Nicotto Town



ティータイム♬ キャンディを添えて♡

ツリーの飾り付けが終わったので ほっと一息♬

もらったステキコーデ♪:10

・憧れのアフタヌーンティーなるものは

 スコーン:ぼそぼそとしたパンのようなもの
 クロテッドクリーム
  言葉は悪いが、 冷蔵庫の中で固まった
  コーヒー用ミルクポーションみたいw
  (特に 扉の内ポケットに入れておくと固まるのが早い)

 うっすいサンドイッチ
 ミニサイズの プチケーキ
  正直に言えば 味わいを楽しむほどの大きさもないw
  見た目は華やかだけど
   ぜーったい ダイエットが必要な貴婦人向きサイズw

なので、あれは 写真で楽しむだけのものだと思う。
 (一応 食べたことはある)


・庶民の私は、おいしいお茶と一緒に 飴ちゃんを楽しむだけでも 満足なのだ。

 一粒を楽しむ飴ちゃんにあわせた 茶葉の選び方というのも
 凝るとなかなか楽しいものです♪

 半世紀以上前の定番といえば
  那智黒 とか 抹茶飴

  一粒が大きくて しっかりとした味わいなので
  1個で十分な満足感が得られる

  (ゆっくり味わいながら 口の中で転がしても
   絶対に噛んはだめw となると 長時間楽しめますw)

  さほどカロリーが高いわけではないけど
  濃い味なので、そのあとで味わう緑茶の淹れ方
  (湯温と茶葉の種類と量)が 重要となってくるのです♪

 なので 手軽に食べれそうで 実は 小一時間を要するという至福のひと時でもあり 時間食いでもあるのでした。
 まさに 日常から遊離するひと時♪!


・上記の定番の飴が しっかりとしたお味なのに対して
 季節・行事にちなんだ飴は 甘味が売り!

  えべっさんとか 千歳飴(七五三)
    ひたすら甘くて ねばるというか糸のように伸びる
    
  金太郎飴系(昔は 初詣屋台など 年始の味だった)
    甘い! 千歳飴などよりはかみ砕ける

 こっちはこっちで あとを引く甘さを潤す どちらかといえば冷ましたお茶の配合を工夫することで
 あの 甘さを堪能できるのでありました。

・時代的にいえば 初詣屋台で どんぐり飴が出てきたころから、飴に 甘味以外の味(酸っぱいとか フルーツ味とか)
とかが付くようになったと思う

 そして 甘さが画一的になり バックに引っ込んでしまったと思う。

・昔は 「甘味(あまみ)」というくらい、「糖類の味わい」そのものを楽しむのが 飴だったような気がするのだけど。

 加工の仕方によって 味が大きく・微妙に変化する糖

 それは 糖そのものの 多様性をも反映していたのになぁ。


・生物学?社会学?的にいえば
「砂糖」の生産が工業化するのに合わせて
「糖の味わい」そのものが、
 食品として味わうものから
味覚ではなく 能への刺激(陶酔感を引き起こし 依存性もしくは習慣性を呼び起こす。一説にはホルモンを刺激しているらしい)の強い添加物にかわった。

 その背景にあるのは、欧米のプランテーションと 寡占事業としてしのぎを削る「砂糖財閥」による経営戦略ということになるらしい。

・日本の場合は 江戸時代に 純粋に 味覚的発展=食品製造の工夫として 各種の飴が生み出されたようだけど
 そこが 欧米の「砂糖戦略=植民地経営と表裏一帯」
との違いですが。

・日本統治下の台湾で なぜ 日本人が 世代を超えた今にも続く好意的な思い出を 得るに至ったか?

 その理由の一つは、まじめで誠実な日本の経営姿勢だけでなく、
中国3千年だか4千年高の歴史の中で、サトウキビからの砂糖生産場所として、台湾地域が中華により搾取されていたのが、日本人が台湾で活動していた時は、合理的(身体的負荷の少ない)砂糖生産方法を台湾に導入し、現金収入を台湾の人々にもたらし 台湾の人々の生活向上に役立ったからという事実を知ったときには びっくりしました!

