ほんとに炎上広告なのか?
- カテゴリ:コーデ広場
- 2025/08/28 02:59:20
適度な一雨が欲しい! ファンタジー世界のようにアイスベールをまとって歩けるといいのにナ♬
もらったステキコーデ♪:21
・せんだっての「ミツカン投稿」は、
キチャッチコピー本体の、語彙の誤用(文法的に不適切な使用が2つ)が、そっけない添付画像とあいまって 読者の神経を逆なでしたのだろうト、私は書きました。(8月17日の日記)
なにしろ
「なんて」という侮蔑語+「これだけでも」という挑発表現
に素っ気ない画像の組み合わせで、日常的に 女性達にくすぶるぼんやりとした不満・徒労感・いらだちに 火をつけたのですから。
・そして 今度は、「2024年のリポビタンDの 車内広告」を取り上げて 時代錯誤がどうこうという記事↓
だからリポビタンDの車内広告は炎上した…気づかないでは済まされない"時代錯誤"が滲み出てしまったワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e53c5741c1c5bb476dafa5d09fc926dfc8da18a
8/21(木) 8:16配信
・実にくだらない内容でした!
ミツカン広告に便乗しただけの ずれた分析
筆者の自己顕示欲なのか 金稼ぎ根性しかない記事
・なぜ そう思ったのか?
冒頭に添付された 縮小された「車内広告」画像を見て思いました。
『このサイズなら 違和感無いけど
車内広告サイズ掲示さているのを、 疲れている時に見たら イラッとくる可能性もあるな』と
どこにイラッとくるかと言えば、
①女性側のキチャッチフレーズは、
日常的に3役こなす女性達に向かって
『~欲しくないですか?』という言葉をぶつけて
『あなた達の認められない苦労・不満を
僕はわかっていますよ、そんなあなたに寄り添う僕からのプレゼント』というコピーライターの傲慢さを 押しつけているから
端的に言えば 何を今更
30年前の女性になら受けたかもしれないコピー
10年前なら 苦笑いで笑い飛ばせたけど
2024年になっても まだこんなこと言ってるの?
感覚古いね! です。
だって 女性が3役背負うのではなく
いかにして 3役に関わる女性の負担を軽減するかを社会的課題として取り組み始めてからからすでに20年
職場・育児活動・家事内容それぞれの分野において、
負担軽減を具体化することが、制度的にも お商売としても成立してすでに20年以上経つのに・・
(それらが当事者にとって満足いくモノであるかは別として)
まだ こんなこと言ってるの? という意味で
②それに対して 男性側へのキャッチコピーは
男性の育休・産休が実施されて約10年?
イクメンということばが もはや手垢のついた感のある『今』を生きる男達へのいたわりのメッセージ
つまり、このキチャッチコピーを書いた人・製作した人達自身の頭の中が、
男に対しては、ほぼほぼ『今』に沿った感覚
(というか 40~20年前の子育て世代男子の共通感覚
仕事がしんどいのに・・という不満と
「そんなの無理無理」と開き直っていた過去世代の言動を背景に、
「家事も育児もやってあたりまえ」の今の若い世代と今のオールド世代に向けたメッセ)
vs
女性に向ける視線は 旧態依然のまま、現代の制度・社会的方向性を無視して、表面的に 『僕 時代の先端に沿った感覚の持ち主よ 君たちの「社会的に認められていない』状況により沿ってるんだよ』という 自慢たらしい意識の押し付けだな
と感じるから。
◇
言い換えるなら、昨今の 広告・宣伝担当者って
ぜんぜん 現実が見えてないね
己の頭の中のイメージだけで コピーを書いて
扇情的な言葉だけを使って 人をあおろうとしている
つきあえねや。◇ です。
・昔のコマーシャルというのは、1970年代の「ニューリコピー』のように 時代を切り開く(商品)を現実の課題に絡めて宣伝する
:コピー機台頭時代に「情報は 正確に、そこは人間だから
ニューリコピー」とアニメつきで歌った
もしくは 時代の雰囲気を的確に反映する「レナウン娘」
といった マッチ感があった。
だから コマーシャルが面白かった。
コピーライター台頭時期も、その時代感覚をいかに、キチャッチコピーに反映しているかを コピーライータをもてはやす記者達が自慢しあっていた。
・つまり 広告を担当する人は、いつも敏感に『世相』を見てその、その半歩先を読みつつ『今の風潮』『今を生きる人達の感覚』に焦点を合わせて宣伝していた。
だからこそ 面白かったし、宣伝効果も高かった。
・しかるに ミツカンもリポビタンDも
キチャッチコピーを打ってる人達の感覚そのものが古い
『今』を見ているようで、実は 『今』を否定する過去の感覚を元に、定型化した言い回しの誤用。
だから 反感を買うのです!
