Nicotto Town



信長から短刀を送られたから


信長から短刀を送られたから侍と言う事ではありません。

あのですね、当時は短刀を持つ事は女でも許されてましたよ。

更に言うと農民でも刀は持っていましたし足軽でも刀もやりも持っていました。

秀吉と比べてみれば一目瞭然ですよ。
秀吉は長い事足軽として仕えて7年かけて侍になったのです。

その間秀吉は足軽時代は刀も無しに闘ったと言うのですか?
そんな事はない位は解るでしょう。

だから秀吉の時代になって「刀狩り」をしたのですよ。

もういい加減にして欲しいと思います。

信長はひいきしている従者には色々贈っています。

森蘭丸は武士の家の生まれで武士の身分でしたけど都度都度に色々貰っていますよ。
更に森蘭丸は太刀を貰っています。
勿論領地も貰っています。

何と言うかアニメの「クレヨンしんちゃん」でも侍が出て来る戦国時代を扱ったアニメがあったと思いますがしんちゃんの家族が車ごとワープするのですが其れでもまだ足軽や飯炊きや雑用係などがちゃんと出てきてまだ時代考証をそれなりにしていると言うと言う感じがしたと言うか
子供時代に「太閤記」を読んだ記憶では侍になるまで秀吉も大変な苦労をして努力をしています。雑用係も足軽もしていますし、色々な仕事があって学があると記録係や事務方が居ましたし会計係も会計記録係も頂き物や誰が誰に何を送ったのかを記録する係も公書として残っているので侍に取り立てられたのなら記録が残っていると思います。

信長の気まぐれで傍に置かれただけなので周りもまたかと言う感じで其れ程重要視してなかったので記録が無いのでしょう。

森蘭丸に関しては色々な形で記録に残っています。


しかしロックリーがわずか数行の弥助の資料を改ざんし嘘を世界に広めたのは何と10年以上前からで海外では既にロックリーの主張が信じられていたのです。

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ロックリー氏が過去10年にわたり、様々な人物を騙ってウィキペディアに偽の記事を捏造、記載し、すでに発表されている記事を改ざんしてきた事実を示す複数の証拠が見つかっている他、ロックリー氏が「弥助」は日本の初期の黒人奴隷の使用例と主張したことも、根拠に欠けると批判を集めていた。
https://sputniknews.jp/20240721/18851626.html


2015年
アカデミックな論文を参考文献としていた”Yasuke”の記事が
突如トーマスロックリーのアカウント名と同じtottoritomというアカウントで弥助の項目を編集される
2016年に発表されるトーマスロックリーの著書を先持って参考文献に変更
2016年
トーマスロックリーが織田信長に仕えた弥助に関する論文「The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer」を『桜文論叢』に発表
2017年
tottoritomによりアカデミックな論文を参照していた出典情報が全てロックリーの「信長と弥助:本能寺を生き延びた黒人侍」などの一般書物に変更され、参考文献から上記論文が削除

2018年10月
tottoritomによりWikipedia内のこの分野で世界で唯一の本(”the only book on the subject in the world.”)の著者である専門家氏のページへのリンクが追加
2019年1月
tottoritomにより今に至る弥助伝説を語る上で欠かせない書籍の販売が紹介される
"African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan,"

こうして地道な2015年からの彼の活動は身を結び
トーマスロックリーは弥助伝説の専門家としてメディアに引っ張りダコに

弥助伝説は1人のイギリス人男によるwiki書き換えという自作自演によってうまれたものだった模様
http://www.anige-sokuhouvip.com/blog-entry-70235.html
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↑問題は此れだけ時間をかけて海外では信じられていて今其れを批判する日本人の方が「嘘を言っている」「日本は黒人奴隷がいた歴史を隠蔽している」と取られているのです。

此れでは既にロックリーの嘘が海外では事実となってしまっています。

まず国際社会にロックリーの主張が嘘だと認めて貰う作業が必要です。

其れにはロックリーを国会で証人喚問が必要です。
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其れを要求するサイトがありますので一人でも多くの人の著名をもとめます。
https://www.change.org/p/%E5%BC%A5%E5%8A%A9%E5%95%8F%E9%A1%8C-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%B3%95%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%87%86%E6%95%99%E6%8E%88%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9-%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%B0%8F%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA%E5%96%9A%E5%95%8F%E8%A6%81%E6%B1%82

