Nicotto Town


takoまたコケ魔したの日々


あんぱんに思う


前作よりは面白い朝ドラあんぱん。


崇少年と弟を置いて母松嶋菜々子は再婚してしまう。子役の演技が切ない。

あんぱんよりほんの数年前、明治生まれの祖母のことを思い出した。
祖母の父は、祖母が幼い時、祭りの相撲のケガがもとで亡くなった。
祖母の母は、祖母と祖母より幼い二人の弟をそれぞれ別々の親せきに預けて再婚。
そのまま、遠いアメリカに移民した。
駅での別れ、おばさんに手をひかれ、泣いて泣いて泣いて、それでも母は自分と弟達を置いて去っていった。
どれぼど切なかったろう。

祖母が預けられたのは祖母の母の兄夫婦の家、おじ夫婦に子どもはなかったが
自分の親せきを養子にしたかった母の兄の妻は、祖母を養女にすることはなかった。
朝早く起きて障子の桟にはたきをかけ、廊下に雑巾がけ、ご飯の支度をしてから学校へ
「育てて貰ろうた恩がある、働かんと」祖母はよく言っていた。
少し大きくなると、着物の仕立て、住み込みで年寄の身の回りの世話、なんでも働いた。
家の前の川へ入って死んでしまおうと思ったこともある。
いつかアメリカへ行ってやろうと思っていた。

世話してもらった縁談も断れなかった。
裏の柿木で首を括ろうか、遠くへ逃げようかと思った。
そのまま今の家に嫁いで次男の嫁で苦労を重ねた。

祖母の母が初めて日本に帰ってきたのは
遥か戦争が終わって、祖母の長女が母の兄夫婦の養女になり、孫が生まれてから。
アメリカにいる再婚相手との子どもは8人、祖母の母が初めて日本に帰るその時
だれも日本に残してきた子供がいることを知らず、一人で帰り、どうも長逗留だとのやりとりでやっと日本に兄弟がいることを知って驚いたらしい。


当時、夫が亡くなった女性が子供を置いて再婚することは珍しいことではなかったのだと思う。残っても、戻っても、やっかいもの肩身の狭い思いをして生きていくことになる。世間の風は厳しく生きるための選択肢は現代よりずっと少なかった。なかには松嶋菜々子のように面の皮が厚いと言われてしまう女性もいたかもしれない。

移民1世だった祖母の母は、小柄で前掛けをしたワンピースからのぞいた足首が細く、眼光が鋭い人だった。アメリカで99歳の生涯を終えた。
日本に残った祖母は12年前100歳で亡くなった。
祖母から祖母の母の恨み言は聞いたことがない。
あんぱんまんの作者やなせたかしさんは94歳まで生きた。
朝ドラ主人公たちの活躍を期待する。

まずは応援がてら里山のパン屋であんぱんを2つ買った。




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