てぇがくれきオバさんの夏の自由研究♪
- カテゴリ:日記
- 2025/07/21 07:52:23
子供が、名古屋市科学館の特別展示見たいっていう殊勝なこといいやがるので、いやぁ~DNAのやつ見に行ってきました。石垣島で見つかった、サイコ(笑)の白保君という日本人のルーツに迫る展示でした。以下、反論とかそういうのではなく、たんなる低学歴おばさんの虫の声のような日記。
オカルトだった、名古屋市科学館のオーパーツ展示
古代DNA 日本人のきたみち 白保君の骨。
オカルト大好きだから、私にはすぐ「これは幽霊だ」とか「これはオーパーツだ」とか考える癖がついてるんですよ。私って、科学的どころか、その最も対極的な考え方をする人間です(笑)たぶん、低学歴だから、縄文時代の人みたいに病気になったら「これは精霊がたたってるんだ、医者じゃなくてお祓いだ」とか言うような低学歴で馬鹿な私って、そんな何世紀前?っていう文明レベルで考えるんじゃないですか。やっぱり。自分ってそういうところあるな、ってつくづく思います。現代人のように、目に見えないものがウイルスだ、とかそういう事を考えられるのは、やっぱり頭がいい人だし、医者っていうのは一人残らず頭がいいのだと思う。低学歴の自分がよく、これは怨霊だ!とか言う感じのを信じてる時、やっぱり目に見えないものを科学的に判断できる人たちを凄いと思う。そういう前置きはさておき、DNA解析がすすんで、四万年前の人類がいたと判明したらしい。その表情も拝見できた。日本人の最も祖先が四万年前に、石垣島にいたという…。石垣島に????あんな辺鄙な島に、人間っていたのか。四万年前に?と思うんですけど、いたらしい。四万年前、日本人の祖先はロシア側からきたのか、東南アジア側からきたのか、あやふやだったはずですが、どうやら南側だそうです。専門家がそんな感じの事を言ってた動画が展示でやってた。つまり、日本人の祖先は南の島にいたらしいって事なんですよね…。祖先の顔を復元したものみたんですが、古代人の顔はまんま沖縄の人の顔みたいだなと思いました。でも古代人の顔は、沖縄の人を参考にしたっていうから、まぁ似るのは当然だったのかも。それにしても、沖縄の石垣島にはサルしかいなかったんじゃ?って思ってたんですが、一応四万年前に墓地に風葬するという人らしい行為をした記録があるらしい。石垣島にも、人間がいた!という事実に、なんだかとってもいいなぁと心が豊になりました。
白保君の祖先がわからない。
最古の四万年前日本人の白保君だが、白保君がどこからきたのか、という点は、謎らしい。これで私は、「白保君の骨はオーパーツ」なのでは。とか思った。いや、この、サイコの人間の骨が、どこ由来なのかわからない、っていうのが、これこそまさに、天孫降臨の考え方に似てるなぁとか。もしかしたら、本当に人間て、神様がそこに作ったからいきなり現れたのか…とか、白保君の由来がわからない、いきなり歴史上に突出してあらわれる進化的存在の白保君に、まさに白保君自体が、オーパーツじゃん…と、もう、歴史ロマンがとまりませんでした。ま、四万年前の事だから「こうです」って断言できる人なんて、そもそもいないものなんでしょうが。白保君が四万年前にいたという事実が、四万年前以前に、あの島は隆起していたという事なのか、あの島はどっかとつながってたりしてたのか。船で人間が移動してあの島にたどりついたのか、どうなのかわかりません。でも四万年前に船移動してたというのは考えられないから、泳いでわたった…?とか???謎は深まります。天孫降臨で、UFOで神様がそこに人間をキャトルみーてぃレーションしたり、そこに移植させたのだよ、とか言われたほうが納得しちゃう、長いこと考える時間が必要な事に耐えられない残念な私です。
オーパーツの白保君、まんがのネタになる。
白保君、漫画のネタにもされてるらしく(笑)興味がとまりません。白保君の骨が、生きて動いている漫画が読めます。石垣島で四万年前に死んだ白保君。まさか四万年後にこんなに人気者になるとは。想像したでしょうか。絶対してないですよ。四万年後に自分が骨まで愛される存在になるなて。人間どうなるかわかりませんね(笑)死んだ後に名前が売れる現象って芸術家にありがちですが、四万年後に売れるっていう事もあるんですね。もう何があるのか、人間百年とかそういう歴史で考える事がバカバカしいかもしれませね。長い歴史を振り返られる凄い科学者の人にとっては、人間の人生の中の小さな喜怒哀楽なんて、科学の目でみたら微々たるささやかな人類の栄光になんら影響のないものなのかもしれない。そう考えると、なんだか自分たちのあれが好き、これが嫌いとかそういうのって、無意味なんだろうか。最後に未来の人に「DNAで全部わかりました」みたいな事で判断されて、その当時あったであろう、石垣島内での白保君の家族が抱えていた悩みや、その地域の集団の上限関係、そんなものはまったくとるにたらないものになるのかもしれない。肉体の寿命とか、歯の本数とか。そういうものが大切で、それ以外の「趣味」とか、そんなものは、人間になんの意味もないのかもしれない。なんだか味気ないけれども、四万年という時間をへて、人間とは何を残し、何を子孫に伝え、生きた意味とはなんだったのか、何をなしえたのか。というのが、四万年前の白保君にしかできない方法で、私たちに教えてくれるのではないかと、じんわりと人生の不思議を味わう。