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左回りのリトル(17)

 丸山さんと一緒に午後の休憩。休憩室は空いて少し静かだ。丸山さんは自販機で買った菓子を僕に勧めながらウーロン茶を飲んだ。
「空ちゃん、少し変わったわね」
「そうですか?」
「固さが取れたっていうのかな」と言いながらきれいな指で小さな魚型のスナックをつまむ。僕もいただきますと手を伸ばした。
「さっき、山崎君が抱きついた時」
 それはもう毎日恒例の、山崎流の挨拶になっていた。
「空ちゃんが『きゃあっ』って言ったでしょう。これまで平気そうだったのに、普通逆よね、慣れて平気になるものじゃない?」
 丸山さんはくすくすと思い出し笑いをした。
「何て言うのかなぁ、一線を引いて自分を抑えているところがあって、人に対して感情的な反応がない子だなぁと思って。ちょっとツンとしてるのかと思って最初苦手だったの、実は」
「そうなんですか?」
 誰にでも同じに接する丸山さんがそんなふうに言うのが意外だった。丸山さんはふふふと笑った。
「でも話してみたらこれが天然で」二人でアハハと笑う。
「人とどう接していいかわからないのね、あの子。だから山崎君も過剰に構うんじゃないかしら。彼は彼で何でもはっきりさせるタイプだから、相手の反応がないと怖いんじゃないかな」
「怖い、んですか」
「うん」
 丸山さんは菓子をぽりぽりと噛んで、「見ていておもしろい二人ね」と言った。「野宮君から見てどう?私が思うに、」紙コップを手に、上目遣いで僕を覗き込む。
「野宮君は黙って全体を把握して後ろから支えるタイプ」
「そんな」僕は菓子に伸ばした手を止めた。「自分の事だけで精一杯です、僕は」
「そうなの?」
「空も山崎も、僕には強烈な個性に見えますよ。周囲を巻き込む静かな迫力がある。話していると圧倒される」
 丸山さんは黙って僕を見ていたが、テーブルの上に腕を組んで言った。
「そうね。野宮君が好きになるのわかるわ」
「え、」思わず赤面する。
「二人を、よ」
「あ」
「ふうん」
 丸山さんはくすくす笑って「なるほど」と言った。
「私もそう。惹かれるわね」
 やっぱり丸山さんは大人だ。僕にはかなわないほど、たくさんの事を見ている。
 学生たちが街に溢れ出す時間、店は混み始める。休憩から戻って、僕は店の外側の雑貨の棚の整理を始めた。商品の向きを直しながら在庫を確認する。「君、ちょっと」と話しかけられて振り向いた。
 三十歳くらいのスーツ姿の男だ。抱えた紙袋に『双月堂』のロゴ。本社の人間だとすぐにわかったが、それが水戸光圀の印篭だとでも思っているのか、名乗りもせずに「空木さん、いる?」と尋ねた。
「失礼ですが、お名前は」
「企画部の本多です」
「どうぞ、奥にいますから」
 彼は何も言わずに店の奥に進んだ。丸山さんと挨拶を交わす。
「店長は休みですけど」
「今日は空木さんに用で」
「ご覧の通り混む時間ですから、手短にお願いしますね」
 丸山さんは相手の無遠慮さにちくりと刺した。僕は、店長の休みを狙って来たんだな、と思った。
「言われなくてもわかってる」むっとしながら、本多は空に向き直った。
「描けましたか」
「その話はお断りしました」空は遠慮がちに答えた。
「これは依頼なんだよ。悪い話じゃないだろう。もう君の売り出し方も考えてある。絵ができなきゃ、こちらの仕事が進まないんだよ」
「売り出すって」山崎が口を挟む。
「何だ、君には関係ないだろう」本多は山崎を睨みつけた。「空木さん、君の才能を埋もれさす事はないでしょう。せっかく父親から譲り受けたんだからさ。お父さんのためにも」
「ケッ」と山崎。
「何だ君はさっきから」
「耳鳴りでもしますか」
「丸山さん、こいつ向こうにやってください」
「彼もスタッフです。『こいつ』はないでしょう」丸山さんはぴしゃりと言った。「山崎君も黙ってて。仕事の話し中です」
 空は目を見開いて本多を見ている。何が見えるのか、怯えているようだ。
「とにかく、一か月以内に五点は仕上げてもらいたい。もうひと月近く待ってるんだからね、こっちは。何、こんな小さい額におさまるのでいいんだ。気軽にさらさらっと」
「いい加減にしろ」
 山崎がキレた。
「てめえは本当に画家に会った事があるのか?どうせパシリだろうが」
「山崎」
 まずい。客もいる。山崎は、後ろから肩をつかむ僕の手を振り払った。丸山さんが「山崎君」と呼ぶが止められない。
「気軽に描いてる奴なんていねーんだよ。みんな必死なんだよ。あんたの言うようなたったこんだけの物でも」
 山崎は傍らのポストカードをわしづかみにして本多の顔面に突きつけた。
「さらさらと描いたように見えても、そこ行くまでの道が長いんだよ。あんたが欲しいような絵は、そっちの専門家に頼めよ。それが仕事だ、真剣勝負なんだよ」
「生意気な、青二才が」
 言葉と裏腹に本多の声は震えている。
「ああそうだよ青二才だよ」
 山崎は本多の襟首をつかんで棚に叩きつけた。客たちから「きゃあっ」と声があがる。棚から絵の具がばらばらとこぼれ落ちた。
「空、言ってやれよ!俺たちは飾るための絵を描いてるんじゃないんだって!」
 本多は突き飛ばされて床に転がった。青ざめて震えていた空の膝がくずれた。店の外には騒ぎを聞きつけた客や従業員が集まっていた。

(続く)


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