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シルクロードの日

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おみくじ

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太平洋側は午前中は雨で、午後は曇り。
沖縄は雨のち曇り。
最高気温は平年並みか高め。

【シルクロードの日】 Silk Rord Day

☆シルクロードの日は1900年にスウェーデンの探検家が、
 シルクロードの古代オアシス都市を発見したことを記念して制定された日です。

<概要>

〇シルクロードの日

@シルクロードの発見

 ★スヴェン・へディンさんの功績
 
   1900年、スウェーデンの地理学者のスヴェン・ヘディンさんが、
   中央アジアを探検中に、桜蘭(おうらん)の廃墟を発見しました。

   この発見が、
   シルクロードの日を記念するきっかけになりました。

   《スヴェン・アンダシュ(アンデシュ)・ヘディン》
    Sven Anders Hedin

   1865年2月19日ー1952年11月26日

   スウェーデンの地理学者で、中央アジア探検家です。

   古代のオアシス都市国家である桜蘭の遺跡を発見し、
   その付近にかつてあった塩湖ロプノールの、
   「さまよえる湖」と呼んだことで有名です。

   桜蘭については、
   井上靖(いのうえやすし)さんの同名の歴史小説もよく知られています。

   〔桜蘭遺跡の発見とロプ・ノールの謎の解決〕
   
    1900年、ヘディンさんはロブ砂漠の北から南へ縦断し、
    その縦断面図(高低図)を作成する計画を立てました。

    この断面図から湖らしい地形を探せば、
    ロプ・ノールの旧湖床が判明するのではないかと考えました。

    実際に縦断してみると、
    そこにかつて湖があったことはすぐに明らかになりました。

    そこには夥(おびただ)しい数の螺貝(らがい)の殻や、
    厚い塩の層(塩皮殻)、枯れた白楊(はくよう)の林がありました。

    ヘディン隊は、古代の湖床の上を進んで行きました。

    さらに進んでいくうちに、
    ヘディンさんは幾つかの廃址(はいし)に遭遇し、
    底に人々が生活していた痕跡を見だしました。

    そして、幸運は重なりました。

    それはヘディンさんの従者の一人、ウイグル人のエルデクさんが、
    この廃址にシャベルをこの1本しか所持しておらず、
    それはテントの設置に欠かせない非常に貴重なものでありましたから、
    彼は隊から離れて一人でシャベルを取りに引き返すことにしました。

    その途中にエルデクさんは、
    仏塔を含む多数の住居址を発見したのです。

    *住居址・・・仏塔周辺及びスタインさんによる平面図

    結果的に・・・

    これが桜蘭でした。
    
    ≪(「探検家としてのわが生涯」より)≫

     「思えば彼(エルデクさん)が円匙(えんし)を忘れたのは、
      ただ幸運というよりほかなかった。
      もしこのことがなかったら、
      私がこの古代都市をもう一度訪れることも、
      又、内陸アジアの古代史に、
      新しい、予想だにしなかった光を投ずることになった、
      あの偉大な発見を成すことも出来なかったろう。」

    ヘディンさんは1901年、
    同じ遺跡で木簡や紙文書を多数発見して持ち帰りました。

    ヘディンさんの帰国後、
    漢文やカロシュティー文学で書かれていた文書は、
    専門家によって次々に解読されていきました。

    そして、これらの文書が中国「西晋(せいしん)」の、
    駐屯軍が取り扱った私的・公的な記録や往復書簡でありまして、
    265~330年頃までの日付をもつこと、
    この文書が出土した場所は現地では「クロライナ」と呼ばれていまして、
    「桜蘭」はその音訳であったこと等が判明しました。

    つまりこの遺跡は、
    紛(まぎ)れもなく古代都市「桜蘭」だったとなりますと、
    ヘディンさんが見た古代の湖床は、
    桜蘭に臨む湖、即ちロプ・ノールということになります。

