子供の頃の不思議な記憶? ホウキの線路と巨大ロボ
- カテゴリ:今週のお題
- 2025/07/27 20:47:43
4歳の頃まで住んでいた家
近くにあった踏切の線路が、長いホウキになっていた~♬
夢だったのだろうけど、不思議で面白く、絵に描きました♬
絵を描くのが好きで、特に電車の絵が好きだったのだけど、
あのホウキの線路を走る電車の景色は、
後に美術や美術史を学んで知った超現実主義=シュルレアリズム、
そんなの知らない幼児の詩蘭が描いたのでした~(^o^)
その少し後、爺ちゃんと婆ちゃんらが住んでいた家に行った時、
そのそばの大通りに、
ガンダムや鉄人28号のような巨大なロボットが出現した!
あの情景も、夢だったのだろうけど、けっこうリアルに思い出す♬
このニコッとで出会った他者との会話も、
自分の知識や考え方や感じ方を織り上げる糸をなしているもんね。
チョーコさん向きに言えば、
他者の言葉や考えの破片が、自分の無意識のモザイクを織り上げるテッセラをなしている。
そして、他者に応える「私の言葉や行為」は、他者にとってのテッセラとなる。
前世紀後半に欧米日の文化に政治から芸術論まで大きな影響を与えた
構造主義~ポスト構造主義と言われるムーヴメントは、
文化や社会のベースが、他者が織りなす仕組み=構造で育まれていることを、
様々に照らし出す運動でした。
そして、芸術とは、日常的な慣習で定型化した感性や知性に、
まさに異質な場面(他者性)を織り上げ提示する営み、
という方向で捉え返されたんですね。
面白いです 読んでいてそうかもしれないと思えてきました
つまり、生まれつきの脳の性能は、たしかに両親から受け継いだ性能の差はあるけど、
その上に、幼児期から両親や家族、友人や先生、メディアなどを介して、
どのようなデータや考え方が入れられ、うまく育まれ鍛えることが出来たか…。
脳の先天的な仕組みと性能より、
この、後天的な、自然や動物も含んだ周囲の環境&他者たちとの関係こそが、
その人の在り方を育んでいく。
という形で、育まれる無意識の複雑な組成(=私の心)の中には、
<無数の他者>たちが絡み合って潜んでいる。
わーい 喜んでもらえてよかった♬
詩蘭 実は現代思想や哲学など、
世界でももっとも分かりやすく、かつ詩蘭独自の観点も加え、
解説し、展開できる……かもかもw(^o^♬
近頃は、人の知情意や、意識や心に関わる話
なんでもかんでも 脳神経系の説明で分かった気になる・させるような事も多いけど、
脳や神経系は、知情意その他、人間活動の不可欠の基盤ではあっても、
それはあくまで物質的基盤、ということで、
何でもかんでもその説明に還元して分かった気になる・させるなんてことは、
ある種の新興宗教のようなものですしね。
脳神経系は、たとえばPCで言えば、そのマシンの機構や性能。
そこに様々なソフトウェアやアプリ、データなどが関わることで、
はじめて様々なことができ、生じる。
古今東西の芸術や美意識の展開だって、政治や経済の展開だって
様々な社会・歴史の人々の複雑に層を成して錯綜した絡み合いの仕組み
(=間主観的・共同主観的構造)で、育まれ展開しつづけるものだもんね。
すごく簡潔にありがとうございました
私にも分かりやすいです
たくさんの知性が取り組んでいることに人類の力を感じます
人それぞれと言うものの
一生を自らと世の中を悪くするだけで終わる人はこんなこと考えないでしょうね
「私って何だ?」 まさに古今東西、ずっと様々に考えられてきていた問いだよね~♬
デカルトの「我 思う ゆえに我あり」という回答…
これは、「たとえ悪霊が「私」という幻想を与えているのだとしても、
悪霊が騙す<この私>がいなければ、その幻想もありえない。
ゆえに、悪霊が騙すためにも、<この私>がなければならない」という明快な論理。
しかし、その我=<この私>があるとしても、
では、それは、どのような仕組みで作られているの?という問いが問われ、
これが、自己や主体の基盤を問い、
そこから社会や文化の基盤も問う、近代哲学から近代科学の基盤ともなった。
そして近代芸術論も、カントの美学など代表に、
ロマン主義から20世紀前衛哲学の隠れた基盤ともなっていた。
そして二十世紀後半になると、
各人は、生まれて以来、両親や家族との交流を介することで、感性も知性も育まれ、
さらに友人や同僚、本やメディアなど多くの他者との交流(間主観性)を介し、
個性を持ったそれぞれの「私」となる。
この意味でまさに、「この私」は、無数の他者に育まれている。
だからこそ、覚醒時には思いもよらないことも、
「意識」に制約されない睡眠時に、夢という形で、色々と出てくるんですね。
二十世紀後半に大きなブームとなった構造主義や脱構築と言った理論は、
美術や文学などにも大きな影響を与え、
詩蘭もそれをベースに、自分の理論を組み立てて、色々やりました♬^^
私って何だ? と空しく彷徨います
あるある~w 家に帰るいつもの電車に乗ったはずなのに、
別の路線の遠い駅に着いてしまって、「なんで~???」ってなったりw
お台場から東京駅方面に出る路線(そんなの無いのにw)に乗ったりw
夢を創る、「私の中の<他者としての私>」がいるんですね~♬
夢の中でちょっと怖いし焦っていました
目が覚めた時疲れていましたw
不思議な経験…というのは、やはりまず不思議な夢のことが思い起こされるね~(★★
ここで書いた幼児期の不思議な思い出も、「電車の線路がホウキ」だけど、
今も不思議夢は、なぜか電車関係が多いw
思春期以後は、電車より車の方が趣味だし、旅も車が中心なのに、なんでだろ~w?
