Nicotto Town



近況報告

2000皿販売イベ参加中! 気軽に食べに来てください。履歴を見てこちらからも食べに行きます

もらったステキコーデ♪:12

(癌の記述があるので 閲覧注意

 癌治療は 個人差が大きいので 他人事として軽く読み流せる人だけお読みください)

 私の投稿を見て 「こいつ肺がんと言いながら 何を遊び歩いてんねん!」と思われる方もいるかもしれません、

 なので ちょっと言い分けをば。

①腹痛で受診したら 大腸の摘出手術が必要と言われてそのまま入院になったその術前入院中に、医師による不適切な投薬が繰り返され、入院中に生じたアナフィラキシーショックすら治療されずに丸1日放置された結果として生じた肺機能障害としての喘息に悩まされて30年

その後 東京と大阪の居住地に合わせて それぞれ1人づつ合計2人の主治医により まあ それなりに暮らしております。

人生の多くをあきらめながら。

で、このたび あろうことか肺がんが発見され、
「疑い」から「確定」までに1か月

そして、肺機能の状態が悪すぎるからすぐに手術できないということで
1本10万円近い自己注射を行いながら 現在経過観察中。

経過観察1か月目の診断では、手術できなくはないが 万が一術後に肺炎でも起きれば その後の生活が酸素ボンベ担いで生活することになるから さらに1か月かけて肺機能の改善を目指すということになりました。

正直言って ショックです
 先の見えない待機状態ほどつらいものはない

それでも 呼吸器外科の主治医が、術後の生活の質まで考えて手術適応の有無を考えてくださっていることには感謝です。

・しかも 手術できなければ放射線治療
 実はこっちのほうが 体全体へのダメージが大きいのに
 死亡率は10%増すんですよね><

 だから手術が第一選択になっているわけですが
(ちなみに 肺がんを摘出手術できるのは ステージ1の初期症状の時だけだそうです)

②手術にしても 放射線治療にしても 本格的な治療が開始されれば 最低でも2か月は日常生活にかなり制限がかかり
その後も 食事・体力への負担はかかるということなので
手術前の元気なうちに 食い納めしておこうかなぁ・・
何しろ 私のストレス発散方法って 食べることだけだもん
 というわけ。

③おまけに、自宅近辺で大規模造成工事が行われ 工事時間も平日土日を問わず業者都合で終日振動と騒音がひどくて自宅で過ごせる状態ではないから 否応なく 排ガスを避けて散歩できるコースを考えざるを得ないのです><)

なので ブルーインパルスを見に行ったり、
大阪駅前を探訪したりしているわけです。

④それと 肺がん発見前は かなり全身の状態(正確に言えば
知らない間に肺機能が予想以上におちていて)自宅に引きこもっていたので、今 薬のおかげで 比較的楽に動けることになったうれしさと 春の陽気に誘われているというのもあります。

・私は 体力が落ちると 胸の痛みを覚えることが多かったのですが・・ なんとなんと それは
 肺機能が低下しているのに気づかず 日常の労作を行うことにより 胸筋が過度に働いて ひどい筋肉痛を起こしていたからのようなのです。

 まさか そんなことがあるとは思ってなかったので
 その可能性を医師に確認して 「アルアル」と言われて
 驚天動地でした!!

・そりゃね 喘息発症の経緯からしても
 体力のある限り 肺機能の体かを無視して
 家族介護と子育て+仕事を続けていたので
 苦痛を無視することに慣れきってしまってましたけど・・

 それは 子供時代から 本代・研修費のために食べ物を切り詰めていて ガリ細・伸長の伸びすら泊、 定職について己の収入で食事だけはきちんととれるようになってから半年で一気に2センチ その後の半年でさらに2センチ伸びたくらいですから、空腹に耐えることにも 身体的苦痛に耐えることにも 生き延びるためには必須技ではありましたけど。

 (そうでなければ 義務教育期間連日 教師と児童生徒から受けていた身体的暴力だって やり過ごすことはできませんでしたから、社会的迫害を避けるためには、身体的暴力を完全に避けるのでなく 無難なレベルで受け流す必要があったので。

 まあ 私が本気を出せば 自分と同じ体格の男子を3人くらい一度に叩き伏せる自信はありましたけど 面倒を避けるためにやらなかった、
 だって、暴力を振る教師や児童に「やめて」と口頭で言い返しただけでも校長から母が呼び出され
呼び出された母が錯乱して自宅で私相手に包丁を向ける家庭でしたから。

