全日本スキー連盟設立の日
- カテゴリ:スポーツ
- 2025/02/15 00:46:11
こんばんは!15日(土)は、
北日本から東日本日本海側では朝のうちは雪の降る所がありますが、
次第に天気は回復に向かうでしょう。
北日本から東日本太平洋側は概ね晴れる見込みです。
西日本は午前中は晴れる所が多いものの、
午後は雲が広がり、夜は九州で雨の降る所がありそうです。
南西諸島は曇りや雨となるでしょう。
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【全日本スキー連盟設立の日】
The founding of the Ski Association of Japan
The establishment day of the Ski Association of Japan
☆1925年(大正14年)のこの日に設立された全日本スキー連盟さんは、
日本のスキー文化の礎を築いた歴史的な出来事です。
スイスからの風が札幌農学校に吹き込み、
日本の雪国のライフスタイルに革命を齎(もたら)しました。
コラー講師の情熱が生徒達に火をつけ、馬そり屋で作らせたスキーが最初です。
スキー連盟の設立はスポーツとしてのスキーを組織的にサポートし、
その技術や楽しさを広める為の重要な一歩でした。
生徒達の独学と実践の精神は、今日nスキー競技に引き継がれています。
当時のスキーは、まだ一部の人々にしか知られていなかった冬の娯楽でした。
しかし、連盟の設立により、スキーは日本全国に広まり、
多くの人々に愛されるスポーツへと成長していきました。
<概要>
〇全日本スキー連盟設立の日
@日本のスキーの歴史
日本のスキーの歴史を4つの時期に分けて紹介します。
スキー伝来前の時期に起きた雪山の悲劇や、
レルヒさんが日本に初めてスキーを伝えた時代、
次第にスキーが広まる時期、オリンピックの競技で日本人選手が活躍する時期、
これらを4つに纏(まと)めました。
★1902年(明治35年)、
スキーが伝わる前に起きた悲劇、八甲田雪中行軍避難事故
明治35年に冬の青森県八甲田山で訓練の為、
雪中行軍していた日本陸軍青森歩兵第5連隊の軍人が、
猛烈な吹雪で遭難し、199名が命を落とす事故が起きました。
この時はまだ日本にスキーが伝わっていないので、
かんじきや革靴という装備で訓練に必要な食料や資材を、
ソリに乗せて行軍していました。
遭難は猛吹雪や積雪量の増大等の天候悪化が原因です。
そういった環境下で・・・
・資材を運ぶソリ運搬の限界 ・行軍装備の乏しさ
・炊事事業の困難さ ・食糧不足
これら等の悪要因も遭難の危機に拍車をかけました。
次第に・・・
・凍傷になる者
・凍死してしまう者
・極限状態の為、川に飛び込んでしまい叫び出してしまう者
このような方々も出てきて、
総勢210名で出発した行軍が最終的に199名も死亡するという、
世界最大級の山岳遭難事故となりました。
当時の日本は日露戦争の2年前という時期で、
ロシア軍が青森県の八戸市に侵攻してきたことを想定し、
陸軍はこの行軍で青森~八甲田山~十和田市というルートで、
冬期に進軍出来るか調査をすることを目的としていました。
この遭難事故はその後に小説や映画にもなり・・・
・新田次郎さんの小説 :八甲田山死の彷徨(ほうこう)
・高倉健さんが出演した映画:八甲田山
これら作品が有名です。
この悲劇は日本にスキーが伝わる9年前の出来事です。
☆1911年(明治44年)、
日本に初めてスキーを伝えた外国人「レルヒ」さん
1902年の八甲田雪中行軍遭難事故の後、
1909年(明治42年)にノルウェー国王のホーコン7世が、
スキー板2台を事故のお見舞いとして明治天皇宛に進呈します。
1910年にオーストリア人の、
テオドール・エードラー・フォン・レルヒさんが来日します。
レルヒさんはオーストリア≒ハンガリー帝国の軍人で、
日本のオーストリア大使館で武官として働きますが、
レルヒさんは元々アルペンスキーの創始者である、
マティアス・ツダルスキーさんの弟子でもありました。
日本の陸軍が1902年の八甲田雪中行軍遭難事故の苦い経験から、
レルヒさんのスキー技術に注目しまして、
来日翌年の1911年(明治44年)にレルヒさんは、
