紅梅
- カテゴリ:小説/詩
- 2025/03/19 00:35:39
こんばんは!19日(水)は西日本から東日本では午前中を中心に、
所々で雪が雨が降り、雷を伴う所もあるでしょう。
北日本も雲が広がりやすく、所により雪や雨が降る見込みです。
西日本から北日本では暴風や暴風雪に警戒してください。
南西諸島は晴れや曇りとなるでしょう。
【春を感じる瞬間】
A、近所の紅梅が咲き始める頃です。
〇紅梅
梅には「紅梅」の他に「白梅」があります。
奈良時代に伝来したのは「白梅」一種でした。
ですので、わざわざ「白梅」とはいわずに「梅」といっていました。
その後・・・
「紅梅」が入ってきたことで、
両者を区別する必要が生じまして、初めて「紅梅」と「白梅」と称されます。
@文献上の初出
「続日本高紀」承和15年(848年)正月21日条で・・・
上御仁寿殿。内宴如常。殿前紅梅。便入詩題。
このようにあります。
又「経国集」の紀長江の詩題にも・・・
「賜看紅梅深得争字応令一首」
このようにあります。
さらに・・・
「三代実録」貞観16年(871年)8月24日条に・・・
大風雨。折樹發屋。紫宸殿前桜。東宮紅梅。侍従局大梨等樹木有名皆吹倒。
このようにあります。
仁明天皇の頃には、
仁寿殿だけではなく、東宮御所にも紅梅が植えられていました。
尚、紀長江の詩には「二月寒徐春欲暖」ともありまして、
「紅梅」は遅咲きで、春を告げる「白梅」が開花した後、
遅れて咲いています。
その伝統が俳句の季語にも反映していまして、
今もやや遅れて咲く梅というイメージが付与されています。
☆漢詩
「経国集」に平城天皇在東宮の詩に「桃乱」とあることから、
それが「紅梅」のことを指すとされています。
■「経国集」の小野岑守さんの詩
「窓前将斂素。簾下末鎖紅」とありまして、
ここでは「素(白梅)」と「紅(紅梅)」が対句になっています。
□「経国集」の和気広世さんの詩
「凌寒朱早発」。競暖素初飛」と朱と素が対句になっていますので、
桓武天皇の時代には既に紅白の「梅」が、
邸の庭に植えられていたとされています。
漢詩の方が和歌より先行していました。
問題 和歌についてです。
次の文章の中の〇〇に入る俳句集の名前を教えてください。
和歌においては・・・
・白梅
・紅梅
このように詠まれていません。
音読みは漢文的で、和歌には似合わないと作者が考えた可能性があります。
その為・・・
「紅梅」が日本に入ってきても、歌ではただ「梅」としか詠まれず、
どれが「紅梅」を詠んだ歌なのか、分かりにくかったのです。
早い話・・・
「〇〇集」に「紅梅」という語は使用されていませんので、
「〇〇集」ではまだ「紅梅」は無かったとみる説があります。
1、万葉(まんよう)
2、古今(こきん)
3、勅撰(ちょくせん)
ヒント・・・〇〇〇和歌集
醍醐天皇の御時の勅撰和歌集でありまして、
和暦では延喜(えんぎ)5年、
西暦では905年に成立したといわれています。
編纂(へんさん)には8年かかりまして、
913年に完成しました。
@素因法師 さん 春上 三七 恋歌
よそにのみ あれはとぞ見し 梅の花
あかぬ色香は 折れてなりけり
★歌意
離れた所からでしか魅せられたように見ていたのだ、梅の花。
いくら賛美してもしきれない色と香は、
その枝を折って、初めて分かるものだった。
梅の花を愛でるというよりは、
梅の香を詠む和歌が主流となっていきました。
平安時代に入りますと、
香を焚いて、その香煙を衣等に染み込ませる、
薫物の習慣が貴族の間で流行したことも背景にあるとされています。
そうして・・・
梅の香を詠む歌は、
移り香というモチーフを通して、恋歌としても詠まれました。
このような人事(特に恋)を絡めて読んでいる歌であるというのは、
〇〇和歌集の多くの和歌に当てはまっています。
そして・・・
源氏物語に詠まれている和歌の多くが、
〇〇集以来のこの歌の、この伝統に則(のっと)っています。
お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る和歌集の名前をよろしくお願いします。