ちなみに 私が毅然としてモノを言うと 威圧感がありすぎて怖いんだと。
 だからいつも後ろから集団で殴るけるだから始末に悪いのよ。
まあ ぎりぎりで うまくかわすのは得意になりましたけどwさり気によけて パシリの連中と目をあわせるだけで そいつは2度と手を出さなくなるけど、
悪は別のパシリを見つけるし、
使えるパシリがいなくなると、養護学級の体だけがでかい小6男子とかを使って襲ってくるようになるから始末に悪い。

 当時の養護学級の児童生徒というのは 学校の悪に暴力的にいじめられてそいつらの命令で女の子やか弱いいじめられ男子を襲うことがありふれていたのよ。

おかげさまで 知的障害があり暴力傾向の強い男児~成人男子を 一瞬の間合いで落ち着かせる技も身に着け、その後の職業生活でも活用することができましたけど。

私にとって 義務教育なんて 糞・劣悪な環境に閉じ込められていた時間にすぎません、
 それくらい転校生いじめがひどい時代に
 己の趣味で転勤を繰り返した父なぞ サイテーな奴だったなと思います(笑)

教師の中にも 片手の指が余る程度には しっかりとした人もいましたが 私の経験上では そんなの全体の0.1%にもみたない輩の集合体ですわ(成人後の経験も含めて)
 
 まっとうな人間が長く熱心に続けられる環境ではないですね

(閑話休題)

・というわけで 最近は 近所の造成工事の騒音被害を避けるのもかねて 外出が増えてます


なので 今回の 黒がちゃ連動ニコ店2000皿販売イベは
一応商品は置いてますし、食べに来てくださった方の所へは
こちらからお礼に伺いますが、
いつものように こちらから積極的に食べに伺うことは
あまりないと思います。
 (ひとつには 材料の準備不足もありますが)


それにしても 大腸がんだった時に比べ あれから30年の間に 癌への手術適応の決め方が ずいぶん変わったなぁと思います、

 当時は 癌と確定する前から 手術一択で即入院でしたもの><

 今から思うと かなり ずさんな診断・診療の連続だった気もするが そういう時代だったと言えなくもないのかなぁ・・

・呼吸器内科の主治医も院内紹介を受けた呼吸器外科の主治医もきちんと順序だてて説明してくれる人なので
私もおとなしく 治療方針に従ってますが・・

 なんかこう このまま世界一周旅行にでかけて そのまま蒸発のほうが人生簡単なような気がしないでもない

 幸か不幸か 今は 「大阪が面白い! 日帰りで楽しめることがいっぱい!」の状態なので、
割と真面目に 肺機能の改善に努めながら日々を過ごせてます

 ていうか 生活を楽しめる程度には
 肺機能が改善したともいうのが実情なのですが・・

「苦痛なく呼吸ができる」というのは やっぱり大事です!!

 それと 忍耐強い性格は 貧乏くじを引きやすく
 人生において損をしやすいと思う

 サバイバルとしてそれが必要な時もあるけど
 忍耐強いだけだと 人生を搾取されるだけだとも思います!

「児童虐待」の真の罪深さは そこにあると思う

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2025/04/20 14:38
(本文の続き)




私は諸般の事情で 自分のために戦うことは
 生き延びるために8歳にして諦めましたが
10歳以後は いつも 自分とよく似た境遇の仲間たちを助けるために 自分の範囲でできる限りの闘いはしてきたし
戦い抜く根性と闘って勝利するための力を養いつつ
他者のために戦うことだけは 常に変わらず続けてきましたから!

ただなぁ 成人前後で 処遇が変わることに適応するために必要な援助を得ることができなかったことだけは 残念だなと思います。

 知的に理解していても 気持ちをすんなりと切り替えることは なかなかつらい部分がありましたから。

 けっきょく 私は 小学校入学以後、 大人からの手助けは一切なく 自力で学習を積み重ねて生き延びてきた状態に近いと思う。
(例外的な一期一会的出会いからの学びは2・3ありましたが)

 なので 今現在 主治医と看護師さん達からの精神的な援助が得られている状態をありがたく思います。

 たとえ限られた診療時間内での何気ないいたわりの態度であっても、それが身に沁み 心を和らげてくれます!



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