なぜ生きてるか。
- カテゴリ:日記
- 2025/06/15 10:03:57
氷川きよしさんがちょっと一時引退した時、一つの希望が無くなったような気分で辛かったけど、またまた返り咲いて、今やゲゲゲの鬼太郎の歌も務めていて、前より妖艶、美人になってカムバックしていた。氷川さんも年を重ねてパワーアップするタイプの人だったんですね。いつまでも勝ち組な人っていつまでも勝ち組なんですねぇ。若い時イケメンで、年をかさねて美人になるって…。一体どういう人種なんだよ。と人間の最先端を感じる。アウストラロピテクスの時代の人間の毛深い猿みたいな外見と比べると、氷川さんってやっぱり最先端の進化した人類っていう言葉がぴったりです。氷川さんみたいな進化した人類が将来増えて、私みたいな毛深い猿みたいな外見の人類は将来淘汰されるのでしょうか。原人がアウストラロピテクスを粛清したみたいに…。私みたいな色々弱者からすると、よのなかの力のある人は、弱い人間を淘汰抹殺しないでいてくれて、本当に人類というのは優しい人ばかりで成り立っていると思います。強い人、頭のいいひと、天才や実力者っていうのは、やろうと思えばバレずに弱者をどうこうするなんて簡単にできる…と、人類の進化の歴史なんかを見て、進化した人類が進化できなかった人類を絶滅させてきた歴史を鑑みて、恐怖に震えが止まりません。微妙に進化するよりは、退化して猿になると絶滅させられないという歴史が示している事実には、中途半端な普通の小賢しい生命より、より動物に近い猿のほうが絶滅しなかった事実というのを、私はいったいどう考えたらいいんだか。アウストラロピテクスと猿だと、サルのほうが生き残って絶滅してないとしたら、長い目でみたら、ちょっと二足歩行できた猿より、歩けない馬鹿のほうの猿のほうが、生命体としては強くて賢いという事ですよね。私は、「よかった~~~私って馬鹿なほうで!」と、自分が生き残るほうのかなりのバカだった事に喜ぶべきなのか…。時々、年収二千万より一千万の人のほうが仕事が大変。みたいな事を聞くけど、中途半端な上のほうに分別されない中間層というのが、一番の絶滅危惧種なのかもしれないという残酷すぎる現実が、一体何をどう考えればいいのかと現実がもたらす現実のデータに夢も希望もなくなりそうな瞬間、人はもう、歌でも聞いたり歌ったりしてもう考えてもどうなるかとりあえず忘れたくてもいいですし、そういう気持ちが多い人が多いから人類は音楽が好きなのかもしれませんし、