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バレンタイン・デーについて②

*特徴

日本では、女性がアプローチしたい意中の男性に愛情の告白として本命チョコを贈る習慣がある。

西欧・米国でも、恋人やお世話になった人に『チョコレート』を贈ることはあるが、決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインデーに限ったことでもない。女性から男性へ贈るのが殆どという点と、贈る物の多くが『チョコレートに限定されている』という点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴である。しかし2017年には、本命チョコにこだわらず、クッキーやケーキ、マフラーなどを贈る人もいた。

また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、同性(主に女性)間で贈り合ったりする「友チョコ」、男性が女性に渡す「逆チョコ」、自分で買って食べる「自己チョコ」、男性が男友達に送り合ったりする「強敵(友)チョコ」というものも見られる。

「日本型バレンタインデー」の特徴を整理すると、以下の3点となる。

・贈答品にチョコレートが重視される点。
・女性から男性へ一方通行的贈答である点。
・(女性の)愛情表明の機会だと認識されている点。

このほか、職場における贈答習慣が強い点や、キリスト教との直接的関連はほとんど意識されていない点も日本型バレンタインデーの特徴である。

*起源と紆余曲折

日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については、以下のようなものがあるが、判然としていない。

・神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説
東京で発行されていた英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告であった[† 3]。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”の広告である。ロシア革命を避けて日本に逃れてモロゾフで菓子職人になっていたバレンタイン・F・モロゾフは、日本に高級チョコレートを流行らせようとしていた。
なお、モロゾフの本店があった最寄り駅の御影駅南側の広場は2013年に「バレンタイン広場」として整備されており、聖バレンタインゆかりの地とされるテルニ市からの「お墨付き」を得ている。

・メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹説
同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。

・森永製菓説、伊勢丹説

1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある[19]。
しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告は、1956年の西武百貨店、松屋の新聞広告、1959年の松坂屋の新聞広告に掲載されており、デパート業界では伊勢丹が最初というわけではない。

・プラザ説

ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている。
ただいずれにしても、すぐに大きな反響があったわけではなく、商品もあまり売れなかったようである。各種の説があるが、バレンタインデーが日本社会に普及したあとに、自社宣伝のために主張されたために誇張も含まれると思われる。

総じて昭和30年代には、「バレンタインデーの贈答品はチョコレート」とする意識はまだなかった。当時のバレンタインデーの新聞広告によると、購入を勧める贈答品にチョコレートは登場しなかった。森永製菓の広告ですら、チョコレートは贈答品のおまけとして位置付けられていた。バレンタインデーの起源の一つとされる1960年の森永製菓の新聞広告には、「チョコレートを贈る日」ではなく、「チョコレートを添えて(手紙などを)贈る日」として書かれていた。バレンタインデーに贈答品を贈るのは誰かという点でも女性に限定されていなかった。

ただ「愛の日」という点は強調されていた。それはつまり夫婦の日であって、当時の社会通念に照らせば、見合いによる結婚を前提とした付き合い、恋愛結婚は社会的少数者で、しかも結婚を前提としない恋愛と、未婚の未成年者(19歳以下)は想定外であった。しかし、そのような製造販売業者の思惑が続く間は、チョコレートの売り上げは大きく伸びなかった。

・日本社会への定着と展開

デパート各店がバレンタインデー普及に努めていたが、なかなか定着せず、1968年をピークに客足は減少し、「日本での定着は難しい」との見方もあった。しかし、オイルショック(1973年)に見舞われ、高度経済成長が終焉した1970年代前半頃になると、チョコレートの売上が急増した。オイルショックによる不況にあえいでいた小売業界がより積極的にマーケティングを行ったとされ、1970年代は日本の資本主義がほぼ完成し、成熟した消費社会になった時期とも重なる。バレンタインデーにチョコレートを贈るというのは、小学校高学年から高校生までの学生層から広まったという。1980年代後半頃には夫や父親、義父に贈る主婦層にも普及した。また人気アイドルやスポーツ選手、さらにはゲームの開発部署やキャラクター宛にチョコレートが贈られるケースもあり、のちにこのような行為は「推しチョコ」と呼ばれるようになった。贈られたチョコレートがフードバンクへ寄付されたケースもあった。

前節で述べたように、当初は贈答品はチョコレートに限られておらず、誰とも交際していない女子から意中の男子へという形でもなかった。バレンタインデー普及には商業活動が一役買ったことは間違いないが、日本社会に受け入れられやすかった要素とそうでなかった要素があることが指摘されている[17]。現在、一般に「バレンタインデーはチョコレート業界の陰謀」と認識されていることとは裏腹に、バレンタインデー定着の過程には、小学校高学年から高校生の主導的な選択があったことが指摘されている。

・義理チョコとホワイトデー

1970年代後半頃に、女子が男子に親愛の情を込めて本命チョコを贈るという「日本型バレンタインデー」が、日本の社会に定着すると、さらに日本独自の習慣が登場した。1980年前半に登場したホワイトデーと義理チョコである[21]。ホワイトデーの起源については、福岡県の和菓子屋・石村萬盛堂のキャンペーンと、全国飴菓子工業協同組合の構想が注目されている。1977年に石村萬盛堂は、バレンタインデーの返礼としてマシュマロデーを開始した。これは社長が女性雑誌の投稿欄を見て思いついたものだという。1979年には他の菓子店と協同で「ホワイトデー」という名称を用いたとされる。

一方、全国飴菓子工業協同組合の主張によると、1978年6月の組合の総会で、「ホワイトデーキャンペーン」の実施が決定され、1980年に第1回「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンが行われたという。そして2回目の1981年には「好きな女の子にキャンディをあげる」という趣向に変わった。
















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