このぐらい不幸だったら許してもらえる?(嘘日記)
- カテゴリ:日記
- 2026/04/12 18:11:52
毎週同じに週1回、隣県の母の面倒を見に、電車とバスを乗り継いでいく。
県庁所在地へのベッドタウン、というと聞こえはいいけどつまり、高速バスで県を移動しさらに電車とバスを乗り換えてようやく実家にたどり着く。
母は私を歓待する。
もう彼女には後がないのだ。夫にも先立たれ、子供しか寄る辺がない。
ご近所さんともそれなりに有効な関係を保っているらしいけれども、認知症にでもなったら最終子供に頼るしかない、そういう恐怖と不安が彼女にはある。
彼女と私の歴史を振り返ると、大体が意味不明でグロテスクな物語でできている。
意味のない暴力と意味のない暴言、それら一つ一つを取り上げると、普通に警察沙汰にしても取り合ってくれるレベルの事件であって、私はその一日一日のことをリアルに思い出せる。日常に地雷のごとく埋め込まれた地獄。
でも、私を苛んだのはどちらかというとそういったドラマ映えしそうな鮮やかな暴力よりも日常的な支配のほうだった。ずいぶん酸素濃度の薄い日々だった。
学生の頃から意味不明なりに見えていた彼女の精神構造は大人になればなるほど言語化するのがたやすくなった。
要は彼女は家庭という狭い世界の中での暴君であり、彼女はその中で全知全能さを手にしていて、その想像力からはみ出るものはヒステリックに怒鳴り散らして、だから全く理屈が通じず、話し合いも無理だったのだ。
彼女が「子供の幸せを願っている」とか「子供のためなら命も捨てられるのが親だ」という言葉はだからこの日常の地獄と同様か何ならそれ以上にグロテスクだった。
これらは実に彼女の本心なのだけれども、それは世界が彼女の描くストーリーラインの中で生じていればという前提付きであり、そしてそのストーリーラインとは、私には全く理解不能な現実離れした単純化されすぎた物語なのである。その登場人物である私は、彼女の描く世界を全く理解できない。
※
私は目の前の老婆を見る。
彼女に高級な弁当を買って行ってやり、彼女の身の回りの煩い事…買い物のために車を出すとか各種支払いや手続きの相談だとか家事の手伝いとか、そういうことをごくごく親切な他人としてこなす。
「こんな風に時間を使って、あなたの人生の幸せはいいの?」
と彼女は聞く。免罪符のように。
私は返事を空想すらしない。彼女の予定調和の世界を今さら壊すことにあまりに意味がない。
ただ幾度となく浮かぶ。「このくらい私が不幸せなら、あなたは満足ですか」と。あなたの想像力の枠を出ずに私が楽しみを持たない不幸な人間としてあなたの面倒を見ることに幸せを見出すというストーリーであればあなたは満足ですか。
夕方、私はその老婆に別れを告げる。
※
彼女の人生は幸せなのだろう。そしてそのパーツの一つである私は不幸せでいなければならないのだろう。そしてその免罪符として、母の「こんな風に時間を使ってあなたの人生はいいの?」と毎度毎度聞かなければならない。
私は、世の中の家庭を持つ人にうっすら不信感がある。私が知っているのは、こういうグロテスクな構造だけだ。暴力で私の脳をめちゃめちゃにした後、免罪符を履き続け、独善的な支配者という役割から、私の一生を差し出させるに足る弱き者という役割にシフトチェンジして一生を安寧の中でまっとうする母親。


























