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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 544 夢遊病者の死

ニートひきこもりの長男が親に暴力をふるうという事件が間々問題になって、ニートっていう新しい人種はなんて恐ろしいんだ~と思っていたけど、それは大昔からあった話だったんだな、と思ったのが、江戸川乱歩の夢遊病者の死、だった。


ニートは昔からいた
 ひきこもった挙句、親へ暴力を奮うという話は、江戸川乱歩の時代から小説になるくらい、人々の理解しえる人種だったんだなと思いました。それにしても恐ろしいですね。親として、間違ってしまうと、自分の子供に撲殺されてしまう可能性があるというのが、子供を育てるという事なんですね。私も他人事じゃないです。この小説の夢遊病者のムスコの死というもの、それがタイトルであるのに、夢遊病者の死というちょっと変な死に方が、淡々と簡潔に語られていてあまり説明されていないところが物足りないという感じがしました。最後には悔やんだのかとか、もっと改心したみたいな描写があってもいいようなと思ったけど、なんだか事件の死者数だけ書いた新聞記事を読んだようなあっさりした死で、その死者への同情した描写の無さ、心情描写の薄さ人間性の希薄さが、乱歩が絶対に悪を許さないという意思で筆を運んだようだなと思えて、善悪をバッサリぶった斬った爽快な文章という言いかたもできるのかなと思えた。

世にもあさましい親と子のとっくみあい
 世にもあさましい親とのとっくみあい、という文章があった。この一行が一番私にひっかかった。乱歩は、父と息子がとっくみあいの喧嘩をする事が、世にもあさましいと書いた。なんだか私は、父と息子が取っ組み合いをするという事が、そこまで世にもあさましいと思えなかったんですよね。もちろん恥ずべきというか、愚かしいといえる行為だとは思います。滅多にしないでしょう。父と息子で取っ組み合いの喧嘩をせずに一生を終える人のほうが多いのでしょう。でも、父と息子の取っ組み合いって、そこまで愚かなのか。、そこまで、世にも浅ましいとまで豪語されるべきバカバカしさがあるのだろうか、と、私は不思議な感じを受けた。個人個人の親子関係というものが、物語に持つ印象をカラフルにしていると思います。親子喧嘩は浅ましいと言う乱歩の気高さ、育ちの良さ、親への敬愛、尊敬、両親のすばらしさなんかがうかがえます。そういう人が書いた小説だからこそ、「世にもあさましい親と子のとっくみあい」なのだなと思いました。普通一般かそれ以下の私のような下々の馬鹿には、なかなか親子喧嘩を「世にもあさましい」とそこまで一刀両断には書けないなぁとしみじみ小説家の高潔な魂にはほれぼれしてしまう。誇りとは何なのか、よくよく勉強になるものがありました。

世にもあさましい親と子のとっくみあい
 肉親憎悪という言葉もでてきますが、それをあの時代の人も「肉親憎悪って何?」とも思わず、この作品は人口に膾炙されていたのか、と思うと、ヒキニート問題って、別に昭和平成からできた問題じゃなくて、大昔からずっと問題になっていたんだな~と、すごく勉強になりました。「やれダメ、これダメ、御前はダメ」って言いよかれと思って小言を言い続けた親が、ダメニートに人生終了させられる。そのなんとも悲しい、全てが悲しい。どうしたらよかったのだろうか。親子本人たちも、その周囲も、いまだもってそのどうしたらよかったのかという未解決の謎は残されたままなのではないだろうか。




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