ある中世ヨーロッパの男性の論文を紹介その2
- カテゴリ:日記
- 2025/09/15 10:50:50
❝ 祝福はいつも女性からもたらされるのであり、男からもたらされるのは 掟(法)である。われわれ人間はみなアダムにおいて罪を犯したのであり、 エヴァにおいてではない。われわれが受け継ぐ原罪は、人類の祖であるア ダムからのみ由来する。
知識の木の実は、女性が造られる前、男に対し てのみ禁じられていたのであり、女性はいかなる禁止命令も受けていない。 女性は自由な者として創造されたのである。それゆえ、女性が咎められた のはそれを食べたからではなく、夫にそれを与えて食べさせたことによっ て夫の中に原罪を引き起こしたことによる。
しかも、彼女はそれを自分の 意志で行なったわけではなく、悪魔に誘惑されたからにすぎない。聖ベル ナルドゥスが述べているように、男が女を誘惑の対象として選ぶのは、女 が最も完璧な被造物であるということを男が妬み心をもって気づいたから に他ならない。女性が騙されて、知らずに過ちを犯したのに対して、男は知っ ていながら罪を犯したのである。だからこそ、われらが主(イエス・キリスト) は、原罪を犯した性~すなわち、男性~の姿を取って贖罪を果たされたの である。
そして女の姿でなく、男の姿に身をやつされたのも、より高貴で、 より崇高な性~すなわち、女性~よりも一層完全に自らを低くされるため であった。主は、男と同じように自らを卑しくされたのであり、一方、女 性の子孫として勝利されたのである。実際、聖書には、蛇の頭を傷つける のは、男の子孫ではなく、女の子孫であると書かれている。「おまえと女、 おまえの子孫と女の子孫の間に私は敵意を置く。彼はおまえの頭を砕き、 おまえは彼の踵を砕く。」(『創世記』3, 15)それゆえ、主イエス・キリスト は、男(ヨゼフ)から生まれはしなかった。
地上における神の親にふさわ しいと判断されたのは女(マリア)だけだったのである。主が蘇られた時、 最初に姿をお見せになったのはまさに女性~マグダラのマリア(『マルコ福 音書』16, 9)~である。男たちは主を見捨てたが、女性たちは決して 見捨てはしなかった(「十字架に架かったイエスを遠くから見ていた女性た ちがいた。マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、サロメであっ た。なおこの他にも多くの婦人がいた。」『マルコ福音書』15, 41)。
カトリッ ク教会による迫害も、異端も、誤謬も、女性から始まったためしはない。 主を裏切り、主を売り買いし、主を責め立て、主を断罪し、主をあざけり、 主を十字架につけたのは、すべて男たちであった。ペトロは主を否定し、 弟子たちはみな主を捨てて逃げ去ったではないか。主の十字架の下に居た のも、主の復活の墓に居たのも、女性たちだった。ピラトの妻は異教徒であっ たにもかかわらず、キリストの男の信徒たちの誰よりもイエスを救うべく 尽力している。
最後に、ほとんどすべての神学者たちは、キリスト教教会 が聖処女マリアによって維持されてきたと主張しているではないか。アリ ストテレースは、あらゆる動物たちのうち雄の方が雌よりも強く賢いと述 べているが、聖パウロはこう書き記している。「弱いものは、強いものを打 ち破るべく選ばれているのです」(「力は弱さの中でこそ発揮されるものだ からです。」=「徳は弱さの中で完全なものとなるからです。」『コリントス の神の教会へ(第2の手紙)』12, 9)と。❞

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- 頑固な僕
- 2025/09/15 14:25
- あまたらすのように女性を神とするのが当然でその子が一番とするのが 間違いです
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