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ペニシリン記念日


こんばんは!12日(水)は西日本や南西諸島では曇りや雨となり、

雷を伴った激しい雨の降る所もあるでしょう。
東日本は次第に雲が広がり、午後を中心に雨が降る見込みです。
北日本も所々で雪や雨が降り、雷を伴う所もありそうです。

【ゴシックコーデ/コーデ付き日記投稿イベント】

A、光と影の栄光 盤面を護る主教です。

【ペニシリン記念日】 Penicillin Day

☆毎年2月12日に世界初の抗生物質である、
 ペニシリンの発見とその臨床実験の成功を記念して祝われています。

 アレクサンダー・フレミングさんの発見は、
 現代医学における、多くの病気の治癒に革命を齎(もたら)しました。

<概要>

〇ペニシリン記念日

1941年(昭和16年)2月12日、
薔薇(ばら)の棘から感染で瀕死(ひんし)となった警察官に、
人体へは初となるペニシリンを注射しました。

*ペニシリンを注射・・・初回200mg、以後3時間ごとに100mg

ペニシリンの効果は著しく、5日後には熱も下がって一命を取り留めたことで、
感染症に画期的な効果を齎す初の抗生物質の誕生となりました。

これを記念して・・・

2月12日は「ペニシリン記念日」とされています。

@ペニシリン記念日の意味と由来

 1928年(昭和3年)9月30日、
 イギリスの細菌学者であるアレクサンダー・フレミングさんが、
 怪我の化膿や食中毒の原因とされるブドウ球菌の培養中、
 アオカビにはブドウ球菌が発生しないことを偶然に発見しました。
 
 《アレクサンダー・フレミング》さん
  Sir Alexander Fleming,FRS,FRSE,FRCS

 1881年8月6日ー1955年3月11日
 
 イギリス・スコットランドの細菌学者です。

 イギリスの医師であり、細菌学者でもあった、
 アレクサンダー・フレミングさん。

 ペニシリンやリゾチームの発見者として知られ、
 医療の世界に大革命を齎した人物です。

 〔生涯〕

  フレミングさんは、
  1881年にスコットランドのエアシャーで生まれました。
  
  ≪エアシャー≫ Ayrshire

   『エア(エアー)』

    ・英語、スコットランド語 :Ayr

    ・スコットランド・ゲール語:Inbhir Air

    エアはスコットランド南西部のサウス・エアシャーにある町で、
    州都でもあります。

    西暦1205年から勅許(ちょっきょ)の自治都市として栄え、
    現在に至ってエアシャー(en)の中心都市となっています。

    人口は減少傾向にあり、2004年時点で46120人です。
    スコットランドで11番目と順位を下げています。

    エア川(en)の下流にあり、ノース海峡に面している港湾都市であり、
    古くから漁業が行われ、多くの船が行き交っていて、
    「スコットランドの西の玄関」です。

    尚、80km東にスコットランド最大の都市、
    グラスゴーが位置していますが、
    陸上の交通の便はさほど発達していません。

    ウェリントン広場にある戦争記念碑やカウンティ・ホールがあり、
    町のランドマークのウォリス・タワーがあります。

  早くに父親を亡くしたフレミングさんは成長してロンドンに移り住み、
  王立科学技術学院で勉学に励みます。

  卒業後の数年は商船会社で働きましたが、
  1903年にロンドン大学に入学して、医師を目指しました。

  フレミングさんの兄は既に医師になっていた為、同じ道を選びました。

  大学卒業後はアルムロス・エドワード・ライトさんという、
  細菌学者の助手として、セント・メアリーズ病院の、
  ワクチン研究所勤務します。

  ライトさんは腸チフスワクチンの開発等に成功した人物であって、
  免疫の研究でも有名です。

  第一次世界大戦が1914年に勃発しますと、
  フレミングさんは軍に招集されます。

  ライトさんと共にしばらくの間、戦場の病院で働くことになりました。

  傷ついて帰って来る兵士が感染症にかかりまして、
  酷い状態で亡くなっていく姿を目の当たりにしたフレミングさんは、
  より良い感染症の治療法を研究したいと思うようになります。

  戦争が終結して研究に復帰したフレミングさんは、
  細菌の繁殖を抑えることの出来る物質を2種類発見することに成功します。
  
  それが・・・

  ・1920年頃に見つけたリゾチーム

  ・1928年に見つけたペニシリン

  特にペニシリンは、
  細菌の繁殖を抑えることの出来る強力な薬剤として珍重されました。

  第二次世界大戦の際には、
  ペニシリンのお陰で多くの兵士が救われたといいます。

  1940年にフローリーさんとチェーンさんという科学者が、
  ペニシリンの精製に成功しまして、
  高純度のものが得られるようになったことも追い風となりまして、
  第二次世界大戦終結後には軍だけではなく、
  一般の医療現場でも使用されるようになりました。

  ペニシリンの発見や感染症の研究が評価されまして、  
  フレミングさんはフローリーさんとチェーンさんと共に、
  1945年にノーベル医学生理学賞を受賞します。

  受賞した理由は・・・

  「ペニシリンの発見、及び種々の伝染病に対するその治療効果の発見」です。

  1951年から3年間はエジンバラ大学の学長も務めましたが、
  1955年に心臓発作で死去します。

 これが世界で初めて発見された抗生物質で、
 フレミングさんはこの物質をアオカビの学名である、
 Pnicilium notatumに因みまして「ペニシリン」と命名しました。

 しかし、フレミングさんはペニシリンの分離が出来ず、
 医療の実用化が出来ないまま13年が過ぎました。

 上記と重複しますが、
 1940年にようやくイギリスのオックスフォード大学で、
 生物学者のエルンスト・チェーンさん(1906年ー1979年)と、
 ハワード・フローリーさん(1898年ー1968年)が、
 ペニシリンの精製に成功します。

 そして、1941年2月12日に警察官への臨床試験で、
 成果を挙げることになります。

問題 次の文章の???に入るイギリス首相名をお願いします。

   1945年には大量生産も可能になりまして、
   第二次世界大戦中には多くの負傷者を救いまして、
   イギリス首相の???さんの命も救いました。

1、ロバート・ウォルポール  さん

2、ウィンストン・チャーチル さん

3、マーガレット・サッチャー さん

ヒント・・・〇??? さん

      1874年11月30日ー1965年1月224日

      従軍記者出身、軍人、作家、政治家です。

      第二次世界大戦時に、
      アドルフ・ヒトラーからイギリスを救った首相です。

      1915年(42歳)に軍需大臣として、再び入閣します。
      戦後は空軍大臣を兼任し、反ソ干渉戦争を主導します。

      1945年(70歳)に第二次世界大戦でイギリスを指揮し勝利。

      1956年(71歳)の首相退任後、国際的な活動を続けるなか、
      訪米中に「鉄のカーテン」演説を行い、冷戦期の幕開けとなります。

お分かりの方は数字もしくは???に入る、
イギリス首相名をよろしくお願いします。



  




 










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