 かつては 富と搾取の象徴でもあった砂糖類

 それを 純粋に食品として 甘さの種類(多様な糖類の組み合わせ)に着目して 芸術的な味にまで高めた 江戸時代の職人さん(調理人さんとその要望に応える砂糖生産者と 両者の橋渡しをしつつ金儲けに励んだ商人たち)、そして完成された料理や飴ちゃんを喜んで購入して 口コミという販促により生産拡大に協力していた消費者=庶民

 これって 理想的な「資本主義経済における商品開発と生産上の技術開発」の典型例ではなかろうか? と思いました。

 昔は サトウキビは 沖縄だけなく 四国や大阪でも作っていたからなぁ。

 薩摩藩と琉球王国との関係を 悪意の拡大解釈(捏造込み)で取り上げる人もいるけど・・
それって 「欧米の植民地経営者と同じことをやっていたに違いない」という欧米系の思い込みの押し付けの部分も強いと思う。 各種資料を見ていれば

 ただ、江戸時代の藩制というのは、地域色が強く、改易の多い地域(特に東北)と直轄領と 近畿のように藩主と地元民が実質的には対等の力を持っていた地域(その典型が岸和田まつりwだけでなく府下のだんじりと布団太鼓)とで だいぶ違うようなので、何とも言い難い部分が多いので、

逆に捏造日本史を展開する 「メディアを利用する記者=売国奴」の言い分が通りやすく
それに迎合する学者(大学に巣くっている奴ら=学生時代に運動員に洗脳された第五列)が多いのが大問題なのですが。 

「歴史の書き換え」の危険性と根深い影響力を
年々感じることが増えました

各家が保存してきた資料の重要性(=散逸・曝書の危険性)を ひしひしと感じるとともに
書体が改変され それらの資料を読み解く人間が減少し続けることの危険性を
実感する日々でもあります。

識字率を上げるためには、「読みやすく書きやすい字体に改変」
情報伝達速度と低コスト化を実現するためには、ツールの改変が必要
だったとはいえ、その結果が
 歴史の断絶・改変
 伝承を意図的に塗り替える
などの 政治的害悪を容易にするものであったという実例を
自分の生涯で見ることになったとは
子供のころには夢にも思いませんでした!

そういう意味では ミャンマーの民族音楽の消失・バリ島の民族文化の変容と並んで 日本の生活史の消滅(現在も進行形)も
恐るべき実例だなと思います

その一方で スチールギターやスティールバンは
物質文明の変化に適応する形で、自分たちの音楽を 時代や地域を超えてつむいでいくという
「人類が持つ適応力」という明るい側面の実例ではあります。

⇧は、万博のナショナルデー公式式典を、バーチャル万博(ネット)で視聴することにより得た実感です。

5月に万博に行ったとき 各国が出店していたコモン館
そこは ただ「物」を置いていただけの国もあれば
その国の人が熱心に自国の文化を説明していた国もあり
中には、(国名忘れたごめん)
現地の方が スチールバンの奏法を1対1で指導してくれたり
現地の自然物(木の実など)を使った楽器の演奏の実演と使い方を教えてくれた国々もありました。

 しっかりと 私はそれらの楽器を演奏(;'∀')しました(習いましたW)

民族楽器は 直で奏法を習うことにより学ぶ点も多いです。

それは たとえば40年近く前に 五箇山(当時は観光地としてはチョーマイナーで そこに行った私は 学生仲間から変人呼ばわりされた。今から思うと、その拡散源だった女は ほんとに陰険な奴だったと思う。)

で 頼み込んでコキリコとササラの双方を習ったときに、楽器ほど地域の風土と密接につながるものはなく その奏法を習うことはその地の人々の生活史・生産活動を学ぶことでもあると気づいたことに端を発します。