◇
という意味で、本質的な国語力の無い人たちが、言葉を扱う商売しているんだな、
と つくづく思いました。
キチャッチコピーを書いた人も
炎上をテーマに 売文している人も。
・『価値観の多様』がもてはやされてからすでに30年くらいは立つ。
今の日本人は、個人の感覚・価値観の多様化だけでなく、「制度と実態」「個人的イメージと実際に日々の生活で抱く感覚」等々がずれまくった ある種混沌とした状況で生きている
そんなときに、「生活感や個人の感情」からずれたものを
さも知ったかぶりに「~ね」「~ないですか?」と押し付けられたら、いらつく人が多いでしょうよ。
そのいらつくポイントそのものが 人それぞれに違っても
◇
そういう意味では、今時 『言葉』を扱う商売している人達そのものが
「語彙・文法」も含めた『国語の初歩の初歩」を無視して
「今を生きる人々の生の感情」にも 目を向けず
『己の頭の中の思い込み」だけを 押しつけ拡散して金稼ぎをしている
いやな連中の集合体だなと 感じました!!
たぶん。売文家たちは
「~ね」「~ないですか?」という言い回しが内包する意味すら知らず、単なる定型句、こういう場面で使えば受ける言葉、程度にしか思ってないんだろうな。
マジで お育ちと受けてきた教育を疑うわ!!
(と、私は 対等の相手に対する挑発的意味を込めて 上記のことばを使いましたが
この語句すら 『定型句』としか思わなかったり
「おっ、反撃に都合の良い語句(キーワード)めっけ!」
「差別じゃ~と騒ぐに都合の良い事象として扱おう」位にしか思わない人も いるんじゃないかな?)
◇
結論
国語を軽んじ 他者の感覚に注意を払わない人達が跋扈する世の中 いやね!
「自分の感覚がすべて」である人達が 宣伝・拡散して稼いでいる世界
=広告業界・ライターと名乗って仕事をしている・記事を売っている世の中
先行きを考えるだけで おぞましい! の一言
・そういう意味では、ミツカンやリポビタンDの広告について
真剣に向き合って、投稿している人達は すごく正直で真面目な人達なんじゃないかな。
それを『炎上』と決めつけて 売文活動に利用する人
問題の広告を無かったことにしてしまう人
(形式的謝罪文で取り下げる企業)
そっちの方が よっぽど問題なんじゃない?
変化の激しい時代だからこそ
世代による生活感覚の違いが、たとえ同一国民であっても 世代ごとに 過ごしてきた社会的背景(風潮・喧伝されていた思想・宣伝)が大きく異なるからこそ、
キチャッチコピーを書くときには 正しい国語・語彙の運用をしていただきたい!!
=無用の軋轢を生みだして 社会的分断を広げるな!!
