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ラッカセイ

ニコットおみくじ(2025-09-06の運勢)

おみくじ

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【ラッカセイ】 落花生 Arachis hypogaea L.

             Peanut

             Groundnut

☆ラッカセイは、マメ科マメ亜科ラッカセイ属の一年草です。

<概要>

〇ラッカセイ

@原産

 ラッカセイとは南米が原産とされるマメ科ラッカセイ属の一年草で、
 東アジアを経由して、江戸時代に日本に持ち込まれたといわれています。

 ★栽培の歴史

  □アンデス文明とラッカセイ

  落花生栽培の歴史は古く、
  今のペルーからボリビアの一部にあたる地域に存在した、
  古代アンデス文明の遺跡から、
  紀元前4000年頃から紀元1000年頃までのラッカセイが、
  多数出土しています。

  中でも、ペルー北海岸に高度な文明を築いた、
  モチェ文化(紀元0年~700年頃)は、
  ラッカセイの文化史と深い関わりがあるとされ、
  ラッカセイをモチーフにした壺や装飾品等が多く発見されています。

  又、モチェ文化のシパン王・古シパン王の墳墓から、
  ラッカセイの形のパーツが重なった金銀製のネックレスも発見されています。

  ■世界への広がり

  ラッカセイは大航海時代の奴隷貿易によってブラジルからアフリカへ、
  世界へ広がったといわれていますが、諸説あり、確かなことは不明です。
    
  ◇大航海時代の奴隷貿易

   大航海時代はヨーロッパ諸国が新たな貿易ルートを開拓し、
   世界中にその勢力を広げた時代です。

   その中で最も非人道的な取引の一つが奴隷貿易でした。

   ヨーロッパ人はアフリカから多くの人々を奴隷として新大陸に送り込み、
   過酷な労働を強要しました。

   奴隷貿易は数世紀にわたり、
   アフリカ大陸やアメリカ大陸に深い傷跡を残しました。

   ▲奴隷貿易の始まりと背景

    大航海時代が始まると、
    ヨーロッパ諸国はアフリカ西海岸に進出し、奴隷貿易が本格化しました。

    この貿易は主に・・・

    ・ポルトガル          ・スペイン

    ・イギリス           ・フランス

    ・オランダ
   
    これら等の国々が関与し、
    17~18世紀にかけて、最も盛んに行われています。

    奴隷はアフリカからアメリカ大陸に運ばれ、
    主に砂糖や綿花、煙草(たばこ)等の栽培に従事させられました。

    奴隷貿易はヨーロッパ諸国が新大陸での経済活動を拡大させる為に、
    安価な労働力を必要としたことから急速に拡大しました。

    特にカリブ海諸島やアメリカ南部のプランテーション農場では、
    大量の労働力が必要とされ、その需要を満たす為に、
    アフリカ人が奴隷として売買されました。

   △貿易と奴隷輸送

    奴隷貿易は、
    三角貿易という貿易システムの一環として行われていました。

    このシステムではヨーロッパやアフリカ、アメリカの三地域を結び、
    それぞれの地域が異なる商品を提供し合う形で貿易が成立します。

    ヨーロッパからは銃や火薬、工業製品がアフリカに運ばれ、
    アフリカからは奴隷がアメリカに送られ、
    アメリカからは砂糖や綿花がヨーロッパに輸入されました。

    特に奴隷をアフリカからアメリカに運ぶ過程は「中間航路」と呼ばれ、
    これは最も過酷な旅路として知られています。

    奴隷船には数百人のアフリカ人が過密状態で乗せられ、
    栄養失調や病気、暴力によって多くが命を落としました。

    この度は通常数週間から数カ月に及び、
    生き残ってアメリカ大陸に到着した者達も、過酷な労働が待っています。
   
   ▲奴隷貿易がアフリカに齎(もたら)した影響

    奴隷貿易は、アフリカ大陸に深刻な影響を及ぼし、
    特に西アフリカでは若い男性が大量に奴隷として連れ去られた為、
    社会の基盤が弱体化し、経済的、文化的にも大きな損失が発生しました。

    奴隷貿易が引き起こした部族間の戦争や奴隷狩りは、
    アフリカ社会に長期的な混乱を齎し、地域間の対立を深めました。

    又、奴隷貿易によって、多くの地域で人口減少が進み、
    これが長期的にアフリカの発展を阻害する原因となりました。

    奴隷の取引はヨーロッパからの銃器や火薬を対価として行われ、
    これがさらに内戦や対立を激化させました。

    奴隷貿易やアフリカの社会、経済構造を根本から破壊しました。

   △奴隷貿易の終焉とその影響

    19世紀に入りますと、
    奴隷制度廃止運動がヨーロッパやアメリカで盛り上がりまして、
    奴隷貿易は次第に終焉を迎えます。

    イギリスでは1807年に奴隷貿易が法的に禁止されまして、
    続いてフランスやアメリカ等でも、廃止に向けた動きが進行します。

    ただし、奴隷貿易そのものは縮小しても、
    奴隷制度が完全に撤廃されるまでにはさらに時間がかかりました。

    奴隷貿易の終焉により、
    アフリカやアメリカの経済は大きな変化を迎えました。

    アメリカでは奴隷労働に依存していた経済システムが改革を迫られ、
    南北戦争等の紛争に繋がる要因となりました。

    又、奴隷貿易で得た富は、
    ヨーロッパの産業革命を支える重要な資源となりまして、
    経済成長を促進する一方で、
    アフリカやアメリカには深い歴史的な傷を残しました。

  ★栽培・輸出

   乾燥した土地でも育つラッカセイは、
   イギリスやフランスの植民地となった西アフリカ各地で盛んに栽培され、
   輸出されました。

   アメリカへのラッカセイの伝播(でんぱ)にも諸説ありますが、
   アフリカ系の奴隷によってもたらされたとされています。

   始めは奴隷の食べ物であったラッカセイは、
   南北戦争以降、急速に一般的となりまして、
   アメリカ人にとって、最もポピュラーな食べ物になりました。
 
   中でも愛されているピーナッツバターは、
   アメリカ生まれと思われていますが、
   原産地である南米の先住民は昔からラッカセイを、
   ペーストにして食していた他、
   ピーナッツバターとカカオの組み合わせも、
   古代インカで行われていました。

問題 ラッカセイの日本への伝来は明治時代以降の記述によると、
   中国から齎されたといわれています。

   栽培についてですが、次の文章の〇〇に入る県名を教えてください。

   明治7年、政府がアメリカから種子を取り寄せまして、
   埼玉、三重、〇〇等の各地に配布し、
   栽培を推奨したのが始まりとされています。

1、千葉

2、茨城

3、福島

ヒント・・・〇(株)おくや さん

      会津産ラッカセイにこだわった豆菓子の製造に取り組んでいまして、
      喜多方市や会津若松市等、会津地方十市町村の農家約90軒と、
      「会津豆倶楽部」という栽培契約を結び、豆を仕入れています。

お分かりの方は数字もしく〇〇に入る県名をよろしくお願いします。
   








   


   

  




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