Nicotto Town



あの日をわすれない


もう30年、あの日を忘れません。


旧島で追悼の庭や部屋を作ってたっけ
https://ameblo.jp/bambiyoko/entry-12882755565.html

アバター
2025/01/17 23:28
あの日のニュース映像は忘れる事ができません。もう30年にもなるのですね。
その後の日本各地の地震や災害の、なんと大規模になった事。
「しかたない」では、とうてい受け入れる事ができません。
毎日を平穏に過ごせることが、とてもありがたく幸せな事だと、改めて思います。
アバター
2025/01/17 17:38
> ぶなさん
阪神淡路の頃はネットでは遊んでませんでした。東日本の少し前にココログを始めたのですが、その時に被災された方のブログを読みました。以前よりも情報が伝わりやすくなりましたが、それでも現地の事は現地の方でないとわかりませんね。暗いニュースが多いですけど、いつかきっと明るい兆しが出てくるように祈るしかないですね。
アバター
2025/01/17 17:29
もう30年になるのですね。
阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震と、あれから大きな地震が続いて、昨年夏には南海トラフ地震注意報も出ました。
地震だけじゃなくて、洪水も多いし、災害級猛暑だし、いろいろな天災が身近になりすぎていますね。
さらに、コロナ禍とかさまざまな感染症の世界的流行あり、山火事あり、ウクライナやガザの戦争あり。

…多くは望みません。猥雑ながらも愛すべき日常生活をおくれていることに感謝です。
アバター
2025/01/17 15:55
> ぴろたん☆さん
明日は我が身だと災害が起きるたびに思いますが、のど元過ぎれば…。日本人(自分を含めて)忘れやすいから~。いつも心掛けていなくてはと思います。避難用品、こういう時だけ売れるんだよね。
アバター
2025/01/17 15:52
> 明さん
何で日本はこんなに災害が多いのかと思うけど抗えませんね。
豪雨でも降り方が違うし~。
「かつて危険したことのないXXXXX」という気象予報士の言葉もむなしく聞こえます。
家具の固定はしたけど、普段2階で暮らしてて果たしてどやって逃げればいいのか?
ベランダから飛び降りて逃げる夢を時々見ます。
アバター
2025/01/17 15:48
> まっつさん
親の世代は戦争中におきた三河大地震を体験してるし、空襲もあったので少しの揺れには驚きませんでした。
でも出入り口の戸だけサッと開けるんです。
震度3くらいでビビった私に「このくらいなら耐えられる」と言いました。
経験値が違う~。
アバター
2025/01/17 15:42
> usamimiさん
お母様は帰阪してたら大変な目に合われたかもしれませんね。
そういうめぐり合わせってあるのですねえ。
お兄様もご無事でよかったです。
アバター
2025/01/17 15:39
> ひよっちさん
関西の知り合いの劇団の方が西宮と尼崎、大阪にいて、連絡していいものか迷いました。
1か月くらい経って無事を確認。上演はしばらく休止してました。
被災した子どもたちのためにというプロジェクトがあって、自分たちの芝居の道具一式を上演後オークションにかけて売上金を寄付しました。何か災害が起きる度に少しずつでも寄付できればと思ってます。
おかあしゃんはバイトするのだ。
アバター
2025/01/17 15:33
> ねこまろさん
あの地震の後、こちらで震度5強の地震がありました。
怖くて背筋が凍りましたが何もできませんでした。
阪神淡路の方たちはどれだけ怖かったか…
夕方ヘリが上空を舞ったけど被害は出てなかったと思います。
アバター
2025/01/17 15:28
> 三風しっぽなさん
あの地震の後しばらくしてから宝塚と大阪へ行ったの。
建物にはヒビが入ってて、屋根にはブルーシートが掛かってる家が多かった。
あれから何かあるとブルーシートが使われるよね。
いつ来てもおかしくないと言われる南海トラフ。また確率が上がったね。
アバター
2025/01/17 12:55
自分の所は、揺れませんでしたが、高速道路が倒れているのは、信じられなかったです。天変地異は、どうしようもないですが、起きた事は忘れずに準備は必要だと思います。
アバター
2025/01/17 12:22
初めてあんなに長い揺れを体験して怖かったけど…うちはさほど大したことはありませんでした。
でも、あとで他はとても被害が大きいことを知り、呆然としました。
南海トラフ地震も、もう遠い未来ではないですよね。
それなりに備えはしているけれど…出来れば大きな地震は起こって欲しくない。
非力な人間に出来ることなんてないけれど、なんとかならないものかとつくづく思います。
アバター
2025/01/17 11:41
もう30年なのですね。
高架道路が倒れている光景に、日本なのになぜと驚愕しました。
「よりそう」という言葉を大事にしたいと思いました。
南海トラフに備えておかなければですね。
アバター
2025/01/17 11:40
あの日は年末から上京していた母が大阪に帰る日でした。
私が起きたとき、早起きの母はもう支度を済ませていましたが
TVをつけると衝撃の光景が!
公衆電話から兄の家に電話すると、食器棚は倒れたけれど
怪我はないとのことでほっとしました。
結局、母はしばらく帰阪できませんでした。
アバター
2025/01/17 10:09
もう30年になるんですね。
あの日は朝からTVもつけずに車で出かけ、昼頃帰って来てTVを付けた時に目にした光景に、言葉を失った憶えがあります。これ、本当に日本の事?って。
ご主人の転勤で神戸に引っ越して間もない友人に何日も連絡が付かずに、一家無事と知った時には本当に涙が出そうになりました。
地震大国日本。地震以外でも災害の多い今日この頃、心を引き締めなければ。。
アバター
2025/01/17 09:35
30年経ちましたか。
当時、わたすは川崎の木造アパートに住んでますた。
TVのニュース映像で多数のビルや高架の道路が倒壊してるのを見て
規模大きさに驚愕しますた。
改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
合掌
アバター
2025/01/17 09:00
あの日からもう30年も経ったんだ。。。
寝ていたら枕元の携帯からけたたましいアラーム音が鳴って飛び起きました
ニュース映像の火の手にどんだけの犠牲者が出るのかと怖くなりました
その後のニュースもつらいものだったね
何年か前の今日、ちょうど新幹線に乗っていて神戸駅に停車したとき
車中から手を合わせたよ
南海トラフ、心配だよね



Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.