一部文言が共通している部分がありますが、どちらの投稿も残しておきます。
二つの投稿文の文脈が 途中で別方向に向かってしまったので。(;'∀') m(__)m
・コメントにも 本文並みの誤字修正機能があると 楽なんだけどなぁ・・
しかし 男女共同参画以後の30年、
40代以上の男性の中には、 「男が果たす社会的役割は 仕事だけじゃない! 家庭内労働もせよ」という風潮の高まりの中で、精神的に疲れたり、大っぴらに言いにくい不満を抱えることになった人達もいるのではないかな という気もする
ある意味、 成人してから それまでに培ったジェンダー感をひっくり返されるような社会に変化しはじめたわけだから。
・「働けば働いただけ収入が増え、生活が豊かになる」と思える社会ならば
おかみが 指示する方向に動いても さほど不満は無かろう。
しかし 収入は増えない、みんなで我慢ではなく 一部では「豊かさ」を謳歌している人たちがいるようなのに、自分の暮らしは 期待したほど満足できるほどよくなるわけでもなければ、明日への期待も維持できない状態が 30年余りも続けば 男たちの気持ちも乱れるであろう
おまけに 「女」にうっぷんのはけ口を向けることをとがめる公的な風潮も強まる一方
(だから 自分の本来の生活からは遠い位置にある女性に 強い感情を向けて ストーカーや性加害を行う犯罪が増える。あるいは 買春への需要があくどいほうに傾く)
・だから 男女の既成概念にとらわれず、直接相対することなく 適度な距離感で付き合えるネット上で
男女それぞれの 素朴な思いを語り合うことができれば それはそれで 実社会によい影響をもたらすかもしれない。 少なくとも 実社会に悪影響は出なかろうと思うのですが。
そこで語られる内容に 職業的コメンテーター(ジェンダー論者も含む)が あれこれ言う必要はないし
むしろ そういう行動は ステルス誘導・言論封殺にもつながりやすいので
やめてほしい! とも思う
「時代が変わると疲れも変わる」これって 案外 男性の本音に近い部分があると思うのだけどな。
働き方改革:そのあおりを食って一番損しているのが 現在40代~65歳の人間では?
年金改革:その被害を 今後めいっぱい受け続けるのが 今の60~65歳の女性だわ!!
戦時中「産めよ増やせよ」と出産と子育てを強制されたり
⇓
高度経済成長のために、
「男ひとりで 家族を養える収入を!」(自民党の政策宣伝だったかな)
&
「企業戦士を支える内助の功」
「単身赴任は 出世のための関門の一つ」⇒ワンオペ育児の強制
大家族から核家族 核家族(マイホーム主義)を理想化したコマーシャル(各種販売広告)
・とまあ 昭和の時代は 女性の生き方を 男社会の都合で 振り回し、何度も「生き方・価値観」の転換を強制される時代でした。
その中で翻弄された女性たちは、とうとう 「女性の自立」「働く女性が美しい」といった国外ウーマンリブの亜流として派生した「男女共同参画」の強引な官製宣伝の中で
「夫が 非協力的・理解がない」と主婦層の不満が高じる一方
妻に対して『家の仕事もしろ、それだけでなく外に出て稼いで来い」という夫・男族も増えて、
板挟みになる出産・幼児期の子育てを終えた妻たちの葛藤も増え・・
そうした女性たちからの相談を受けているうちに、男女共同参画に関する講演を頼まれ
そのとき 家族の構成員(妻 夫 子どもたち)それぞれのライフステージを図示したうえで
各々にとって個別にストレスがたまりやすい時期 経済的支出の増大する時期 家庭内外での責任や仕事に割く時間が増大する時期 などを書き込んで、「家庭」としてのライフステージを 考える視点を 提供し
「ちまたの キチャッチフレーズに惑わされたら 配偶者への不満が高まるだけ、夫婦がギクシャクして ストレスが増大するだけ、自分の家族のそれぞれにとって大切なこと 家庭として困難な時期 ゆとりのある時期 ライフステージごとに感じる不安や楽しみを まっすぐに見て 自分の生き方 家庭としての歩みを考えようね」と述べ
フロアから 非常に強い共感を得たことがある。
・女性たちは、さかのぼれば 明治以後の日本社会の変遷で 「女の生き方」ばっかり男社会の都合で強制的にかえられてきたわけだすが、その先兵は常に 文屋どもであったわけですが
特に昭和の時代の変遷で かなり 疲弊したり
逆に 不満を募らせつつ、問題解決に当たる女性達
その後について ゆるゆるとその恩恵だけを拾い食いしたり 便乗して利する女性たちもいたり
とにかく 自分に利のない ストレスだけを押し付けられることが多かった
・問題は そういった現象を、「炎上」と位置付けて、自称コンサルタント?が
危機管理 やら なんやらと言って あれこれ自己宣伝の営業活動に努めたり
企業側のほうが、すぐに 「炎上」⇒「取り下げ」というパターン化した行動に走ったり
「謝罪と取り下げは速やかに」みたいな論陣をはる文屋が 最近目立つ風潮です。
これらは「ステルス言論統制の手法」そのもの!であったり、
「AIとネットを使った思想統制に口実を与えるだけでは?
