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貿易記念日

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【貿易記念日】 ぼうえききねんび Trade Memorial Day

☆貿易記念日は、1859年6月28日に日本が、
 横浜と長崎、箱館の3港を開港し、自由貿易を開始したことを記念する日です。

<概要>

〇貿易記念日

毎年6月28日は「貿易記念日」でありまして、
現在、私達が毎日使用しているスマートフォンや洋服、朝に飲むコーヒー、
食卓に並ぶバナナや小麦製品、さらにはガソリンまで、
暮らしに欠かせないものの多くが、世界との貿易によって支えられています。

一方で、日本で作られた自動車や工作機械、
電子部品、食品等は世界各国へ輸出されまして、
多くの国で高い評価を受けています。

つまり、貿易は「海外の話」ではなく、
私達の日常生活そのものを支える大切な仕組みです。

@制定

 貿易記念日は、1963年(昭和38年)に、
 通商産業省(現:経済産業省)が制定した記念日です。

 ★1963年(昭和38年)に通行産業省が「貿易記念日」を制定した経緯

  1859年6月28年の開港(自由貿易開始)という歴史的事実を、
  国民の周知し、貿易の重要性を広く認識させる為という、
  政策目的によるものです。

  □制定の背景(1963年は高度成長期)

  高度経済成長の真っただ中で、
  輸出拡大による外貨獲得が国家的課題だった為、
  通商産業省は「貿易振興」を国民的テーマと位置付けまして、
  貿易の意義を国民に広く認識させる為、記念日として制度化しまして、
  企業だけではなく「国民全般が輸出入の重要性を認識する日」として、
  設定しました。

  ■6月28日にした制定理由

  1859年(安政6年)6月28日に、
  江戸幕府がアメリカやイギリス、フランス、オランダ、ロシアとの、
  通商条約に基づき、横浜と長崎、箱館の3港を開港して、
  自由貿易を許可した日だからです。

  又、この日本が国際貿易へ踏み出した、 
  歴史的転換点を記念して制定されました。

  □通商産業省が行った制定の目的

  貿易の重要性を国民に再認識させることや、
  国際経済への理解を深める機会をつくること、
  貿易振興への意識を高めることです。

@記念日の由来

 1859年(安政6年)6月28日(旧暦5月28日)のこの日、
 江戸幕府はアメリカやイギリス、フランス、オランダ、ロシアの、
 5か国との間で結んだ友好通商条約に基づきまして、
 横浜と長崎、箱館(現:函館)の3港を開港しまして、
 自由貿易を許可する布告を出しました。

 これは約200年以上続いた鎖国政策から大きく転換しまして、
 日本が世界との本格的な交流を始めた歴史的な出来事です。

 開国後の日本は、海外へ生糸やお茶等を輸出しまして、
 欧米の優れた技術や文化を取り入れながら、
 急速に近代化を進めていきました。

 又、この記念日は貿易に携(たずさ)わる企業だけではなく、
 広く国民全体が輸出入の重要性について理解を深める日として、
 制定されています。

 ★1859年に発効した「友好通商条約(安政五カ国条約)の要点

  □開港

  横浜(神奈川)と長崎、箱館(函館)等を開港しまして、
  外国船の入港と貿易を許可しました。

  ■自由貿易の開始

  外国商人が居留地で商取引を行うことを認めます。

  □領事裁判権(治外法権)