(弥助問題)日本大学法学部准教授トーマス・ロックリー氏の証人喚問要求

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↑見つからない人は「日本大学法学部准教授トーマス・ロックリー氏の証人喚問要求」でググって下さい。

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2025/03/09 18:17
ぐれいす様
まず平山氏の「弥助は侍ととらえても良いのではないか」とか言う説ですが
同じ時代に秀吉が居ます。秀吉が農民から7年以上もかけてやっと侍と認められたのに弥助が大した功績も無く気に入られて短刀を貰った程度で侍とするには無理があります。

更に当時は侍以外も刀を持っていました。秀吉が「刀狩り」をして侍以外は刀を持っては行けない様にしたのです。




黒沢あきら監督の「七人の侍」でも三船敏郎がやった役の「菊千代」は農民が侍にあこがれている青年でどこぞで手に入れた「家系図」を持って侍だと言っています。

つまりどこかの誰に雇われていた何々ですとあの映画の中では其々名乗っています。
其れか元々は侍の家の生まれで生まれた時から侍と言う「菊千代」と言うあの家系図では7歳の少年でしょうか?詳しくは覚えてないのですが生まれつき侍と言う侍もあります。

侍を募集して6人の侍と「菊千代」と言う自称侍が集まるのが7人の侍です。



ましてやロックリーは10年もかけてウィキペディアを自分で書き換えて嘘を信じ込ませていました。
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織田信長に仕え、戦国時代に実在したと言われている黒人の人物【弥助】に関して
『日本での第一人者』が
【日本大学 准教授のトーマス・ロックリー】氏です。
他に【弥助】の専門家はいません。
国内外で【弥助】に関する著書を何冊も出しています。
そんな人物が好き放題、好き勝手に海外のWikiの日本の項目を書き換え、創作で作り上げていたのが、この事件の根幹です。

『ノンフィクション』として発行された著書の内容も事実とは異なることばかり書いてあり、こちらも創作といって相違ありません。

・『弥助』は実在した【偉大な侍】であり【英雄的な存在】
・日本では黒人侍が家族と普通に生活していた
・日本の戦国大名の間で黒人奴隷が流行っていた
・日本で黒人奴隷ブームが起きたから仕方なく欧米が奴隷輸出した
などなど

ちなみに日本で発行された著書、海外で発行された著書では彼が書いたものの内容が異なっていました。



https://note.com/fresh_skink3326/n/ne50bfaa408dd

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↑やっている事が悪質なのと其れをすっかり信じている人達が大勢いると言う事です。



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2025/03/09 12:04
天正の少年使節団の少年たちが訪欧時に黒人を日本で見たことがあると言っていたらしいです。彼らは九州のキリシタン大名の家臣の子弟なので、弥助以外にも日本に黒人がいた証拠にはなります。有名な絵屏風にも南蛮商人やバテレン(パードレ=神父)たちに仕える黒人従者が描かれています。しかし大名たちに黒人奴隷が流行ったということにはなりません。日本人が奴隷として東南アジアのヨーロッパ植民地に売られていたことがあり、それに豊臣秀吉が激怒してキリスト教禁教につながったそうです。
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2025/03/09 11:46
武士ではあるが侍ではない、という感じですかね。野武士という言葉もありますし。ロックリー氏が黒人奴隷が流行ったと言ったわけではなくロックリー氏の記述をそう解釈した人がいたようです。まあちゃんと訂正してないなら同罪ですが。弥助を持ち上げるなら黒人奴隷が流行ったというのは、ちょっと矛盾というか齟齬があると思います。かつては坂田上田村麿黒人説まであったようで、強く有名な侍にしたいなら黒人の血を入れるべし、というニュアンスの諺が日本にはあると信じられていたようです。尚更、黒人奴隷が流行った説は、おかしいです。弥助のことより此方のほうが問題だと思います。



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