Nicotto Town



ないしょばなし

あのね、せんしゅう おとうさんが しんでしまったの。

かなしくはないよ だっていしゃは 3年前から おとうさんがもたないって、いっていた。
わたしはさいしょから かなしくなかった さいごまでおとうさんがいたくないなら こわくないなら しあわせなら じゅみょうがいっかげつでも さんねんでも 私はどちらでもよかった。

だからわたしは そのひからまいしゅう となりのけんから おとうさんをたずねた。
さんねんかんで お父さんは かわっていった。
いちねんめは くすりのふくさようは つらいときがあったけど いつもたべてほんをよんでた むかしのように おおもりしょうぞう ベルグソン キューブラーロス メルロポンティ
わたしはお父さんが死ぬ前に 読みたいと言っていた本を取り寄せた。
それから程なく 本を読むのがつらくなった スマホは見れた。
ときどき 頭がはっきりしないように見える日々が続くこともあったけど、わたしがはなしをすれば むかしのように たくさん好きだった話をした。第三の男やカサブランカなんかの映画の話。夏目漱石や田山花袋、古い日本の文学。量子力学。
手足がしびれて車が運転できなくなった。私はくるまをうんてんして毎週一番近いお蕎麦屋さんと食料品店に連れて行った。


しぬことは鉄板のジョークになった。おとうさんが死ぬのを怖がっているのはよく分かっていた。代わってあげられたらいいんだけど。わたしはたぶんおとうさんほど いきるのがすきじゃないから。しぬなんてよこくされず、わたしがあげたぶんのいのちを生きて、あしたもいきるとおもってうっかりしんでしまうようなのがいちばんしあわせなのじゃないかと 思ったんだけど。
3年目は急に悪くなった。最後の3カ月。3年目は元気なとき国立博物館のYoutubeを見て、サピエンスの遺伝子解説の話に熱狂してたと思ったら。
車で買い物の用事に連れ出したら、車を降りて入り口の自動ドアまで歩くのが難しかった。最後にお蕎麦につれていったときはエスカレーターまで何度も休んだ。

それが倒れてから急に悪くなった。ベッドからおきあがるのが辛くなり、やがてベッドからトイレに立つときはほとんど転倒して、一人で起き上がれないことがしょっちゅうになった。便がでないのが辛く、1人で便をゆびでかきだし、それでまわりをさわっておこられていた。
一番最後まで食べることができたのはそうめんで、だから私は揖保乃糸の素麺の一番高いやつをとどけた。でも、あとひと束くらいでふたはこ買い足したタイミングで亡くなった。だから私はそのそうめんふたはこをどうしたらいいか今も分からない。

私はお父さんをみながらずっと考えていたのは、一番は人間のことだった。大事に抱えていたたくさんの哲学が最後にどうなっていくのか。そういうの冷たいと思ったらとても悪いなと思う。でもこれは、わたしがそういうひとだということだからあまり気にやまないでほしいな。だいいち、私のかなりの部分は、お父さんの書斎でできているからそれでまんぞくしてくれないかな。

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