新潟県の高田市で陸軍へスキーの技術を教えることとなります。
日本側は連隊長の堀内文次郎さんが将校11名を選抜しまして、
レルヒさんがスキー指導を受けさせます。
これが日本におけるスキーの始まりとして知られまして。
その後、スキーが民間にも広がって行くきっかけになります。
因みにこの時のスキーは2枚のスキー板にストック1本でした。
その後・・・
レルヒさんは北海道でも陸軍にスキー指導をしたり、
又、日本各地を旅行したりして、大正2年に帰国します。
因みにレルヒさんいよる一番最初の指導が、
現在の新潟県上越市で行われたことから、
新潟県のスキー関連ご当地キャラクター「レルヒさん」は、
このレルヒさんをモチーフとしています。
★1912年~1945年(大正~昭和初期)、
次第に普及し始めるスキー
レルヒさんがスキーを教えてから徐々に日本国内でスキーが普及し始めます。
大正時代の1923年(大正12年)に、
第1回の全日本スキー選手権大会が小樽市で開催されます。
この時の種目は・・・
・距離 ・テレマークスラローム
・クリスチュニアスラローム ・純ジャンプ
これらの競技でした。
1925年(大正14年)には全日本スキー連盟(SAJ)さんが誕生します。
1926年には国際スキー連盟さん(FIS)へ加盟する等、
環境面も整備されていきます。
昭和時代の1928年(昭和3年)に、
日本は初めて冬季オリンピックに参加します。
第2回冬季オリンピックのサンモリッツ大会へ、
5名の選手団を送り出したことが、日本の冬季オリンピック初参加です。
この当時は今のような飛行機での移動は無い時代ですので、
選手達はシベリア鉄道で、ヨーロッパに向かいました。
1930年(昭和5年)には、
オーストリアのスキー講師であるハンネス・シュナイダーさんが来日します。
そして、野沢温泉等、各地のスキー場での指導を3カ月間行いました。
問題 第二次世界大戦後には、
スキー技術の進歩が進みまして、オリンピックへの参加が続きます。
戦後の日本で最初に国民の関心を集めたスキーの出来事についてですが、
1956年にイタリアの???五輪で、
日本人スキー競技初、アルペン競技で猪谷千春さんが銀メダルを獲得です。
その???に含まれるオリンピックの名前を教えてください。
1、アルベールビル
2、ソルトレークシティー
3、ミラノ・コルチナダンペッツォ
ヒント・・・〇???
2025年2月6日~22日までの17日間、
新競技の山岳スキー等、8競技116種目が実施される予定です。
お分かりの方は数字もしくは???に含まれる、
オリンピックの名前をよろしくお願いします。
そうでありましたか。
ホラー映画や漫画にネタとして登場するのですか。
ああ~、なるほど~。
スキー板を担いで登っては相当大変ですね。
雪中訓練の前に、歩いたり、走ったりの基礎訓練をしてからの方が理想的ですよね?
いきなりの雪中での行動は、思っている以上に体力が消耗しますね。
つまり、スズラン☆さんのログのとおりです。
ホラー映画や漫画にネタとして登場するのを度々見かけて、
憶えました。
現代の雪中訓練の特集をたまたまテレビで見た時は、
スキー板を担いで登ってこれも大変そうだなと思いました。
かげねこちゃん、朝のお忙しい時間にコメントとお答えをありがとうございます。
そうですか、調べてくださりましたか。
どうもありがとうございます。
問題ですが3番のミラノ・コルチナダンペッツォですね。
御存知、来年2025年の冬季オリンピックの会場なのですよ。
ドロミテ国立公園ないにあるコルチナダンペッツォの山々(アルプス東部)は、
とても美しいですので、是非お楽しみくださったらです。
又、ミラノはファッションの街としても知られ、イタリア第2の都市です。
ミラノの東側にはイタリアを代表するコメの産地(ボンバルディア平原)があります。
おすすめは、イタリア料理の米料理である、ドリアですね。
今年でも良いですが、来年オリンピックが始まりました時に、
ドリアと一緒に、TV中継の視聴をいかがでしょうか!?
本日も寒くありませんか?
該当の場合は体調を崩さないように、乾燥で喉を痛めないようにお過ごしくださいませ。
今回の問題、調べましたが???
3、ミラノ・コルチナダンペッツォ
どうでしょうか???