   〔「さまよえる湖」説の提唱と鮮やかな実証〕

    しかし、ここで新たな謎も浮かんできました。

    確かに古代にそこに湖があったことは分かりました。

    しかしなぜ、今となっては湖に一滴の水が残っていないのだろうか。

    この謎を説明する為に、ヘディンさんは大胆な仮説を提唱しました。

    ロブ砂漠を測量したヘディンさんは、
    北部の桜蘭遺跡と南部のカラ・コシュンとの間の高低差が、
    僅か2mしかないことに注目しました。

    このような平坦な砂漠を流れる河川は、
    僅かな地表の変化にも反応して流路を変えるのではないだろうか。

    そしてこのメカニズムによりまして、
    桜蘭が滅びた理由も説明出来ると考えました。

    桜蘭遺跡から出土した漢文文書の下限は330年頃であるから、
    桜蘭はそれから間もなく放棄されたと考えられる。
 
    その理由はかつて桜蘭地方に流れ込んでいたタリム河の下流が、
    堆積作用の進行に伴って四世紀頃に流路を南に変え、
    タリム盆地の南東部にある、
    カラ・ブランとカラ・コシュンという2つの湖に、
    流れ込むようになったからではないだろうか。

    桜蘭に水が流れてこなくなって湖が干上がれば、
    都市機能を維持していくことは困難である。
    こうして桜蘭は滅びたのだろう。

 ☆桜蘭の歴史

  桜蘭は、中央アジアのタクラマカン砂漠にかつて存在した都市国家です。

  この地は、シルクロードの要衝として栄えました。

  しかし、4世紀頃からロプ・ノールは干上がりまして、
  桜蘭は徐々に衰退していきました。
 
  やがて、その姿を砂漠に吞み込まれ、
  忘れ去られた歴史の一部となります。

 ★シルクロードの意義

  シルクロードは、古代中国と西洋を結ぶ重要な交易路でした。
  
  この道を通じて、絹をはじめとする多くの貴重な商品が運ばれました。

  この交易路は異文化間の交流を促しまして、
  経済的・文化的な発展に大きく貢献しました。

  □ユネスコの世界遺産に登録される

  2014年にはシルクロードの一部がユネスコの世界遺産に登録されまして、
  その歴史的価値が改めて認められました。

  シルクロードは今も尚、世界各地の人々に影響を与え続けています。

問題 次の文章の中の〇〇に入る言葉を教えてください。

   桜蘭が滅んだ理由のなかで、
   ヘディンさんはカラ・ブランとカラ・コシュンの2つの湖に、
   堆積物が沈殿しつつある一方で、
   桜蘭遺跡は烈風による〇〇が進んでいることにも気付きました。

   つまり、逆をいいますと、その反対のことが起こり、
   タリム河の下流はかつての流れに再び戻りますと、
   かつてのロプ・ノールの一に出現する可能性があるとヘディンさん。

1、浸食

2、崩壊

3、沈下

ヒント・・・〇〇〇 (例)人間が関わらず地表面を削り取る場合

      「土地に働きかけて地形を変化させる作用のうち、
      風や雨、波等の外部から働く作用」という意味の言葉です。

お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。




    

  




   


アバター
2025/03/29 12:43
こんにちは!度々のコメントをありがとうございます。
夜遅くに、恐れ入ります。
 なるほど~、蚕を杖に忍ばせてですか。
長い歴史のある重要な道ですので、様々なことがあるのでしょうね。
 あらま、強盗ですか?
逃走中というのは怖いですね。
花粉での呼びかけも恐怖ですが、強盗は別の話しになりますよね?
そうですか、犯人はどうなりましたか!?
逮捕されていることを願っています。
アバター
2025/03/29 01:39
シルクロードといえば、
蚕を杖に忍ばせてというのを、
思い出します。

先日の近所の放送の外出を控えては、
どうやら強盗が逃走中の為だったみたいです。
花粉かと、大袈裟だなあと勘違いでした(笑)
アバター
2025/03/28 23:11
こんばんは!お忙しい夕食時のお時間に、コメントとお答えをありがとうございます。
かげねこちゃん、どうもお疲れ様です。
 はい、当てずっぽうですね。
どうもありがとうございます。
おおお~、1番の浸食をですか。
問題の答えはその1番の浸食です。
いえいえ、とんでもありません!
だめどころではありません!
完璧なお答えですよ!大正解です!!
凄いですね!!どうもおめでとうございました(祝)
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2025/03/28 18:33
げんさん こんにちは。
今回は分かりませんでしたので、当てずっぽうで答えます。

   1、浸食

       だめかも・・・???





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