  日本国内で罪を犯した外国人は、
  日本の法律ではなく、自国領事が裁(さば)きます。

  ■協定関税制

   関税率を日本が自由に決められず、
   日本の関税自主権が制限される状態(条約)で固定されます。

  □最恵国待遇

  一国に与えた特権を、他の条約国にも自動的に適用します。

  ■外交施設の設置

  各国行使の江戸駐在を認めます。

  □外国人居留地の設置

  開港地に外国人の居住区域の設置をします。

@開港

 日本は江戸時代に約200年にわたり、鎖国を続けていました。

 但し「鎖国」といいましても、海外との交流が完全に無かった訳ではなく、
 長崎の出島ではオランダや中国との限定的な貿易が行われていました。

 しかし、19世紀になりますと、
 世界では産業革命が進みまして、欧米諸国はアジアとの交易を活発化させます。

 その流れの中で、日本も1858年に友好通商条約を締結しまして、
 翌1859年に横浜と長崎、箱館を開港しました。

 この開港によって、外国の商品や文化、技術、制度が日本に入りまして、
 日本の産業や教育、交通、金融等が急速に発展していきます。

@日本最大の輸出品は「生糸」

 開港当時、日本が世界へ輸出していた代表的な商品は、
 生糸や茶、絹織物、海産物等でした。

 特に生糸は、日本を代表する輸出品でした。

 当時のヨーロッパでは蚕の病気が流行していまして、
 生糸が不足していた為、日本産の品質の高い生糸は、
 非常に高値で取引されました。

 輸出によって得られた利益は、鉄道や工場の建設、近代産業の育成等、
 日本の近代化を支える重要な資金となりました。

 ★日本が1859年に開港した当時

  ヨーロッパでは蚕の「微粒子病(pebrine)」と、
  軟化病(bouffee flacherie)が大流行しまして、
  養蚕業と絹産業が壊滅的危機に陥っていました。

  その結果、健康な蚕卵の価格が高騰しまして、
  日本産の蚕種と生糸が大量に輸出される契機になりました。

  □当時ヨーロッパで流行した蚕の病気

  ◆微粒子病

   真菌性寄生虫Nosema bombycisによる感染症で、
   蚕が成長出来ず、繭(まゆ)を作れなくなります。

   1840年代にフランスで発生しまして、
   1850~1860年代に欧州全域で大流行しました。

  ◇軟化病

   高温ストレス等で幼虫が弱りまして、
   軟化して死ぬ、非感染性の病気です。

  ■ヨーロッパでの影響(深刻な産業危機)

  蚕の個体数がほぼ壊滅しまして、
  フランスやイタリアの基幹産業が大打撃を受け、
  絹産業が存続の危機に陥りました。

  そして、健康な蚕卵の価格が急騰しまして、深刻な供給不足が発生します。

  欧州各国が中国や日本の蚕種を求めて輸入を拡大しまして、
  日本産蚕種は育種可能であることが確認されまして、需要が急増します。

  横浜開港後、横浜の絹市場で、
  日本産の生糸や蚕卵が大量に取引されるようになりました。

問題 上記欧州の蚕病流行によって、
   日本産蚕種と生糸が高く評価され、輸出が急増して、
   幕末から明治初期の日本が外貨を獲得します。

   群馬県島村等では、、蚕種の大量生産や輸出体制が整備されますが、
   ???南岸の細長い地域にあり、
   世界遺産「田島弥平旧宅」があることが知られていますが、
   ???に入る川の名前を教えてください。

   *群馬県島村・・・現:群馬県伊勢崎市境島村

1、赤城白川(あかぎしらかわ)

2、渡良瀬川(わたらせがわ)

3、利根川(とねがわ)

ヒント・・・〇??川

      日本最大の流域面積約16840㎢をもつ一級河川で、
      源流は群馬県の大水上山で千葉県銚子市の太平洋に注ぎます。

お分かりの方は数字もしくは???に入る川の名前をよろしくお願いします。

  



#日記広場:レジャー/旅行

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2026/06/29 14:41
> スズラン☆さん
こんにちは!曇りの週明け月曜日をお疲れ様です。
 はい、おみくじは「大吉」です。
どうもありがとうございます。
 そうですね、仰る通りで大国で戦争があると影響が出てしまいますね。
はい、そうですね、蚕の安定供給まで色々と苦労がありましたね。
問題の答えですが、3番の利根川(とねがわ)が正解ですね。
流石ですね!!どうもおめでとうございます(祝)
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2026/06/29 14:26
大大吉おめでとうございます(о´∀`о)丿

〇貿易記念日
日本は殆どを輸出に頼っているので、
大国で戦争があったら影響がかなりありましたね…
蚕の安定供給まで色々苦労があったのですね。

答え 3



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