否、すでに統制が始まっているのでは?!」との危惧の念さへ 抱かせます。
・それゆえ、
「ネットを使った洗脳と言論統制」のきっかけとなる現象を生み出している要因の一つが
今の日本のコピーライターの劣化が極限まで進んで、もはや、まともなキャッチコピーが書けなくなっている」ことにあるのでは?!
と強い危機感を抱くことが増えたので、本文では 職業的投稿者たち、文屋さん(その中には 運動論推進のために投稿活動をしている方々もかぶることもあるかな)に対する 強い 挑発的文言を入れました。
以上 本文の補足説明終わり!
・その手法のエグさを指摘して 声を上げたのは、もちろん 女性たち。
広告を批判するだけでは、その手の広告会社の手法は改まらないし、その手の広告会社に発注する企業担当者(男)はなくならない。
だから そんな深いな広告、女性の感情=尊厳を否定する広告を起用した企業をボイコットするぞ!との声が上がり、その勢いを企業が無視できなくなった昨今(起業がネットを悪用するなら個人もネットを使って反撃するよ!の時代w)
・ただし そういう 戦略的なつばぜり合いに いつまでもふりまわされるほど、日本国民はアホではない
だから ひとつひとつの広告について、一人一人が自分の感想を述べあう、男も女も
そういう現象が 最近 起きているのではないでしょうか?
ミツカンやリポビタンのように
それは 日本社会として 歩むべき道程の一つではなかろうかとも思う
・その現象を ことさらに取り上げて問題視する必要もなければ
「ジェンダー論」なんて アメリカ思想を持ち込んで大上段に論じることでもなかろう、
そのような行動は、むしろ この問題について 自由に感想を述べある男女の営みそのものを忌避する風潮を生みかねない
と思っています。
(なにしろ、日常生活における実感(生活感)の違いに触れることは、
しばしば 女性に対する性暴力を誘発しますから、ジェンダー論者の主張は火薬庫に火をつけるよりも危険な結果を生み出すリスク大だからです。
お試し相談(初回カウンセリング)で、その手の話題に触発されたうっぷんをぶちまけるクライエントと遭遇し、その方の不安定さを感じ 衝動の行動化を防ぎつつ、その場を収めた経験は 何度かありますから)
単なる「売文」だけではないのは確かです。そういう意味では 私の本文は 表題に引きずられた「過激な物言い」ではありました。
ただ ジェンダーに絡んだ広告は この5年?ことごとく 炎上というか熱い論戦を巻き起こしているのは・・
外国のような 一つの価値観を推進するための運動論の一環に起因するのではなく、
もっと 単純素朴な現象
つまり、 その広告を目にした人が内包する、「生活感情に基づく反感・不快さ」を、広告そのもの(キチャッチコピー(ミツカンの場合は図柄も)」が刺激して表層化している or 活性化しているからではないのか? と言いたいわけ
もっと端的に言えば コピーライターの劣化が極限まで進んで、もはや、まともなキャッチコピーが書けなくなっているのが 一番の要因である! と言いたいわけ。
・20~30年前なら、広告そのものが体現する思想の男女差別感を指摘する人、
それを「よくぞ言ってくれた!」「そこまで言っていいんだ」と日常的生活感をもとに共感を示す女性
「なにを言ってるんだ」と内心の不満を 日常生活でぼやく男性
そういう現象をネタに ジェンダー闘争を推進していく運動家
話題になった指摘を配慮しつつ 「コマーシャルの構造」を練り直す 宣伝屋業界の方々
という 全体的な流れが 日本社会に起きていました。
・さらにこの10年目立っていたのは、そうやって新しく構成された「コマーシャル構造」を展開するにあたって、
広告会社は、
広告主(乱暴な言い方をすれば男中心社会の成功者)が 受け入れやすいキチャッチコピーを作り、
