京都葵祭
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2026/05/15 16:30:21
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【京都葵祭】 きょうとあおいまつり Aoi Matsuri(Aoi Festival)
The Hollyhock Festiva
☆葵祭は、京都三大祭の一つです。
■京都三大祭
京都三大祭とは、京都を代表する3つの大きな祭りの総称で、
葵祭、祇園祭、時代祭の3つを指し、
いずれも千年以上の歴史を持つ京都文化の象徴です。
◇京都三大祭の概要
▲葵祭
毎年5月15日に開催される伝統行事で、
上賀茂神社さんと下鴨神社さんの例祭です。
平安装束の行列が有名です。
△祇園祭
毎年7月1日から始まる、八坂神社さんの祭礼で、
豪華な山鉾巡行で世界的に知られています。
▲時代祭
毎年10月22日に始まる、平安神宮さんの祭りで、
各時代の衣装で京都の歴史を再現する行列です。
◇それぞれの特徴
▲葵祭
最古の祭りで、優雅で静かな王朝行列です。
△祇園祭
日本最大級の祭礼で、山鉾は「動く美術館」と呼ばれています。
▲時代祭
京都の歴史を時代順にたどる、壮大な時代絵巻です。
<概要>
〇葵祭
@正式名称
葵祭は、毎年5月15日に行われる京都の伝統なお祭りで、
正式名称を「賀茂祭(かもさい)」と呼び、
上賀茂神社さん(賀茂別来神社)と下鴨神社さん(賀茂御祖神社)の、
例祭として知られています。
☆上賀茂神社 さん
住所 :京都府京都市北区上賀茂本山339
電話番号:075-781-0011
★下鴨神社 さん
住所 :京都府京都市左京区下鴨泉川町59
電話番号:075-781-0010
@歴史
京都三大祭の一つに数えられ、
その歴史は平安時代よりもさらに古い時代まで遡(さかのぼ)ります。
☆最古の記録
6世紀に起源があるとされていまして、
つまり、平安時代(794年~1185年)より、
200年以上前に始まった祭りです。
@起源
このお祭りの起源は今から約1400年以上前の、
欽明(きんめい)天皇の時代にあります。
当時は国内で天候不順が続き、
凶作や疫病が流行して、人々は苦しんでいました。
そこで、占いに行ったところ、
賀茂の神々の怒りを鎮める為に祭礼を行うべきだという結果が出ました。
実際に祭礼を行ったところ、
風雨は収まり、五穀豊穣が齎(もたら)されました。
これが葵祭の始まりとされています。
その後、平安時代になりますと「祭り」といえば、
この葵祭を指す程、貴族や庶民にとって欠かせない行事になりました。
★葵祭の起源
□欽明天皇の時代(6世紀中頃)
風雨や飢饉、疫病が続いた為、
賀茂の神の祟りを鎮める為に祭礼を行ったのが始まりと伝わっています。
◆欽明天皇(在位:539~571年)の時代に、
風雨や飢饉、疫病が頻発した理由
自然災害による農業被害と仏教需要をめぐる政治や宗教対立の中で、
災害や疫病が神仏の祟りとして解釈されたことが、
重なった為と考えられています。
△自然災害(大洪水)による
欽明28年(567ねん)には日本各地で大洪水が発生し、
大飢饉となったと記録されています。
農作物が壊滅し、人々が餓死する程でした。
これによって、食糧不足が慢性化しまして、
栄養失調から疫病が広がりやすい環境が生まれました。
▲仏教受容をめぐる宗教対立と祟りの概念
欽明天皇の時代は、百済(くだら)から仏教が伝来した時期で、
仏教受容をめぐり蘇我氏(崇仏派)と、
物部氏(排仏派)が激しく対立しました。
仏教受容後に疫病が流行しまして、
物部氏は「疫病は仏教を受け入れた祟り」と主張しまして、
寺が焼かれ、仏像が行けに投げ捨てられる事件も発生しました。
これらは「日本書紀」にも記録されていて、
疫病が政治闘争の材料として使用されたことが分かります。
△疫病そのものの正体(推定・天然痘)
当時の疫病は記録上原因不明ですが、研究者の多くは、
天然痘「疱瘡(ほうそう)」であった可能性を指摘していまして、
仏教とともに、大陸から伝わった可能性もあります。
◆欽明天皇の時代
△古墳時代末期から飛鳥時代初期
欽明天皇の治世は古墳時代末期に位置していまして、
飛鳥文化の萌芽(ほうが)が見られる時期です。
▲仏教公伝と宗教対立の激化
百済から仏教が正式に伝来しまして、
蘇我氏(仏教受容)と物部氏(神道重視)の対立が激化しまして、
疫病や災害が宗教対立の正当化に利用されます。
△豪族政治の転換点
欽明朝では大伴氏が失脚して、蘇我氏と物部氏の二頭政治が成立します。
その後、蘇我氏が急速に台頭しまして、
後の飛鳥時代の政治構造を形作ります。
▲朝鮮半島情勢の悪化
任那日本府(みまなのほんふ)が滅亡し、倭国の半島政策は失敗し、
百済や新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)の三国抗争が激化しまして、
日本の外交も揺れ動きました。
*任那日本府・・・古代の朝鮮半島に存在した倭国の出先機関を指し、
「日本書紀」に記載されています
◇古墳時代後期(5~6世紀)に起源を置く説
「山城国風土記」等の伝承では、
賀茂氏の氏神祭として始まったとされています。
◆奈良時代の文献にも記録が残る
「続日本紀」等に賀茂祭(葵祭)の記述がありまして、
奈良時代には既に広く知られた祭りでした。
☆平安時代との関係
平安京遷都(794年)後、賀茂神社さんが皇城鎮護の神として重視され、
葵祭は国家的な勅祭となり、最盛期を迎えまして、
平安中期には「祭り」といえば葵祭を指す程の存在になりました。
問題 葵祭の最大の魅力についてですが、
次の文章の〇〇に入る言葉を教えてください。
〇「路頭の儀(ろとうのぎ)」
5月15日の午前中に京都御所を出発した行列は、
下鴨神社さんを経て、上賀茂神社さんへ向かいます。
総勢500名を超える人々が、平安時代の〇〇の装束を身に纏(まと)い、
約8kmの道のりをゆっくりと歩く姿は、
まさに、動く王朝絵巻そのものです。
1、農民
2、貴族
3、豪族
ヒント・・・〇行列は大きく分けて「本列(ほんれつ)と、
「斎王大列(さいおうだいれつ」の2つで構成
@本列
天皇の使いである「勅使(ちょくし)を中心とした、
男性中心の列です。
*狩衣(かりぎぬ)・・・男性〇〇の略装
@斎王大列
華やかな十二単(じゅうにひとえ)に身を包んだ、
「斎王代」を中心とした女性達の列です。
*十二単・・・皇族や高位女性の正装で、
何枚もの衣を重ねる豪華な装束
お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。

























今、NHKで放送していました