Nicotto Town ニコッとタウン

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ミナの失踪


逃げる猫

 その町では、毎週日曜日になると、教会から猫が逃げ出した。

 最初は一匹だった。

 灰色の猫が、朝の礼拝が始まると同時に、教会の裏口からするりと抜け出した。誰かが捕まえようとしたが、猫は石畳の路地を走り、角を曲がると、まるで最初からそこにいなかったように消えた。

 翌週は三匹だった。

 その次は七匹。

 やがて、教会の周りには猫があふれるようになった。

 奇妙なのは、猫たちが逃げ出すたびに、人間も一人ずつ町を出ていったことだった。

 最初にいなくなったのはパン屋の主人だった。

 次の日には、学校の先生。

 その次は町長。

 誰も理由を知らなかった。

 ただ、猫が教会から逃げる日には、人間も一人、荷物をまとめて町を出ていく。

 ある日、十歳の少女ミナは、教会の前に座っている黒猫を見つけた。

「あなたも逃げるの?」

 猫は答えなかった。

 ただ、ミナの顔をじっと見ていた。

 その目を見ていると、ミナはなぜだか、自分もここから逃げなければならないような気がした。

 教会の鐘が鳴った。

 すると黒猫は立ち上がり、扉の隙間から教会の中へ入っていった。

 ミナは後を追った。

 礼拝堂には誰もいなかった。

 長椅子が並び、祭壇には一本だけ蝋燭が灯っている。

 そして祭壇の前に、見慣れない老人が立っていた。

「どうして猫は逃げるの?」

 ミナが尋ねると、老人は笑った。

「猫が逃げているんじゃない」

「じゃあ?」

「人間が、猫について行っているんだよ」

 ミナは意味がわからなかった。

 老人は祭壇の下を指差した。

 そこには小さな扉があった。

「昔、この町の人々は、教会で毎週ひとつずつ願い事をした」

「どんな願い?」

「家族が幸せになりますように。商売がうまくいきますように。病気が治りますように。……そういう願いだ」

「いいことじゃない」

「そうだね」

 老人は少し黙った。

「でも、願いが叶うたびに、人間は少しずつ、自分の本当の望みを忘れていった」

 ミナは黙って老人を見た。

「猫は、それを覚えているんだ」

 そのとき、祭壇の陰から黒猫が現れた。

 猫はミナの足元を一度だけ通り過ぎると、小さな扉の前で立ち止まった。

 扉が、ひとりでに開いた。

 その向こうには、長い階段が続いていた。

 地下から風が吹いてきた。

 土と雨と、遠い海の匂いがした。

 ミナは階段を降りた。

 地下には、町の人々の名前が刻まれた石碑が並んでいた。

 その一番奥に、まだ新しい石碑があった。

 そこには、ミナの名前が刻まれていた。

 ――ミナ。

 十歳。

 明日、町を出る。

 ミナは息を呑んだ。

「これは……何?」

 黒猫は答えない。

 ただ、石碑の向こうにある出口を見ていた。

 そこから朝の光が差していた。

 ミナは振り返った。

 階段の上には、教会がある。

 町がある。

 学校も、パン屋も、自分の家もある。

 けれど、そのどれもが突然、知らない場所のように思えた。

 黒猫が歩き出した。

 ミナも後を追った。

 二人が地下道を抜けると、町の外に出た。

 そこには、昨日まで町にいた人々がいた。

 パン屋の主人。

 学校の先生。

 町長。

 そして、何十匹もの猫。

 みんな、何も言わずに海の方を見ていた。

「みんな、どこへ行くの?」

 ミナが尋ねると、パン屋の主人が答えた。

「知らない」

「じゃあ、どうして行くの?」

 主人は少し考えてから言った。

「知らないからこそ、行くんだろう」

 そのとき、町の教会の鐘が鳴った。

 けれど誰も振り返らなかった。

 猫たちは一斉に歩き始めた。

 人々も歩き始めた。

 ミナも歩いた。

 海の向こうには、まだ何も見えなかった。

 ただ、知らない場所があるということだけは、確かだった。

 その日の午後、教会から最後の猫が逃げ出した。

 町には、誰もいなくなった。

 そして翌朝。

 教会の扉を開けると、祭壇の上に一匹の小さな黒猫が座っていた。

 猫は空っぽの礼拝堂を見渡し、

 にゃあ、と一度だけ鳴いた。

 それから、誰もいない町へ向かって歩き出した。

#日記広場:小説/詩

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2026/08/10 08:22
あはは、面白かった~!(´∀`)
ちょっと、恒川光太郎さんっぽい?
コーデにぴったりのお話だね!




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