私が思う幸せ ─ 思考メモ
- カテゴリ:日記
- 2026/01/07 06:33:06
これは今の私の中にある「幸せ」についての思考の記録です。(๑'ᴗ'๑)
私が考える幸せには、3つの段階があります。
ひとつ目は「刹那的幸せ」です。
それは、「何かを得られたら」「誰かがそばにいたら」という条件付きの幸せです。
お金がその最たる例ですね。次いで恋人でしょうか。
手にした瞬間は確かに幸せを感じられますが、同時に、それを失うかもしれないという不安や恐れが生まれ、付きまといます。
幸せであることと、失うことへの恐怖が、常に隣り合わせになっている状態です。
ふたつ目は「普遍的幸せ」です。
雨風をしのげる家がある、安心して眠れる場所がある、明日を極端に恐れなくていい。
そうした基本的な安定や安全が満たされている状態です。
ここでは、幸せは特別な出来事ではなく、日常の背景として存在します。
失うものが少なく、心が大きく揺さぶられにくい幸せです。
多くの人は、「刹那的幸せ」を追い、「普遍的幸せ」を理想化し、そこで止まります。
ですが、私はもう一段階先があると考えていて、それが三つ目の「根源的幸せ」です。
それは、何かを持っているからでも、何かが起きたからでもなく、自他が、ただ存在しているということ自体が、すでに満ちているという感覚です。
この段階では、幸せは条件を必要とせず、失うものもありません。
生死も関係ありません。
たとえ愛するもの(人やペット)との別れが訪れたとしても、その存在はあなたの中で消えることはないからです。
この「根源的幸せ」に触れているとき、自然に生まれてくるものがあります。
それが、私の言う「幸せの循環」です。
自分が好きでしていること、無理なく、無理をせずにしていることが、結果として誰かを喜ばせたり、幸せな気持ちにしている。
そのことを知ったとき、それが本当に嬉しくて、私自身も幸せな気持ちになります。
ここには、見返りを求める気持ちも、喜ばせようとする意図もありません。
自分らしさを大切にしながら他人を幸せにし、その幸せが自分に戻ってくるからです。
すでに満たされているからこそ、溢れたものが自然に外へと流れていき、それがまた自分へと返ってくる。
幸せの循環とは、
幸せを増やすための仕組みではなく、幸せが閉じたものではない(自分の中だけで完結するものではない)
ということの、ひとつの現れなのだと思います。
私にとって幸せとは、
追いかけるものでも、証明するものでも、幸せに「なる」ものでもなく、気づけばそこにあり、ただ感じるもの
だと思っています。
人によってどの段階を重視するかは違いますが、自分が今どのあたりにいるかを知り、少しずつ循環が生まれる生き方を意識すると、日々の充実感が大きく変わるでしょう。
...ふと思ったのですが、この文章は「幸せ」を「愛」に置き換えても成立しますね。
なぜならこれらは現れ方が違うだけで、同じものだからです。
そう、あなたも。



























ありがとうございます。
多くの人は自分を犠牲にしてでも他の人に尽くそうとすることで疲弊して病んでいくように思います。
私が思う幸せの循環はその逆で、まず自分を満たすことを最優先します。
そして、そこから溢れたものが・・・となるのですね。
自分が空っぽなのに、他の人に与えることはできないですからね。(*ˊᵕˋ*)
コメント失礼します。
「溢れたものが自然に外へと流れていき、それがまた自分へと返ってくる。」
幸せの循環、とても良いですね。
その循環の輪の中に入って、幸せを受けとる。
そうして自分自身から自然と流れ出て誰かがそれをまた
受け取り、自分へと返ってくる。素敵です。