少しだけ敏感な女性を刺激して、計算の範囲内で反発を引き起こすことにより
話題を呼び、そのことにより商品名が売れて売り上げ伸ばして 宣伝効果を上げるという 手法を多用するようになった
(リポビタンの宣伝は その典型、男女モデルはジェンダー論者から見ても突っ込めない「隙の無い出来栄え」 そして話題を呼ぶコピーのはずが・・)
いわゆる「攻める手法」とか「ギリをついた宣伝」とかいうやつ
そして その話題による宣伝効果を固持するために、ネット上でのヒット数を 業績としてカウントして
クライアントを集めようとしていた 広告関連業者の人間達
単なる「売文」だけではないのは確かです。そういう意味では 私の本文は 表題に引きずられた「過激な物言い」ではありました。
ただ ジェンダーに絡んだ広告は この5年?ことごとく 炎上というか熱い論戦を巻き起こしているのは・・
外国のような 一つの価値観を推進するための運動論の一環ではなく、もっと 単純素朴な現象
つまり、 その広告を目にしたが内包する 生活感情に基づく反感・不快さを、広告そのものが刺激して表層化している or 活性化しているからではないのか? と言いたいわけ
一方 ジェンダー論を唱える方々により展開されてきた戦略てき(ほとんど強引ともいえる)制度改革に合わせたキチャッチコピーにより鬱屈した思いを抱え込んできた男性層が、そういう女性たちのいら立ち当初に刺激されて 反論、結果的に 話題が沸騰、それをまた 「炎上」云々と上辺だけみて もみ消しに走る企業、もしくは とりあえず 商品名が売れて売り上げ伸びたんだからいいでしょ、と得意顔になるプロモーター?宣伝屋さん? という図式が出来上がっていて 10年前後?
そういう状況をみて あほらし、これでは コマーシャル・マスメディアに携わる人間の品質低下が一層進むだけじゃないか、国語滅亡だわ(大げさにいうと) と 別視点での、(民族的アイデンティティ 国としての文化が消滅すると危機感を覚えるレベルでの)憂いを 強く訴える必要性を感じ始めた私
そういう背景からの 本文投稿です!
・逆にいうと 20年前なら 価値のあったであろう文章を 今頃 したり顔で書くなよ、今の日本にジェンダー論は不要だわ とマジ 言いたいというのもありますけどね。
単純に 過去に書いたことを繰り返して述べるのが面倒だから、でも関連する内容だから
読み手が便利なように、アドレスつけただけなんだけど。
もしかしたら、他の人の日記のページのアドレスをつけても 掲載拒否されるんだろうな
他の人の日記のページのアドレスを書くのは
確かに 過去のニコさんではやった 『不幸の手紙・幸福の手紙のSNSバージョン」に相当したり
引用先の日記主様への無礼行為に相当する
のでNGだと思うけど。
自分の日記の過去ページのアドレスまでNGとは・・
プログラムがそこまで進化してない(それだけの経費をかけるのも無駄)ってことですねw
だったら はっきり、『ニコタの日記のアドレスは、自分のも他人のも 貼り付けNG」って明記しておけばいいのに!
さもないと、チェーンメールと見なされて、掲載不可だけでなく、入力した全文が消去された!
と 利用者の憤激を買う というか 自由表現への拒絶 にしかならないと思う。
投稿拒否は 運営としての合理的判断
しかし 禁止事項を明示せずに 『疑いあります』だけで投稿文全体を抹殺するのは
言論の自由を否定する憲法違反ですよ! スマイルラボさん!!!
・ヤフーの日記は、すべてのアドレスが貼り付け禁止が明確だから
投稿しにくいなと思いつつも そこはそう言う仕様だからと それなりに利用対応してますが。
・しかもニコタでは 『チェーンメール」と見なされた理由が なかなかわからなくて、ほんと悩みました
無駄な労力を散々つかわされた(ぼやき)
最初から 「日記のアドレスNG」って明記しといてよ!