#日記広場:コーデ広場

アバター
2025/12/08 05:20
かつては 「宮廷音楽・民謡」という単純な区分けで音楽が語られていたように思う

しかし今は
 富の集積を背景にした音楽「宮廷音楽・商業的に販売される音楽」
 庶民の情動の表現のために、庶民の暮らしで賄える楽器を使った「歌と踊りと楽器」
 お金のある個人の自己表現としての音楽(ハイテクを使用・その地の技術革新と文化水準の成果と浸透ぶりを示すものでもある)や映像と一体化した音楽

の三つの観点から音楽を論じる必要があるのかもしれない
 これが ナショナルデー公式催事を視聴することにより得た感想でもあります。

正直にいえれば 頭が飽和状態になって 毎日見続けることができなかったのが残念
 なので 私の脳の許容量に応じて 後半は 視聴日をしぼって視聴していたので
 万博出展国すべての ナショナルデー公式催事を視聴できなかったのが すごく残念です。

出展国にお金を払って 日本の万博協会か NHKがアーカイブして ネット放映してくれたらいいのにと思う。
 そしたら 学生たちの 貴重な学習素材として 授業にも取り込めるし(教師にそれだけの力量があれば)
 私も 自分のペースで ゆっくりと学び続けられるのに!!!

しかも 万博に参加していた複数の国では すでに 内乱が起きて 首脳部が入れ替わっていたりもする現実><

 マダガスカルのように、プレ万博行事には 日本国内にいたマダガスカルの人を結集して 積極的に事業展開していたのに、そして マダガスカル産のバニラの売り込みにも成功したのに
肝心の万博会場には 一人も姿を現さず(たぶん) 高石市の自己㏚の場として マダガスカルブースが利用されていたというとんでもない惨状を呈していた国、そして万博終了後に マダガスカルの政変がつたえられたという国もありました

アフリカで 国家を維持運営することの大変さを感じさせる 万博参加国たちでもありましたが
逆にいえば 万博の公式催事の様子や プレ宣伝活動をみていなければ
私の感情を動かすことのない「ただの出来事」で終わってしまったかもしれません

そういう意味では 万博会場で またバーチャル万博を通して、各国の人の息遣いを生で感じることができたのは 良かったなと思う
 ただの映像・作品ではなく 人の存在を直に感じることのできる参加者の意気込みを感じさせる場であったナショナルデーの公式催事!
アバター
2025/12/08 04:58
(本文の続き)

最初は 単なる好奇心を満たすために、五箇山まで行ったのですが
合掌造りのYHに宿泊して コキリコを学びたいと地元の人の話を聞いて回っているうちに、上記のことに気づいたのでありました。

それは ただ 民族楽器を見たり 勝手に触るだけでは決して気づくことのできないことであると思います・考えます。

だから それ以後は、積極的に(一番見つけやすいその地の個性である)民族楽器・民族音楽を探し、
その民族楽器を手掛かりにして、
「それを作った人・作り方・演奏されるシーン」を探ることから「使う人の暮らしと文化と歴史を学ぶ」努力をしてきました

そして 万博のナショナルデーの公式催事を通して、
楽器伝播=人の移動 であり、それは 経済支配の実態と表裏をなすものであり、音楽とは ただ搾取されているだけではない人の不屈の精神を反映したものであり、ただ支配されているだけではない民衆の心を反映したものであると
実感しました。

民主主義により 庶民への富の分配が十分におき
個人が自分の趣味を追及できる余裕を持つことにより発展したのが、テクノ音楽であるのと対照的な
「大衆音楽・地域の娯楽の場で演奏される楽器」

その両極を 連日 ナショナルデーの公式催事を通してみることができたのは、私にとって 大きな収穫であり
新たな視点・歴史観を持つ きっかけともなりました!




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