良い人程先に行ってしまうお話。
- カテゴリ:日記
- 2025/12/03 13:51:22
私は色々な別れと出会いを繰り返して生きてきた。
「私は」と言う言葉から始めたお話ではあるけれど、誰もがそうだと思う。
その中で長く生きていれば「死」と言う別れを経験する事が増えていく。
まず、話し始める前に貴方が信仰する神を冒涜するつもりはない、と言う事をご容赦願いたい。
私は死別を経験した時に、慰めで良く言われて来た言葉が
「素晴らしい人だから神様が手元に置いておきたくなった」
と言う言葉だった。
神様の気紛れで私の数少ない友人がいなくなるんじゃ、たまったもんじゃないな。
と言われる度に思う。
「死後の世界で会える」
そう言われた事もあった。
その場しのぎの慰め…にもならない言葉だと思っている。
結局の所、死でも過去の友人でも私の中ではもうずっと続いていくと思っていたけれど打ち切りになってしまってもう更新される事が無くなった作品だと思っている。
だから出来る事と言えば、忘れない事なんだろうなっていう答えが私の中で一番納得出来る物で現実的なものになる。
何故12月にこのお話を書いたかと言うと、降誕祭と言う生命の終わりの始まりがすぐ近くまで来ているからね…!へへ…。
それだけのお話。


























過去を見て歩くからこそ、人は誰かに未来を託すのかな、と思っています…!
自分が成し遂げられなかった事を、誰かに代わりに引き継いで欲しい。
その連続がもしかしたら、人間なのかもしれないって思います。
良い人が先に死んでいく…となると確かに「残っている方」の前提条件が恐ろしいことになりますね…。
私も自慢出来るような人生ではない…と思いますが、きっと先に逝ってしまった方もそういった気持ちだったんじゃないかなって勝手に思っています。
後悔の無い人生はないと思っているので…!
私自身は無宗教ですが、祖母が仏教だったので「修行」と言う考え方は凄く伝えられましたね…w
私は自身の身近な人が親しい人が先立ってしまった時に出る言葉は「お疲れ様」と言う言葉…になってしまいますね…。
人生に色々気づきを与えて下さっているのは私にとってはあみ様で、こちらこそいつもありがとうございます…!
人間は未来に向かって前向きに生きているように見えて、実は後ろ向きに進んでいるんだという話を聞いたことがあります。
常に過去を振り返り、ああすればよかった。こっちを選んでいたらどうなっただろうと。
「いいひとが先に死んでいくという」というには「残っている自分はいい人ではない」とい前程になってしまいます。
過去を振り返ると私も決して自慢できるような人生を歩んできたとは言い難く、だからこそこの世に残ってまだまだ修行が必要なんだと反省したり試行錯誤したりの日々です。
(仏教的にはこの世は修行の場であるといいますし)。
親しい人を失くし悲しんでいる人がいて、私がその人も亡くなった人も知っている時は「修行が終わったね」ということがあると思い出しました。
私にとってLycorisさんの思考は、人生にいろいろな気づきをくれます。
いつもありがとうございます。
確かに必ずしも良い人だけが先に逝ってしまうとは限らず、死はある程度平等なもの…ですね。
幸い特に何か不幸があってこの記事を書いたわけではないのですが、確かに印象に残るのは良い人だけですね…。
善悪の境界が何処にあるのか、わからないですが所謂悪人と言われる存在が亡くなった際には逆に喜ばれてしまう事すらある気がします。
神様があみ様の仰る通り、強欲ならば本当に最初から地に下ろす事は無いような気がするんです。
やっぱり詭弁…と言う捉え方がしっくり来てしまいます。
私は母が幼い頃に父親と離婚していて、父親との思い出があまりないのですが高校生くらいの頃に「貴方がもしも連絡したいなら連絡とっても良い」と父親の連絡先を頂いて、実際に連絡したのは20代後半になってからでした。
もう病で亡くなってしまったのですが、もっと早く連絡すればよかった。
もっと早く知れば良かった、と後悔があります。
なので死後の世界があるとしたら私もお話したい事は沢山ありますね…。
そういった場面において慰めの言葉になる事…はわかっているつもりではあったのですが、そういった人の弱みに付け入る様な人間を見てきたので少し言い方が悪くなってしまいましたね…、申し訳ない限りです…。
本当に悲しんでいる、絶望していると言っても良い人に対してかけられる言葉は誰も持っていない…のかも知れないと思っています。
ある意味で、記事の様な発言をするのはその人なりの「思いやり」なのかもしれないですね…。
興味がない知人がいつの間にか亡くなっていることもあろうかと。
ただ印象に残るのはいい人の方ですものね。
Lycorisさんの感じる違和感は私も同感です。
神様はいい人をそばに置きたくなるほどの強欲ならば、そもそもこの世に送らずに守護天使として侍らせると思います。
まあ、詭弁というか方便というか。
慰めの言葉の一種ですよね。
私は母が亡くなってから、母と話したいことがたくさん出てきました。
別に会えるとは本気で思っていませんが、あの世でもし会えたら伝えたいことはあります。
そういうことがもしあるなら、多少の慰めの役に立ちますね。
本当に心の底から悲しんでいる人を目の前にすると、人は言葉を失うものではないでしょうか。
どんな慰めの言葉も届かないというか、上滑りというか、軽薄な感じ。
ただ何か言葉をかけたい。形式的に「ご愁傷様です」と言うよりは、もう少し考えてかけてくれている言葉なのかもしれません。