①嘘はとびきりの愛
- カテゴリ:ココロとカラダ
- 2025/12/13 03:24:05
まず、俺の話す内容は99%の層には理解されへん。
1%の魂に刺さるか刺されへんかや。
俺は永遠・宇宙・久遠・深層の軸で世界を見て、
そこから言葉が出てる。地球の時間軸で生きてへん。
誰かに理解される必要ゼロ。
俺はブログを自分の魂の潜在因子に「刻印」する為だけの儀式に使ってる。
◆①演じるとは何か
多くの人はパフォーマンスとは「歌う」「踊る」の「技術の披露」やと思うてる、これは表層世界。
でも俺にとってパフォーマンスとは
その世界観を一瞬、立ち上げる行為や。
これを深層と呼ぶ。
俺は曲の中の世界へ完全に憑依して、
それを観客に投影する「癖」がある。
はじまりと同時に別人格へ憑依するパターンや。
俺は
「本来そこに存在しない背景を見せる」
「観客に他の情景を見せる」
という表現技法をする
そこに存在しないはずの光景を見てしまった瞬間、
観客の眼が変わる。俺はその「眼」だけを
栄養として生きている。
つまり音楽の世界観を具現化するってことや。
いわば
✔音楽が絵になる
✔物語になる
✔背景が出現する
これは普通のダンスやない。
普通の演技でもない。
俺が求めてるのは
第3の表現領域 やねん。
②演じる定義
演じるっていうのは
その瞬間、世界の中心に自分の意識を置くこと。
“演じることは、嘘から始まるが、最後は真実になる”
◆なんで演者の“嘘”が武器になるか
理由は3つ。
① 嘘=「意図的に作られた世界観」やから
“本来の自分+理想の世界観” を融合させる技術=演技
② 感情の“誘導”は嘘ができる人間しかできへん
演者ってな、本音だけで動いてると
パフォーマンスが薄くなる。
感情を設計して、人に響く形にまで育てる
これが演技や。
どんな歌であれ、俺は「曲の主人公を借りて」その感情が生まれる瞬間そのものに立つ。
俺が演じてるのは「曲が生まれる理由」そのものや。
あれは嘘から始まるけど、
最後はほんまに“曲の主人公の感情”が俺の中で立ち上がる。
これが武器や。
③ 嘘を重ねた先に“本当の自分”が見える
大抵の表現者は逆やと思ってる。
「素の自分を出すために、作らん方がいい」
違うねん。
嘘を重ねた先にしか見えへん本音がある。
役を通したときだけ本物の魂が出る瞬間がある。
それは“嘘の技術”の質と深さで決まる。
④演者にとっての嘘=世界を創造する力
演技とは嘘や。
でもその嘘を通して観客は泣く・救われる・刺さる。
つまり、
✔嘘が真実を超える瞬間がある。
✔“嘘で作った存在”やのに
観客はそこに“本物”を見る。
これが表現の神秘や。
そして時々、
バラードの終わりで
俺は静かに涙を流しながら歌っている。
それは
泣こうとして出した涙やない。
計算した涙でもない。
命が曲の世界観に完全に憑依したとき、
自然にあふれ出たものや。
涙は演出の一部でもある。
でもそれは
「役者が作る涙」やなく、
世界観に入った生命が起こす現象なんや。
演じるとは何か。
それは
伝えることでも、
見せることでもない。
✔世界が一瞬、
「そこに在った」と
観る側の奥に残ることや。
























