Nicotto Town ニコッとタウン

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灰の福音


革封筒の中から滑り出したのは、
インクの褪せた、数枚の古い羊皮紙だった。
そこに記されていたのは、救済の約束ではない。
八百年の間、この石の巨像が飲み込んできた
「沈黙」の代償だ。
火災の夜、崩れ落ちた尖塔から解き放たれたのは
聖なる鳥ではなく、何世代にもわたる呪縛だった。
文書には、大聖堂の地下深くに埋められた
名もなき石工たちの怨嗟と、
神の名を借りて塗り潰された「真実」の地図が描かれている。
それは、ひとたび開けば
パリのすべての街灯を消し去るほどの、深い闇の記録。
信じる者が救われるのではなく、
信じ込ませるために、どれだけの嘘が必要だったか。
俺はそれ以上の解読を拒み、
セーヌの濁流に、その重たすぎる紙束を差し出した。
文書は、月明かりを吸い込みながら、
一枚、また一枚と、黒い蝶のように水面に溶けていく。
秘密は、再び沈黙へと帰る。
ノートルダムの影が、少しだけ軽くなったような気がした。
蒼い忘却
東の空が、古いアザのような色に変わり始める。
セーヌの川面を撫でる風は、
ようやくすべての秘密を飲み干したかのように、凪いでいた。
橋の欄干に背を預け、俺は最後の一服を燻らす。
昨夜、あの暗い水底へ沈めた羊皮紙たちは、
今頃、大西洋へ向かう泥の旅に出ているはずだ。
世界を変えるはずだった「真実」も、
夜が明ければ、ただの湿った塵にすぎない。
光が街の輪郭をなぞるたび、
ノートルダムの双塔は、昨夜の禍々しさを脱ぎ捨て、
再び、絵葉書のような無垢な顔(かんばせ)を取り戻していく。
「あばよ、神様」
紫煙を吐き出し、俺は歩き出す。
背後で動き始めた街の喧騒が、
俺が守った――あるいは捨て去った――闇を、
容赦なく日常の色で塗り潰していった。
ポケットの中には、もう何もない。
ただ、夜明けの蒼さだけが、
冷たく、そしてどこまでも正しく、俺の影を伸ばしていた_

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