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左回りのリトル(12)

「空木秀二展って本当にやるの?」
 山崎が言い出したのは数日後、空の歓迎会をやったお好み焼き屋でだった。山崎と空と僕の三人で、閉店後に寄ったのだ。山崎はもんじゃ焼きの土手を作りながら空に尋ねた。
「知らない」
「一周忌に合わせて、どっかの美術館でやるとかで、今、空木サンの絵を持ってる個人を探してる。高畠サンとこに問い合わせがきてたよ」
「ふうん。今度訊いてみる」
 野菜の丸い土手がしんなりした。「入れるぞ」味をつけたタネを流し込むと土手から溢れた。湯気がもうもうと上がった。
「バカ、入れすぎ」
「火、強くない?」
「気にすんな」山崎はかえしでかき混ぜた。彼はいつもこういう時の仕切り担当だ。鍋奉行、鉄板王。空は「私、もんじゃって初めて」と笑った。
「この小さいかえしにくっつけて食う。いいか、舌が火傷しようが気にするな。それがもんじゃというものだ」
「はい、コーチ」
 空は山崎の「コーチと呼べ」に素直に従っている。「もんじゃのためにその一」とか言いながら山崎は徹底指導した。
「そんでさ、高畠サンが言うには」山崎はアチチと顔をしかめながら「空ちゃんとこの絵をどうしようって。未発表なんだって?」
 本題はそれか。僕はだんまりを決め込む。空は「ああ、大きいから、あれ」と的外れな答えを返した。
「あるんだ」
 山崎の目が鋭く光るのを見逃さなかった。「ずいぶん詳しいな」僕は皮肉を刺す。彼も「空ちゃんの事は何でも」と応酬した。山崎の隣に座る空に緊張が走る。それを見てとった山崎は「君の事は何でも知りたいんだよ、ハニー」と笑って見せた。
「野宮も見たいだろ?ファンになったみたいだし」
 もう見たなんて言えない。
「見たいなー。そんなにでかいんなら空ちゃんちに行こうかなー。野宮は絵だけ見たらすぐ帰れ。一分で帰れ」
 この前の事は絶対に言えない。
 キスの後で互いに困り果てて、僕は帰るしかなかった。それからは気まずくて殆ど口をきいていなかった。空にちょっかいを出したりからかったりする山崎を見ていてわかったのは、彼は結構マジだという事だ。
 僕は話の矛先を山崎に向ける。
「おまえは日本画ってタイプじゃないよな。CGとかやってそう」
「絵は肉体から直に出てきて欲しいの、俺は。絵はナマモノなり」
「ナマモノ」
「そう。あらゆるスピリットと俺様のスピリットの愛の結晶なのだ」
 わかったようなわからないような。「で、何で日本画なんだ」
「俺様がトップに立つには日本画だな、と」
「トップに立つ気だったのか」
「あらゆるスピリット」空が呟く。
「空木秀二は」山崎の声がやわらかくなる。
「あらゆるスピリットを描こうとした画家だった。惜しい人を亡くした」
 しんみりしてしまいそうだった。「何だ、山崎もファンなんじゃないか」
「うん。あの人の絵、好きだよ、俺」鉄板の焦げ付きを落として言う。「よし、次行くぞ」
 熱い鉄板がじゅうっと大きな音を立てた。湯気の向こうで空がありがとうと言った。




 空の次の休みに『左回りのリトル』を見に行く事になった。山崎はJRの改札前で「サンキュー空ちゃん、愛してるぞぉ」と彼女に抱きついた。僕はアノラックの背中に靴跡をつけてやった。
「友達も一緒でいい?」
「逢坂君?」
 山崎は頷く。僕らは思い出し笑いをした。「彼の批評は変わってるね」
「あいつは発想がキュビズム」
 逢坂が山崎を「ねじ巻き玩具」と表現したのを思い出す。
「一見めちゃくちゃに見えるけど、拾ってくる形は的確」
 空が「信頼してるんだね」と言うと山崎は「バカ言え」とそっぽを向いた。
 駅の地下を歩きながら「山崎君に最初に会った時」と空は言った。
「店長にT美の学生って紹介されて、山崎君はちょっと困ってた。高畠さんは始めから彼を私のお目付役にするつもりで双月堂を勧めたんだってすぐわかった。そうまでしてもらわないと、だめなのかな、私」
 自動改札に通した定期ごと手をポケットに入れた。ホームから吹き上げてくる生あたたかな風を受けて階段を降りる。
「高畠さんが山崎君を選んだのわかる。今日自分から高畠さんの話を出してくれて、私やっと彼と対等になれたなって思った。友達って事だよね。私、ずっとあんなだったから、友達っていなかったんだ」
 空が言ったありがとうにはこんな意味もあったのか。「僕は?」後ろから尋ねる。空は振り返って僕を見上げた。
「え?」
「全然口きいてくれなかった」
「友達と思っていい?」
「だめ」
 ポケットから手を出した。やっとつかまえた。




 留守電が一件。無言。午後11時19分。ほんの十分前だった。
 きみは何を言おうとしているのか。


(続く)

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