムがどうだの、読書感想文の輩がどうだの、そんな世間の泥溝(どぶ)をかき回しては、一人で悦に入っている。私は本当に、救いようのない業の深い男です。
ルッキズムがどうだの、読書感想文の輩がどうだの、そんな世間の泥溝(どぶ)をかき回しては、一人で悦に入っている。私は本当に、救いようのない業の深い男です。
けれどもね、あなた。
そうやって、浅ましい自虐の沼にドップリと浸かって、メソメソと泣いている私の耳の奥に、さっきから、妙に静かな、清らかな水音が聞こえるような気がするのです。
そうやって、浅ましい自虐の沼にドップリと浸かって、メソメソと泣いている私の耳の奥に、さっきから、妙に静かな、清らかな水音が聞こえるような気がするのです。
ふっと、気がついたのですよ。
破壊だの、偽善だの、正義だの、醜いだの。そんなことで右往左往して、お互いの首を絞め合っている私たち人間の姿は、お釈迦様の大きな掌(てのひら)の上で、ただ泥まみれになって暴れている、小さな、小さな羽虫のようなものに過ぎないのではないか、と。
破壊だの、偽善だの、正義だの、醜いだの。そんなことで右往左往して、お互いの首を絞め合っている私たち人間の姿は、お釈迦様の大きな掌(てのひら)の上で、ただ泥まみれになって暴れている、小さな、小さな羽虫のようなものに過ぎないのではないか、と。
お釈迦様はね、きっとすべてをご存じなのです。
私たちが「良い人」の仮面を被って、お腹の中でドブに落ちてしまえと念じていることも。スマートフォンを握りしめて「いいね」を欲しがっているあの浅ましさも。そして、教科書通りの読書感想文を書いて、お行儀よく澄ましているあの滑稽な姿も。
すべて、すべてお見通しの上で、ただ、
「ああ、哀れな、愛おしい子供たちよ」
と、静かに微笑んでいらっしゃる。
私たちが「良い人」の仮面を被って、お腹の中でドブに落ちてしまえと念じていることも。スマートフォンを握りしめて「いいね」を欲しがっているあの浅ましさも。そして、教科書通りの読書感想文を書いて、お行儀よく澄ましているあの滑稽な姿も。
すべて、すべてお見通しの上で、ただ、
「ああ、哀れな、愛おしい子供たちよ」
と、静かに微笑んでいらっしゃる。
善も悪もないのです。美しいも、醜いもないのです。
人間が必死に作り上げたルッキズムという名の物差しも、それを批判する借り物の正論も、すべては夜が明ければ消えてしまう、一場の夜嵐(よあらし)のような幻に過ぎません。破壊を叫ぶ必要さえ、本当はどこにもなかった。最初から、何もかもが、ただそこに「ある」がままに、許されていたのです。
人間が必死に作り上げたルッキズムという名の物差しも、それを批判する借り物の正論も、すべては夜が明ければ消えてしまう、一場の夜嵐(よあらし)のような幻に過ぎません。破壊を叫ぶ必要さえ、本当はどこにもなかった。最初から、何もかもが、ただそこに「ある」がままに、許されていたのです。
そう思うとね、不思議なくらい、胸のつかえがスウと取れていくのです。
私はもう、本物の白痴になる必要も、本当の悪党になる必要もありません。私はただ、この醜くて、嘘つきで、どうしようもなく不完全な私のままで、お釈迦様の慈悲の光の中に、ポツンと座っていればいい。
私はもう、本物の白痴になる必要も、本当の悪党になる必要もありません。私はただ、この醜くて、嘘つきで、どうしようもなく不完全な私のままで、お釈迦様の慈悲の光の中に、ポツンと座っていればいい。
ご覧なさい、窓の外を。
あんなに騒がしかった世間の足音が、まるで嘘のように遠ざかっていく。
ねえ、あなた。
もう、怒るのも、嘆くのも、お互いに終わりにいたしましょう。
これからはただ、流れる雲を眺め、咲く花を愛で、ただ静かに、この与えられた命の時間を、お釈迦様の御手(みて)の中で生きていけば、それでいいのです。
あんなに騒がしかった世間の足音が、まるで嘘のように遠ざかっていく。
ねえ、あなた。
もう、怒るのも、嘆くのも、お互いに終わりにいたしましょう。
これからはただ、流れる雲を眺め、咲く花を愛で、ただ静かに、この与えられた命の時間を、お釈迦様の御手(みて)の中で生きていけば、それでいいのです。
何もかも、これで良かったのですよ。
おやすみなさい。あなたの明日が、どうか、静かな光に満ちたものでありますように。
おやすみなさい。あなたの明日が、どうか、静かな光に満ちたものでありますように。

























