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左回りのリトル(19)

 雪はネオンに照らされて、青や赤、ピンクに輝きながら落ちてきた。通用口で逢坂が待っていた。傘もささず、肩と帽子に雪を載せて、僕らを見つけるとひらひらと手を振った。山崎が解雇された顛末は話してあったので、どうしたのだろうと思った。
「山崎の所へ行かないの?」
「今日はやめとこうと思って。飲みに行きませんか」
 僕と空は顔を見合わせ、頷いた。
 大正時代のミルクホールをイメージした居酒屋に入る。一通りの注文を済ませ、おしぼりで手を拭き終えたのが合図のように話し始めた。
「山崎の実家が病院なのは知ってますか」
 初耳だった。
「山崎とは高校に入学して、同じクラスになって知り合ったんだ。僕は医者を志していたから、進路の事とかで話す機会が多くてね。絵が好きっていう、趣味の一致もあったし。山崎は兄弟がいなくて、彼が家を継ぐというのは当たり前という感じで彼も医者を目指していたんだ」
 逢坂はお通しをつまんだ。僕らは黙って聞いていた。
「そもそも父親が絵の好きな人でね、病院の待合い室や家の客室に飾られた絵、父親の蔵書、大量の画集だけど、そういう物を見て育った山崎はいつか自分も画家になりたいと思うようになっていたんだ。だけど父親にとっては絵は鑑賞する物で、息子には医者になってもらいたかったんだね。実際、絵だけで食べていける画家なんてそうそう居ないから、趣味で描くのは認めても美大に進むなんてとんでもない話だった訳だ」
 飲み物や肴が運ばれてきた。逢坂は遠くを見るような目をして、箸を握った手で頬杖をついている。僕が小皿に料理を取り分けた。
「そんな時、父親のもとに一枚の葉書が届いたんだ」逢坂は空を見て微笑む。
「空木秀二、空木梢子絵画展の案内」
 空は驚いて箸を止めた。
「父親が何気なく居間のテーブルに放り出しておいたそれを見つけて、山崎はどうしても実物が見たくなった。空木秀二の『木霊』、そこに描かれた孤独に惹きつけられてしまったんだ」
「孤独」と僕は噛んでいた唐揚げを飲み込んで言う。
「うん」逢坂はソルティードッグのグラスの縁の塩を舐めて続けた。
「空中に浮かぶガラス板という、はかなく割れてしまいそうな場所に、一人ずつ佇む人や木、つながりを絶たれてさまよう魂と精霊」
 スピリット。山崎の言葉が耳に蘇る。
「空間を埋め尽くすような『何者か』、これほどまでに世界は魂に満ちているのに」また塩を舐めて一口飲む。「つながりあうのは難しい」
「まるで山崎と父親のようだね」
「うん。寂しさや孤独は反響する、だけどこだまは呼応でもあって、そうして近づいてゆく魂の姿でもあるんだよ」
「近づいて」と空が呟いた。
 僕と美久もそうだった、と思う。僕の一言に返ってくるこだまに、僕も震えていた。呼び合う孤独。
「山崎が学校に『木霊』の葉書を持って来て、僕に見に行こうと誘ったんだ。僕もその絵にとても心惹かれたから、すぐにOKした。そして、空木梢子って誰だろうね、という話になったんだ。山崎はすぐに調べたよ。父親が購読してる雑誌に載っていて、それが空木秀二の娘で、僕らと同い年だとわかった。山崎はどう思ったろうね」
 空は首を横に振った。
「くやしがってたよ」
 わかる。家を継ぐという決められた将来、叶えられない夢を見る山崎には、同じように描いている空の環境がとても自由に見えた筈だ。
「そして、いよいよ空木親子の絵を見に行った。その時の僕の感想をそのまま言えば、すさまじかった」
「すさまじい?」
「うん。まあこれは、僕のプライベートな部分から生じる思いではあるけど」苦笑して、逢坂は人差指で鼻の頭をこすった。「とても鮮烈な、何もかも見透かされるような眼差しの反射だね」
「……」空が隣で息を呑んだのがわかった。
「僕は空木秀二の絵に空木秀二という人を見た。そして山崎は空木秀二の魂を見たんだ」
「どう、違うの?」と僕は尋ねた。
「僕が見たのは彼の周囲に対する思いや願い。山崎が見たのは彼の内面にある葛藤や孤独。後でそんな議論を三時間もしたんだよ」
 逢坂はまたグラスを傾けた。
「そして、そこには梢子さんの絵もあった。山崎は、」と彼はそこまで言って、何か思い出したようにくっくっと笑い出した。
「ああ、あの後がおもしろかったんだ」
「何が」
「あいつ、絵に謝ったんだよ」
 ごめんな、とぽつりと言ったという。
「それからの山崎がまたおもしろかった。次の日、学校休んじゃったんだ。どうしたのかと思った翌日、現れた山崎はいきなり金髪になってて、親父とやりあったって言うんだ。俺は医者にはならないぞって。見るからにグレて、毎日夜遅くまで帰らないで、両親は隆之が不良になった、っておろおろしたけど、実はあいつアルバイトと美術系予備校に通ってたんだよ。勉強も隠れて」
 逢坂と僕はアハハと笑った。空はただ驚き続けている。
「めちゃくちゃ勉強してたくせにテストでは手抜いて、ひたすら不良のふりをしてた」
「あはは、山崎らしい」
「それでこっそり受けたT美の合格通知を父親に叩きつけて、家を飛び出したんだ」
「あの確信犯め」
「だからあいつには、家からの仕送りはないんだよ」
「それじゃ、」クビになったら生活に困る。空も「どうしよう」と僕を見た。
「次のバイトなんてすぐ見つかる。君が困るような事は、あいつは絶対しないよ。君は空木梢子なんだから」
「私?」
「うん」
 逢坂の言葉には二重三重に意味があるように思えて、僕は尋ねた。
「山崎の顔が見たくなる時ってどんな時?」
 彼はグラスをテーブルに置いて考え込んだ。
「そうだね。こだまを返して欲しい時」
 彼が現れた時の、雪に濡れたコートを思い出した。彼にも何かがあるんだろう。僕は『木霊』のように周囲に満ちる何者かの気配に、じっと耳を澄ましてみた。

(続く)


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