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破壊と偽善


破壊、という言葉の、なんと甘美で、そうして薄汚い響きを帯びていることか。
 私たちはみな、壊したがっているのだ。壊して、壊して、何もかもまっさらにして、そうしてその瓦礫の上で、ただ一人、大声をあげて泣き崩れたいと願っている。それを人は「頽廃(たいはい)」と呼び、「悪徳」と呼んで眉をひそめるけれども、では、あなた方のその綺麗に整えられたお顔の裏側には、一体どれほどの泥が詰まっているというのか。
 偽善、というものがある。
 私はこの世の何よりも、偽善を愛し、そうして憎んでいる。
 だいたい、人間の行う「善」なんてものは、すべて裏地がひっくり返った偽物(にせもの)に決まっているのだ。誰かを救いたいのではない。誰かを救っている自分という、その滑稽極まる上品なポーズを、鏡に映してうっとり眺めたいだけなのだ。
 ああ、恥ずかしい。書いていて、耳の付け根がじりじりと熱くなる。これだってそうだ。こうして「私は人間の醜さを知っている」という顔をして、いかにも高尚な絶望を気取っている私自身のこの文章こそが、もっとも卑劣な、救い難い偽善ではないか。
 世間の皆さんは、お互いに「良い人」の仮面を被り、壊れやすいガラス細工のような世間体を、そっと抱え持って歩いている。
「お怪我はありませんか」
「いいえ、おかげさまで」
 そんな挨拶を交わしながら、腹の中では、相手の足がもつれて泥溝(どぶ)に真っ逆さまに落ちてしまえばいい、と念じている。そうして、本当に相手が落ちたなら、今度は大急ぎで顔をしかめ、「まあ、大変だ!」と叫んで助けるのだ。その時の、自分の胸に湧き上がる、あの浅ましい満足感。
 いっそ、すべてを破壊してしまえばいいのだ。
 その偽善の仮面も、上品な言葉遣いも、道徳も、法律も、ぜんぶ。
 けれども、私たちは知っている。もしもすべてが破壊され、本当の地獄がやってきたとしても、私たちはやっぱり、その地獄の底で、
「お先にどうぞ」
「いえ、あなたこそ」
と、互いに譲り合う、哀れな偽善の亡霊のままでいるに違いないのだ。
 神様、どうか私を、本当の悪党にしてください。
 さもなければ、せめて、自分が偽善者であることさえ忘れてしまえるような、本物の白痴にしてください。

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