天皇誕生日
- カテゴリ:占い
- 2025/02/23 14:22:41
ニコットおみくじ(2025-02-23の運勢)
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こんにちは!日本海側は雪で、北陸や東北は大雪に警戒が必要。
太平洋側は晴れる所が多いが、九州や近畿、四国の一部では雪が降る。
沖縄は曇りで、夕方から雨が降り、夜は曇り。
【天皇誕生日】 The Emperor’s Biethday
天皇陛下、お誕生日をおめでとうございます(礼)
☆天皇誕生日は日本の国民の祝日の一つで、
現在の天皇陛下の誕生日である2月23日に制定されています。
この日は国民が天皇陛下のご生誕を祝いまして、
長寿と国の平和を祈る日として位置づけられています。
天皇誕生日には宮中での祝賀行事や一般参賀が行われます。
宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀が行われまして、
一般参賀では天皇陛下が国民の前にお出ましになりまして、
お言葉を述べられます。
2025年は2月23日が日曜日の為、
翌日の2月24日(月)が振替休日となります。
<概要>
〇天皇誕生日
天皇誕生日の歴史は、奈良時代にまで遡ります。
日本独自の祝日と思われがちですが、実は中国の影響も受けています。
@中国の影響
起源は中国の唐代748年(天宝7年)、
玄宗(げんそう)皇帝が老子(ろうし)さんの、
「天地長久(てんちちょうきゅう)の語に基づいて創始しました。
☆玄宗皇帝
道教や仏教の上位であるという詔(みことのり)を下し、
老子さんや孔子(こうし)さんが、
釈迦牟尼(しゃかむに)さんより上位であると規定しまして、
仏教の発展を制限しました。
又、さらに老子さんに尊号も送りました。
玄宗皇帝自身も「道徳経」を注釈し、氏族や庶民に習わせました。
又、全国の州都に玄宗皇帝廟を建てて老子像を描きまして、
老子さんを祀ることを命じました。
さらに荘子(そうし)さんを南華真人、文子(ぶんし)さんを通玄真人、
列子(れっし)さんを沖虚真人、庚桑子(こうそうし)を洞霊真人に封じ、
四子の書を全て真経と呼ぶように改めました。
同時に崇虚(すうきょ)館も設けて「四子真経」を研究する課程を開き、
貢挙人「州都から中央政府に選抜された人」には、
老子さんについても試験して「道挙」制度を打ち立てました。
玄宗皇帝自身も道士から法臈(ほうろう)を受けまして、
司馬承禎さん、王希夷さん、張果さん、李含光さん、
呉筠(ごいん)さん等の著名な道士を呼び寄せて面会して、
道教を奨励する様々な法令を発布しました。
又、道教経典も系統立てて編集させまして、
仏教に倣(なら)って「一切道蔵」と呼ばれました。
これは「道蔵」の始まりとなりました。
唐の玄宗皇帝は道教の文学芸術の発展にも努力しまして、
玄宗皇帝自身も道教音楽を作りました。
そして、煉丹(れんたん)や斎醮(さいしょう)等の活動を提唱して、
道教を大いに発展させました。
唐代の公主が出家して女冠になりまして、
朝廷内の賀知章(がちしょう)等の大臣が道士になったことは、
道士や女冠の社会的な地位がかなり高かったことを物語っています。
唐代の道教は老子さんを祭祀することが中心で、
老子さんによる多くの奇跡的な神話が社会に伝わりました。
これは唐の人々に修道求仙(しゅうどうぐせん)の意識を植え付けまして、
李白(りはく)さん、杜甫(とほ)さん、
白居易(はくきょい)さん等の詩人の詩にもそのことが反映しています。
道教はこうして、唐代に全盛期を迎えました。
対になる御に「地久説(ちきゅうせつ)があります。
*地久説・・・皇后の誕生日
天地とともに天子の寿命の限りないことを希(ねが)うと意味です。
勿論、現代の中国に天長節(てんちょうせつ)はありません。
近代では明治元年(1868年)に古代の例に倣って復活再興されまして、
明治6年(1873年)に国の祝日とされました。
当日は皇室の祭祀として天長節の当日、
「天長節祭」を賢所(かしこどころ)、皇霊殿(こうれいでん)、
神殿で行いました。
(皇室祭祀令[明治41年(1908年)]
二十三条「歳旦祭祈年祭及天長節祭は賢所皇霊殿神殿に於て之を行ふ)
特例的に大正天皇の天長節は8月31日が酷暑であった為、
別の10月31日を祝日と定めた「天長節祝日」というものもありました。
(大正元年勅令第十九号改正の件[大正2年 1813年])
第二次大戦後の昭和23年(1948年)に、
国民の祝日が制定されまして、天皇誕生日と改称されました。
昭和天皇の誕生日である4月29日が、
5月の長期連休である、ゴールデンウィークになっていた為、
昭和天皇崩御後も「みどりの日」を改正しまして、
「昭和の日」として国民の祝日として残っています。
日本では奈良時代に光仁(こうにん)天皇が、
自身の誕生日を「天長節」として祝ったことが最初とされています。
@「天長節」は「天皇誕生日」に改称
戦後の1948年「国民の祝日に関する法律」が制定されまして、
「天長節」は「天皇誕生日」に改称されました。
この変更は戦前の「天皇の神格化」という考えから脱却しまして、
国民により親しまれる存在としての天皇を強調する為のものでした。
又、戦後の民主化の流れの中で、
天皇制を「象徴天皇制」として再定義する動きもありました。
これによりまして・・・
天皇誕生日は、
「国民と天皇の関係を象徴する日」としての意義を持つようになりました。
@歴代の天皇誕生日
天皇誕生日は、歴代天皇ごとに異なる日が祝日として設定されてきました。
・明治時代:明治天皇 11月 3日
・大正時代:大正天皇 8月31日
・昭和時代:昭和天皇 4月29日
・平成時代:明仁上皇 12月23日
・令和時代:徳仁天皇 2月23日
このように天皇誕生日は天皇が代わるたびに日付が変わります。
尚、昭和天皇の誕生日(4月29日)は、
現在「昭和の日」として残されています。
問題 天皇誕生日の2月23日、
皇居で天皇陛下の65歳の誕生日を祝う一般参賀が行われました。
23日の東京は厳しい寒さとなっていますが、
午前9時半に皇居の正門が開きますと、
お待ちになわれた7000人余りの皆様が、
二重橋をお渡りになられ、宮殿の前に向かいました。
天皇陛下は午前中に3回、皇后さまと長女の愛子さま、
秋篠宮ご夫妻とご夫妻の次女の佳子さまとともに、
皇居・宮殿のベランダにお立ちになられまして、
集まりました人達に手を振ってお応えになられました。
次の天皇陛下がお言葉になられた、
文章の中の???に入るお言葉を教えてください。
天皇陛下は大雪による被害等へのお見舞いのお言葉を述べた上で・・・
「そのような中にあって、
個々東京では梅の花も咲き、春が一歩一歩近づいていることを感じます。
全国各地の皆さん一人一人にとって、
???春が訪れるよう願っております」
1、穏やかな
2、平和な
3、暖かい
ヒント・・・〇???春
@麗(うらら)か
明るい陽の光が???に降り注ぐようなさまをいいます。
@春和景明(しゅんわけいめい)
春の???天候が、美しい景色を生み出している。
お分かりの方は数字もしくは???に入るお言葉をよろしくお願いします。
調べました。たぶんあってると思います。
1、穏やかな
ですよね。(*^_^*)