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カメラ発明の日

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おみくじ

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【カメラ発明の日】 The Day of Invention

          Camera Invention Day

☆3月19日は、カメラの発明を記念する日です。

<概要>

〇カメラ発明の日

1839年3月19日、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールさんが、
画期的な発明を行いまして、その後の世界を変えることになりました。

《ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール》さん
 Louis Jacques Mande Daguerre

1787年11月18日ー1851年7月10日

フランスの画家で写真家です。

史上初めて実用的な写真技術を完成した人物として知られています。

@ダゲレオタイプ(Daguerreotype)が発表される

 1939年8月19日、
 パリで開催されたフランスの科学アカデミーと、
 芸術アカデミーの合同会議において、
 世界初の実用的な写真術である「ダゲレオタイプ」が発表されました。

 ★ダゲレオタイプ
 
  当時パリの天文台長で下院議員でもあった、
  ドミニク・フランソワ・ジャン・アラゴさんの働きかけで、
  ダゲールさんの発明をフランス政府が買い上げ、一般に公表されました。

  《ドミニク・フランソワ・ジャン・アラゴ》さん
   Dominique Francois Jean Arago

  1786年ー1853年

  銀板もしくは厚く銀メッキを施した銅板の書面を磨き、
  これにヨウ素の蒸気をあてて感光性を与え、カメラに入れて撮影します。

  水銀の蒸気をあてて現像しますと、
  銀板の表面に白灰色のアマルガムの画像が形成されます。
 
  これを飽和食塩溶液(現:ハイポ)で画像を定着します。

  発明者のルイ=ジャック=マンデ・ダゲールさんの名前から、
  名付けられたダゲレオタイプは銀板に画像を定着させる写真法です。

  その先鋭な画像は、
  まさに「記憶を持った鏡」とでもいうべき精緻な描写でした。

  発表当日は多くの聴衆が会場に詰めかけ、
  驚きを持ってこの発明を受け入れました。

  この世界で最初に普及した写真術が、
  科学アカデミーと芸術アカデミーとの合同会議で公表されたことは、
  その後の写真の発展を考える上で大変意義深いです。

  フランス政府がダゲールさんからこの発明を買い取って、
  一般に公開したことで、ダゲレオタイプは世界に広まっていきました。

  1839年の終わり頃には、
  ダゲレオタイプの撮影方法等を記した解説書は、
  40もの言語に翻訳されていました。

  暗い部屋に小さな穴を通して射し込んだ光が、
  部屋の反対側の壁に外の像を映し出す原理は、
  紀元前から知られていました。
  
  遠近法が発達するルネサンス期以降は、
  この原理を応用した絵を描く為の道具として、
  現在のカメラの原形となる装置(カメラオブスクラ)が存在していました。

  *カメラオブスクラ・・・Camera Obscura

  19世紀にはこの装置で映し出された画像を定着させようと、
  多くの研究者が研究を重ねまして、
  ようやく実用化に至った写真術の一つがダゲレオタイプです。

  ダゲレオタイプは銀板そのものに画像を定着させる為、
  一回に撮影出来るのは一点だけで、焼き増し等の複製は出来ませんでした。

  これに対して・・・

  1841年にイギリス人の科学者、
  ウイリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットさんが特許を取得した、
  「カロタイプ」(Calotype)は、
  一回の撮影で得たネガ画像を印画紙に重ね合わせて感光する、
  世界初のネガ・ポジ法です。
  
  《ウイリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット》さん
   William Henry Fox Talbot

  1800年ー1877年

  ☆カロタイプ
  
   後に一般的になる写真システムの基本となる、
   ネガ・ポジ方式による世界初の写真技法です。

   銀の化合物を染み込ませて感光性を与えた紙を、
   カメラに装着して撮影をした後、現像と定着をしてネガを作ります。

   この紙のネガには、
   乾燥後に透過性を高める為、蝋(ろう)を染み込ませる処理を施します。

   このネガと感光性を与えた紙を密着させて、
   太陽光で焼きつけるとポジ画像のプリントが得られます。

   タルボットさんは美しいことを表す、
   ギリシア語「カロス」に因みまして、カロタイプと命名しました。

   カロタイプは幕末の日本でも研究されまして、  
   撮影に成功した例は確認されていますが、実用化には至りませんでした。

  一枚のネガ画像から複数のポジ画像(プリント)が得られるカロタイプは、
  画像情報を伝達するという写真のメディアとしての可能性を、
  飛躍的に高めた発明です。

  又、金属板であるダゲレオタイプに対して、
  紙にプリントするカロタイプはその形態においても、
  写真の利便性を大きく広げるものでした。

  タルボットさんは1844年から1846年にかけて、
  カロタイプのプリントを貼り込んだ世界で初めての写真集、
  「自然の鉛筆」(The Pencil of Nature)を出版しまして、
  写真の科学的な実用性と芸術的な可能性を示しました。

@カメラ技術の進化

 ダゲレオタイプの発明以降、カメラ技術は目覚ましい進化を遂げてきました。

 露光時間の短縮や画質の向上、そして携帯性の向上等、
 多くの改良がくわえられてきました。

 ★11月30日は「オートフォーカスカメラの日」

  1977年に発売された、 
  世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF」は、
  写真撮影の手軽さをさらに高めることに成功しました。

  これにより、
  11月30日は「オートフォーカスカメラの日」として記念されています。

問題 写真術が日本へ渡来したのは江戸時代の末期です。

   当時、鎖国政策をとっていた徳川幕府は、  
   長崎・出島を唯一の窓口としてオランダや中国と交易を続けまして、
   写真術のような海外の新しい情報は長崎から入ってきました。

   次の文章の中の〇〇に入る県名を教えてください

   1848年(嘉永元年)に〇〇の御用商人である、
   上野俊之丞(うえのとしのじょう,1790年ー1851年)さんが、
   初めてダゲレオタイプの撮影道具一式を輸入しました。

1、長崎

2、福岡

3、佐賀

ヒント・・・〇上野俊之丞 さん

      〇〇の蘭学者で、幕末・明治期の写真家上野彦馬さんの父です。

      江戸時代後期、武雄(佐賀県武雄市)の、
      科学技術導入に多大の貢献を果たした人物です。

      又、1822年(文政5年)、
      〇〇の御用時計師の家柄でもある幸野家を継ぎましたが、
      1839年(天保10年)に上野性に戻りました。

      上野俊之丞さんは技術者としても時計の他、種々の細工物を制作、
      武雄領主鍋島茂義公の貿易港〇〇での買い物帳「〇〇方控」にも、
      しばしばその名が登場します。

お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る県名をよろしくお願いします。



  

  
  
  






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