家に帰るのに、変な路線に乗っちゃって、とんでもない所に行っちゃたりw
良く乗る路線なのに、駅の構造がまるで違っていて、ワケわからなくなっちゃったりw
寝ていても脳内から湧いてきたのと思う
「錯覚する脳」を読んだとき何となく納得したのですが 今はもうすっかり忘れちゃったわww
脳は不思議ね
さとちゃん♬ おひさしぶり~~~❀
ホウキの線路を走る電車の絵
残念ながら残ってなくて、色も覚えてないのだけど、
デッサンは4歳児としては立派なものだったと思うwww(^o^)
ここ数年、なんだか夏の暑さも異常になってきたり、
世界各地で、阿保な政治家たちの許しがたい戦争行為が増えたり
世の中の不穏な気配が高まってきちゃったし
ウチも相棒ちゃん共々、身体に色々ガタも出てきてるのだけど、
さとちゃんも何よりお身体大切に、
この「人生という奇跡の夏休み」の時間 大切に……❀❀❀
それで、子供の持つ筆で自由に描いたみたいな夢だなあ、なんて思いました。
詩蘭ちゃんの、不思議な魅力のなせる技(?)かなあ?
ルルルさま ね~~♬ なんでレールをわざわざホウキにするんだろ~ね~w
人間の想像力って面白いね~♬
前に書いた「覚えている夢の中の出来事は?」って日記では、
最近見た奇妙な夢の話をしたけれど、
ほんっと 夢って な~んでわざわざこんな話をリアルに創るの? って感じだよね。
https://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=48989&aid=73660099
カトリーヌ様 小中学校の頃は、美術と理科と作文が好きで特異でした♬
絵は、電車の絵や潜水艦や宇宙船などSFっぽい絵が好きだったのだけど、
小学5年生の頃、車が好きになって、車の模型作ったり絵を描きました♬
で、高校生の頃は、カーエンジニアか物理志向だったのだけど、
カトリーヌさんが指摘されたように、高2の美術の時間、
美術部女子に「君、天才!」って言われw
その「呪文」のせいでw画家志望に転じたw
でも、10代後半、書泉グランデでたまたま手にした廣松渉さんの哲学書
読みだしたら、特異な文体ながら、それまで見たことない緻密極まる論理に魅せられ、
読みだして三日後に世界が異様にクリアに見えだし、哲学の凄さに驚愕!
そのすぐ後に出会った構造主義、そしてデリダの哲学で
廣松哲学とはまた異なった、世界の新たな捉え方に驚かされ、
芸術理論方面に転じたんです。
そして数年後、その廣松さん彼が中心の雑誌の編集や執筆などご一緒させていただき、
「廣松さんのせいで獣道人生に引きずり込まれたw」って言ったらw
彼特有の豪放な笑いで「ガっハハ ゴメンゴメン♬」って言われたのは、楽しい記憶です♬
そうした人生の転換、
線路がホウキに成るような 想像外の出来事が、常にキッカケですねw
幼少時から、そうだったんですね。画家の道は進まなかったのかしら?
確か高校生の時、絵が上手いと言われて、そちらの道に行きつつあったとか
ニコタで行ってた記憶が・・。